黒神由貴シリーズ

アパート奇談


1.私の夢

「変な夢を見るんだよねー」

 星龍学園の昼休み、黒神由貴とだべっているときに、私はそんなことを言った。黒神由貴はかすかに首をかしげ、「んで?」という表情をして、先をうながした。
 もし立場が逆だったら、「夢ぐらい誰だって見るじゃん」などとつまらないツッコミを入れているところだが、さすが黒神由貴はそんな品のないことはしない子だ。

「もう何回か見てるんだけどね。おんなじ夢なんだ、これが」

 と、私はその夢について、話した。



 マンション……いや、玄関や廊下の感じからして、アパートだろうと思う。2階建てか3階建てぐらいの、学生とか独身者向けの、安いアパート。
 そんなアパートの一室の玄関ドアが開かれていて、その間口に、部屋の中を見る形で私は立っている。
 そこはワンルームで、玄関を入って右がトイレとお風呂。左側は小さなキッチン。中は八畳の畳敷きで、突き当たりがベランダへ出るガラス戸。キッチン部分だけ、ほんの少しフローリングになっている。
 で、そこに人がいる。
 部屋の中央からちょっとベランダよりに、二人の若い男性。長めの髪のやせ型でダボッとしたTシャツを着たオタっぽい感じの人と、ガタイのいい短髪でタンクトップを着た体育会系。やせ型の人は部屋の真ん中あたりにあぐらをかいて座り、両手でゲームのコントローラーを持って、何かゲームをしている。体育会系の男性は、ゲームをしている男性の斜め前、モニターのすぐ前に座り、モニターを指さして何か言っている。

「そこで魔空拳をぶち込むんだろが!」

 とかなんとか言ってるんだろうが、声は聞こえない。
 ゲーム機のコントローラーを持っている男性のそばに、真っ白な猫がいて、キッチンを眺めている。
 そして、キッチンには女性が立って、何か料理を作っているか、その準備をしているようだ。髪をポニーテールでまとめ、上はタンクトップ、下はショートパンツ。
 そういう情景を見ていると、通路を小走りでやってきて、私の横をすり抜けて、部屋に入る人物が現れる。こちらも女性だ。私の横をすり抜けてと言うか、そもそも私の存在に気が付いていない、と言った方がたぶん正しいだろう。こちらの女性は、ワンピース姿の清楚な感じ。髪はストレートのロング。
 どうやらこの場では、私は透明人間のような存在であるらしい。
 四人の男女はいずれも二十歳前後ぐらいで、学生か新社会人っぽい。






 ここで突然視点が変わる。
 視点が逆になり、今度はベランダへ出るガラス戸の内側に立って、玄関方向を見ている形になっている。
 さっきまでいた四人がいなくなっている。
 その代わりに、玄関に何かがいる。
 かろうじて人間の輪廓をしているのはわかるが、全体がぼうっと白く光っていて、姿形とかはよくわからない。
 頭と思われる部分が三ヶ所、ちょうど目と口のあたりが黒くなっていて、ハニワのようにも、驚いた表情のようにも見える。
 そして、これが夢の夢たるところなのだが、その光る人影が私自身であることを、私はわかっている。視点が変わる前、四人の男女が部屋にいるとき、私はこの白く光る人影がいる位置から、部屋の中を見ていたのだ。
 光る人影である自分を、部屋の奥から見ているのも、自分なのだ。
 で、ここからが薄気味悪いのだが、学生っぽい四人の姿がない部屋、その部屋の、床と言わず壁と言わず、血まみれなのだ。
 冷蔵庫にも血が飛び散り、トイレ入り口の壁なんか、血の手形らしきものまで付いている。キッチンの流しからは、ごていねいに長い黒髪が垂れ下がっている。
 四人がいたときは新しい部屋に見えたのに、部屋が血まみれになった今は、天井までがすすけたように黒ずんでいる。
 この部屋で、何があったのか。
 光る人影である私は、何を見てハニワのように驚いているのだろうか。






 そんな夢。



「真理子は、そんなアパートに行ったことがあるの?」

 私の話を聞き終えた黒神由貴は、開口一番、そう言った。私は首を横に振る。

「現実では、そんなアパートには行ったこともないし、見たこともない」

 ここで、私は本当は黒神由貴に「どう思う?」と訊くつもりであった。だが、話を聞き終えたところで、黒神由貴はものすっごくあいまいな笑いを浮かべた。その笑いを見て、私はその質問を口にするのをやめた。
 黒神由貴だから、そういう、あいまいな笑いで済んでいるのだ。他のクラスメートたちだったら、「あんた、バッカじゃない?」と一笑に付されているに違いない。
 私が話をしている間も、話が終わってからも、黒神由貴はただの一度も例の鋭い目をしなかった。
 ということは、私の夢は、本当の本当に、ただの夢だったということなのか。
 (´・ω・`)ショボーン


