単品怪談

合わせ鏡


Mガラス店 店主の話

「はい。うちが配達しています。10日ぐらい前……でした。
ええ、ふすまぐらいの大きさの姿見を二つ。
どうして2つもいるのかなあと思ったんですがね。
はいはい。据え付けもやりました。
部屋の両端、向かい合わせに据え付けてくれってんですからね。
あまり気味のいいことじゃないんですがねえ。
若い人はそういうことは気にしないのかなあって、あのときは思ったんですがね。
……そう言えば、ずいぶんやつれているような感じでしたねえ」



 小さな頃から、鏡が好きだった。
 母の三面鏡に顔を近づけて、左右の鏡を平行にする。
 私の顔が、左右に無限に続く。
 それが不思議で、大好きだった。
 無限に続くその先に何があるのか、どこまで続いているのか、そんな、らちもないことを考えながら、いつまでも飽かず眺めていた。

 一人暮らしをするようになってからも、ドレッサーではなく、三面鏡を置いた。
 夜、小さな頃のように鏡を平行にして、無限鏡像を眺める。
すると、昼間のうんざりするような出来事を一時、忘れることができる。
 唯一の憩いの時だ。

 無限に続く顔を、左右どちらかに向ける。
 すると、一番手前の顔はこちらを向いているが、その次の顔は向こうを向いている。
 当たり前のことなのだが、昔からこれが不満だった。
 みんな、こっちを向いてよ。
 そっぽを向かれるのは、現実だけでいいから。

 その日も、いつものように三面鏡に顔をつっこんでいた。
 毎日毎日、うんざりすることばかりだ。
 人を傷つけて平気なやつばかり。
 だから、だんだん鏡をのぞく時間が長くなるのだ。
 …………。
 泥のような深いため息をついて、鏡から顔を離そうとした、そのときだった。
 気のせいか? と、ぎょっとして、もう1度鏡をのぞき、左を向いた。

 鏡に映った顔が、すべてこっちを向いていた。

 右側を見る。みんな、こっちを向いていた。

 こっちを向いた顔が、声をそろえて言った。

「こっちへいらっしゃいよ」

 今日、大きな鏡を部屋に付けた。
 きっちりと向かい合わせになるように取り付けを頼んだので、おじさんは妙な顔をしていたが、まあいいだろう。
 部屋の真ん中に立ってみる。
 三面鏡のように、無限に続く私がいる。
 吸い込まれていくような感覚が身体を走り、心地よい。

 天井の照明器具をはずし、取り付け金具にロープを結びつけた。
 たぶん、私の体重ぐらいなら大丈夫なはずだ。
 第一、最近はほとんど何も口にしていないので、軽くなっていると思う。

 さあ、これを書き終わったら、もう1度鏡をのぞいてみよう。
「こっちへいらっしゃいよ」
 と言ってくれるだろうか。



T町交番・巡査の連絡


「あ、山下です。管理人の許可を得て、部屋に入りました。
部屋の中央、天井からロープが下がっていまして、……はい、はい、
そうです。先が輪になっていて。はい。
ロープの下にイスが転がっていまして。
床に失禁の痕跡が。はい。
遺書を思わせる書き込みはあるのですが……
そうです。状況はどう考えてもそうなんですが、はい。
肝心の遺体がないんですよ。
いえ。遺体を持ち去った形跡はありません。
とりあえず、応援を要請いたします。
はい。はい。それでは。連絡終わります」



……鏡の向こうから、誰かがこっちを見ているだろうか?


「こっちへいらっしゃいよ」






本作は以下のリンク先で朗読が聴けます
https://www.youtube.com/watch?v=wuR4hkcPKmQ
朗読:ビストロ怪談倶楽部様

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