3.「穴神様」へ
たまたまやってきた客に、ここまで豪華な晩餐を出すものだろうか。
目の前に並べられた夕飯を前に、高橋くんは思った。
高級食材の山というわけではないが、地元産の食材がていねいに調理されている。
「さあさあ。遠慮なく。どんどん食べんさい」
「どんどん飲みんさい」
異常に思えるほど親切に酒や食べ物をすすめる世話役や源さんが、気味悪くすら感じる。
もともとあまり飲まない高橋くんだが、今回は特に、ほとんど飲まなかった。
酔うと、今夜の行動にさしつかえるからだ……
目覚ましは振動モードにセットしておいた。
気づかれると面倒だ。
午前1時。
ここは田舎だ。もうみんな深い眠りについているだろう。
高橋くんは手早く準備を整え、そっと部屋を出た。
世話役の家を出て十分距離を取ってから、白色LEDのヘッドランプを装着した。
今回のように洞窟探検をする場合に備え、常備している。
深夜で真っ暗な分、「穴神様」までは時間がかかった。
昼間に見た赤い鳥居を過ぎ、広場に出た高橋くんは、思わず小さく声を上げた。
広場には、例の社を取り囲むように、かがり火が置かれていた。
かがり火の高さは1メートル程度。廃材がパチパチと音を立てながら、赤々と燃えている。
昼間来たときは、かがり火の台すらなかった。
用意されて、あまり時間がたっていないように思える。
「『じきさい』……か?」
昼間の世話役の言葉を思い出した。
だが、世話役は今日がそうだとは、一言も言わなかった。
第一、ここには誰もいない。
奇妙だ。
だが、ここまで来て「穴神様」を見ないわけには行かない。
高橋くんは社を動かし、洞窟の中に入っていった。
高橋くんが洞窟に入っていってすぐ、鳥居の陰から数人の人影が現れた。
世話役、留さん、源さん、だった。
「たまげただな。自分から入っていった」
「今どきの若いもんの考えることはわからんな」
「まあまあ。手荒なことをせんですんだで、助かったわ」
三人は、高橋くんが入っていった洞窟の入り口に眼をやった。
その眼には、畏怖の色があった。
4.「穴神様」についての考察
富士の風穴に比べたら、はるかに楽だな……
軽く腰をかがめて進みながら、高橋くんは思った。
富士山周辺にある風穴の中には、ぬかるみの中をはいずって進まなければならないようなところもある。
それとは比較にならない快適さだ。
洞窟は多少うねうねとしているが、おおむねまっすぐで、分かれ道などはない。
島にあるせいか、洞窟内にはかなりの湿気があった。
洞窟は、人一人がやっと通れるぐらいの直径だ。
両手を広げても、まっすぐには伸ばせない。
洞窟の壁は、意外にもつるんとしている。
岩でごつごつしていない。
潮のせいなのか、ねっとりとした手触りだ。
それと、生臭い臭い。
潮の香りとも違うように思う。
やがて、少し広い場所に出た。
いびつながら、直径が2m余りのドーム状になっている。
ここならば、背を伸ばしても、頭が天井に当たることはない。
ヘッドランプで周りを照らしてみた感じでは、どうやらここで行き止まりらしい。
洞窟の入り口からここまで、ざっと20mといったところだろうか。
──ここが一応、奥の院ということなんだろうな……
周辺を見回しながら、高橋くんは思った。
何かを祀るような祭壇などはない。
おそらく……
と高橋くんは考える。
おそらく、潮の満ち引きか何かの加減で、風が外に向かって吹いたり中に向かって吹いたりするんじゃないだろうか。
そこに神秘性や神性を見て、祀っているんだろう。
風の吹き方と潮の加減に何か関係があって、漁獲量に差が出るのかも知れない。
タブーの本質なんて、えてしてこういうものだよなあ。
それを否定するとかバカにするとかはしないけどさ。
そう考え、高橋くんは改めてドーム内を見渡した。
途中の通路と同様、ここの内壁も、手触りはつるんとしている。
つるんというか、ぬるっとした感触だ。
鍾乳石だろうか……?