2.従姉妹のやよいちゃん

 黒神由貴に奇妙な夢の話をした数日後。の午後。
 星龍学園から帰ると、家の前に小型車が停まっていた。停め方から見て、我が家への来客と思われた。
 玄関のドアを開けると、婦人物の靴があった。リビングへ行くと、従姉妹のやよいちゃんがいた。
 やよいちゃん、などと気安いが、母方の伯母の娘なので、私よりも年上だ。母親と伯母がけっこう歳が離れているところに持ってきて、伯母はかなり若くして結婚したので、私とやよいちゃんは十ほども歳が違う。
 ついでに言えば、やよいちゃんはすでに人妻である。

「いらっしゃーい」

 私はリビングのテーブルで母親と向かい合って座っているやよいちゃんに声をかけた。

「おかえりー。冷蔵庫にシュークリーム入ってるよー」

 やよいちゃんが言った。おみやげに買ってきてくれたのだろう。

「ありがとー♪」

 お言葉に甘えて、冷蔵庫の中にあったケーキ箱からシュークリームの包みを一つ取り出し、私もテーブルの椅子に座った。

「今日はどうしたの? 休み?」

 やよいちゃんの仕事が不動産関係であるのは知っていたので、私はそう訊いた。土曜や日曜にお客を案内することもあるので、休日はもっぱら平日なのだ。
 だが、やよいちゃんは首を横に振った。

「この近くの物件に用があったんで、ついでに顔出したん」

「物件。案内?」

「そうじゃなくて下見。ここからちょっと離れてるけど、新しいアパートが建ったの、知らない?」

 私は近辺の地理を頭に思い浮かべた。

「そう言えば、何か工事してたのは知ってる」

「たぶんそこだわ。若い人向きの、割と安めのアパートなんだ」

「部屋の中でティッシュを取ったら、2、3軒離れた部屋でもその音が聞こえるって造りじゃないの?」

 私が笑いながら意地悪く言うと、やよいちゃんも笑いながら、否定した。

「さすがにそこまでは。多少安普請なのは確かだけどね。──なんだったら、いっしょに来る?」

「いいの? なんかいろいろ用事があるんじゃ」

「部屋の造りの様子を見るだけだから、そんな手間はかかんないの。いつか一人暮らしするときの予習ってことで、どう?」

 予習か。それも悪くないかも。
 そう思い、私は横に座っている母親を見た。母親はうなずいて、

「行ってきたら? そしたら自分がいかに恵まれた環境にいるか、よくわかるだろうから」

 そう言って笑った。


3.新築アパートだから、問題なし

 そのアパートは、我が家から車で5分ほどの場所であった。
 やよいちゃんはアパート前の駐車スペースに車を停めた。ここがこのアパートの駐車場なんだそうだ。全部の部屋が車を置けるほどの数はないようだから、抽選か何かになるんだろう。
 車を出て、アパートを見上げる。
 建物はクリーム色をした壁の3階建てで、各階に7戸、全部で21戸のアパートだ。建物の左右に各階へ上がる階段がある。駐車スペースに面して各部屋のベランダがあり、すでに洗濯物を干しているところもある。

 あれ?

 ここで、私は頭の中で首をかしげた。
 なんだ? この「どっかで見た感」は。

「じゃあ部屋見てみようか」

 やよいちゃんがそう言いながらアパートの階段へ向かう。あわててあとを追って、何が疑問だったのか忘れてしまった。

「意外にいい部屋でしょ」

 1階の、階段に一番近い部屋のドアを開け、やよいちゃんが「どやぁ」という感じで言った。この部屋は言わばモデルルームで、入居者は決まっているが、引っ越しはもう少し先なんだそうだ。

「真理子もいずれは独立して家を出て一人暮らしするんだろうしさ。当分はこれぐらいの部屋に入ることになるだろね」

 やよいちゃんはそう言ったあとに、すぐに付け加えた。

「でもあんた案外甘えんぼだしなー。ずっとあの家に居座るかもな」

 当たってそうで、ちょっと怖い。それはともかく、部屋の造りだ。
 さすが新築だけあって、新しい畳のいい香りがする。それと、新建材の臭いがちょこっと。

「その右が、トイレとお風呂。ちゃんと別々なんだぜ。左はキッチン。小さいけど、基本独身者対象だからまあ問題ないっしょ。部屋はワンルームで、広さは八畳……」

 部屋の中を指さしながら、やよいちゃんが説明する。だがすでに私は気づいていた。
 ……やよいちゃん。
 私、ここ知ってるんだよ。
 夢で見たから。
 夢で見たアパートと、まったく同じだから。
 違うのは、家具や家電品がないことぐらいだ。

「……ねえ、やよいちゃん」

「左の奥が押し入れで……え、なに?」

「これぐらいのアパートって、どこもこれと同じ間取り?」

「いやそりゃ多少は違うでしょ。家賃によって、2K、2DK、3DKって。このアパートは全戸まったく同じだけどね」

「ねえ、やよいちゃん。ここ、新築なんだよね? 前になんか怖いことがあったとか、そんなのって、ないよね?」

 私がそう言うと、やよいちゃんは私のこめかみを両のこぶしでグリグリとやった。

「痛い痛い痛い」

「コラおめー、営業妨害だぞ。そんなことあるわけないだろが。ここは、もともとあったボロ家を解体して更地にして、基礎から作ったアパートなんだから」

「そのボロ家で何かあったとか」

「そんなことまで考えたら、日本全国みんな幽霊屋敷になっちゃうでしょうが。おばちゃんから聞いたぞー。なんか最近、あんたがお化けとか心霊とかにはまってるって。星龍学園がいくらエスカレーター式だからって、試験ぐらいはあるでしょ。あんた来年は受験でしょ。大丈夫なの?」

 話題がヤバイ方向になってきたので、私はそれ以上何も言わなかった。もちろん、例の夢との奇妙な一致点についても、言うはずもない。

「つまんないこと言ってないで。もう行くよ。駅前でお茶でも飲もうよ。ケーキセットぐらいおごってやっから」

 そう言ってやよいちゃんはアパートを出て、車に乗り込んだ。私も助手席に乗り込み、シートベルトを装着する。
 やよいちゃんが車を出すのと入れ替わるように、隣のスペースに車が入ってきた。やよいちゃんは「あー、先週入居した人だ。大学生とか言ってたな」とだけ言って、車を駅へ走らせた。






4.車から降りた人々

 車から降りたのは、男性二人女性二人の合わせて四人だった。

「おーし、メシの準備ができるまで、『凶獣戦隊3』やろうぜ」

 ハンドルを握っていた、体育会系っぽいタンクトップ姿の男性が言った。
 言われた方の、眼鏡をかけたおたくっぽい雰囲気の男性は、二人の女性を横目で見て、

「いやあ……何か手伝わないとヤバいんじゃね?」

 と言った。
 それに反応して、ポニーテール、タンクトップ、ショートパンツ姿の女性が皮肉っぽく言う。

「何もしなくていいわよ。いいからゲームでもやってて。手伝われたら、かえって邪魔だから」

「な」

 体育会系の男性が、ニヤリと笑って言う。

「あ!」

 それまで黙っていた、ロングヘアにワンピース姿の女性が、突然声を上げた。

「ビール買うの忘れた! いるよね?」

「そりゃ焼き肉にはビールだよなあ。しゃあねえな。車もっぺん出すわ」

 体育会系の男性がそう言って車に乗り込みかけたが、ロングヘアの女性は首を横に振った。

「いいからいいから。あんたたち先に家に入ってて。さっきのスーパーで買ってくるから。準備してて。あんたたちはゲームやってて」

「じゃあそっちは頼むわー。野菜とかお肉の準備はあたしがやっとくから」

 ロングヘアの女性に、ポニーテールの女性が言う。


5.夢はどうなった?

 そんなある日の夕方、私は自分の部屋で、ベッドの上で雑誌を眺めていた。
 突然、部屋の戸が激しくノックされ、続いて戸が開けられた。
 私が「どうぞ」と言う間もない。「プライバシー? 何それ美味しいの?」状態だ。もちろん母親である。

「真理子真理子真理子大変大変大変」

 たまには違う言葉を言えないものか。

「早く早く。行くわよ」

 どこへ、とか、何があったとかの説明は何一つない。否やもないまま、私はふだん着で外へ連れ出された。
 玄関を出た母親は、そのまま外へ出ず、庭にあるママチャリにまたがった。仕方なく、私ももう一台のママチャリに乗る。
 母親のあとについて、自転車を転がす。
 なんとなく見覚えのある道になり、前方に何台ものパトカーと救急車が停まっているのが見えてきた。
 すでに山のように野次馬が集まってきている。
 パトカーと救急車は、先日やよいちゃんが案内してくれたアパートの前に停まっていた。

 ああそうか。

 と、私はなんとなく納得した。
 あそこで何かあったんだ。
 おそらくは、私が夢に見たような状況で。
 夢の中に出てきた四人の、誰がどうなったのか、それは私にわかるはずもないが。
 アパートの出口から出てきた救急隊員が運ぶ担架は、人が寝ている形にふくらんでいたが、頭の上まで毛布がかけられていた。


 その日を境に、私があの奇妙な夢を見ることはなくなった。




イラスト提供:純友良幸様
純友良幸様のサイト:a bullet


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