あるいはどこからか海水がにじんでいるのだろうか。
いや、それはない。
海面からここまで、標高がけっこうある。
とすると、湧き水か。
その可能性が一番だろうな。
もっと量が湧けば「御神水」ということにできるんだろうけど。
もう一度、壁に触れてみる。
「ん?」
思わず声を上げた。
さっき触れたときよりもベタベタ感が増していないか?
気持ちが悪くて、ぬらつく手のひらをシャツでぬぐった。
そろそろ帰り頃か。
高橋くんは戻るべく振り返った。
洞窟がなかった。
「え?」
ここに入ってきた洞窟が見あたらない。
あわてて、ヘッドランプの光であたりを照らす。
このドームに出てきた、腰をかがめて歩いた通路。
それが消えている。
記憶していた場所は、すぼまったような模様の壁になっていた。
この模様は……強いて言えば、ケツの穴。
肛門だ。
「そんなバカな……」
納得しかねて、壁に触れてみる。
ぐにょ。
そんな擬音がぴったりくるような感触で、壁がへこんだ。
「わあっ!」
あわてて手を引いた。
手がさっきに増してべとべとになっている。
なんだなんだなんだ、なんなんだ、ここは。
周囲の壁からわき出る湧水の量が増えていた。
湧水?
いや違う。
これは、粘液だ。
さっきのようにシャツで「ベトベト」をぬぐおうとして、違和感に気づいた。
ヘッドランプでは自分の身体を照らせないので、まさぐってみる。
シャツがぼろぼろになっている。
さっきベトベトをぬぐった部分が、腐食したようにぼろぼろになっている。
壁の手触りやしたたってくる粘液の異様さに気を取られて気づかなかったが、臭いも強くなっていないだろうか。
何か、記憶にある臭いだ。
昔、新歓コンパで飲み過ぎて……
そう、ゲロの臭い。
というか……ペプシン。ペプシンと言えば胃……
いや! いや! いや! そんなはずがない! そんなバカなことが!
ここは、そう、一種の間歇泉なんだ。
定期的に、この奇妙な粘液を湧出する。
それと、この洞窟の先の空間という奇妙な構造によって、ここは神性を持って祀られているんだ。
この構造と、定期的な湧出と、強酸性の性質を持つ湧水と、それと、それと。
ええと、細い通路を抜けて広場に出る構造は、一般に「胎内めぐり」と称して。
けっこうあちこちの神社仏閣で見られて。
要するにこれは、再生と誕生をあらわして。
高橋くんは、知りうる限りの知識を総動員して、現在自分が置かれている状況を合理的に説明しようとした。
だが、高橋くんは、考えうる可能性の一つだけは、懸命に考えないようにした。
それでも、どうしても頭から離れない。
そして、高橋くん自身、それが真実であるだろうことが、うすうすわかっていた。
信じがたいことだが、ここが、巨大な生物の「胃」であるということ。
自分が、その生物に消化されつつあるということ。
つまり、「喰祭」というのは……
ドームの内壁が、うねうねと動いている。
すでに粘液は、足首までたまっている。
ここでようやく、高橋くんは悲鳴を上げた。
5.喰祭の島
水平線が明るくなりかけている。
まもなく日が昇る。
世話役と源さんは港の岸壁に腰を下ろし、海を眺めていた。
遠く、低い汽笛のような音が響いている。
「穴神様が鳴きよるわあ」
たばこを吸いながら、源さんがぽつりと言った。
遠い昔、源さんがまだ幼い頃に祖父から聞いた言葉であった。
「ここしばらく、犬やヤギばかりだったから、穴神様も喜んでらっしゃるで」
世話役が答える。
「今度は、そろそろわしが入らんけばならんかと思うとったで」
源さんが言うと、世話役が笑った。
「バカなことを言うじゃないで。あんたには、まだまだがんばってもらわんとな」
「ま、もうちっとやらんければな」
二人の老人は、ただ海を眺めた。
まもなく「喰祭」が終わろうとしていた。
今年の豊漁は間違いないだろう。
本作は以下のリンク先で朗読が聴けます
https://www.youtube.com/watch?v=JtgXZO1TKn4
朗読:あげまきよりか様