黒神由貴シリーズ

闇への招待状 ~ビギニング黒神由貴~


1.郊外の寂れた神社

 都内から電車で30分あまり、隣県が目と鼻の先というあたりに、小さな神社がある。
 社殿は手入れが行き届いているとは言えない。
 祭神や由来が書かれた看板があるわけでもなく、そもそも、社務所も見あたらない。
 年始などに近在の人が訪れることもあるが、お札を授かれるわけでもないので、簡単にお参りするだけだ。
 神社の名前すら、ほとんど知られてはいない。
 地図にも記載されていないのだ。
 誰もが廃神社と思っていた。
 その神社の名は──「黒神神社」という。

 日曜の午前10時、黒神神社に近づきつつある人影があった。
 背中ぐらいまでの長い黒髪、切れ長の目、小柄ではあるがすらりとした体型。──黒神由貴である。
 休日の今日はコットンのパンツにシャツ、ジャケットというラフな姿だ。
 右手に、小さなケーキ箱を提げている。手みやげらしい。
 黒神由貴は黒神神社の鳥居をくぐらず、その隣にある日本家屋に入っていった。
 比較的大きな家屋で、築年数はけっこう経ているようだが、隣の神社と違って手入れは行き届いているらしく、古びた印象はない。
 玄関に入った黒神由貴は、靴を脱ぎながら、奥に声をかけた。

「お祖母様。由貴ですー」

「拝殿の間にいらっしゃい」

 奥から、よく通る声が聞こえた。意外にも若い声であった。
 黒神由貴はトタトタと軽い足音を立てながら、廊下を奥へ進んでいった。
 やがて着いた部屋のふすまをすらりと開ける。
 中は二十畳ほどの板の間で、壁面のひとつをほぼすべて埋めて祭壇が設けられていた。
 あきらかに、個人が家の中に作る神棚のレベルではなかった。
 この部屋こそが、黒神神社の本殿であった。

「ごくろうさま。ティラミスは買ってきてくれた?」

 祭壇に向かって正座していた人物が振り向いた。
 一分の隙もなく和服を着こなした、中年と思われる年輩の女性であった。

「買ってきました。……でもお祖母様。もうティラミスは流行りませんけど」

「浅ましく流行りすたりに飛びつくものではありません。美味しいものはロングセラーになるものです」

「でもお祖母様。何年か前にティラミスが流行りはじめているのを知って、買ってこいとおっしゃったのはお祖母様……」

「お黙りなさい。減らず口をたたくものではありません」

 女性はぴしゃりと言った。
 どうやらこの女性が黒神由貴の祖母であるらしい。
 が、母親と称しても誰も不思議には思わないであろうほど、「お祖母様」は若く見えた。

「でも、なぜ三つなんですか? 二つ召し上がるんですか?」

 黒神由貴は言った。

「もう一人、お客様がお見えになります。そのためです。今のうちにお茶の用意をしておいて」

「日本茶ですか?」

「ティラミスに日本茶が合いますか。アールグレイの新茶がありますから、それを」

 エプロンを腰に着けて黒神由貴がお茶の支度をしていると、玄関で誰かが訪う声がした。

「お見えになりました。お出迎えして」

「はいはい」

 いつもながら人使いが荒いなと思いつつ、濡れた手をエプロンでぬぐい、黒神由貴は玄関に向かった。

「ばあさん、いないのー?」

 再び、玄関から声がした。
 乱暴、というほどではないにしろ、かなり親しい間柄でないと使わないような言葉遣いだ。
 そして、その声に妙に聞き覚えがあった。
 「お客様」って、誰なのかな?
 そう思いながら玄関に出た黒神由貴は、そこに立つ人物と顔を合わせて、目を丸くした。それは相手も同様であった。

「お客様って、神代先生だったんですか」

「なんで黒神さんがここにいるの」

 二人は、同時に言った。


2.お茶を飲みつつ

 拝殿の間に案内され、ティラミスとアールグレイを目の前に置かれても、神代冴子は納得できかねる顔色であった。
 かすかに眉を寄せ、「お祖母様」と黒神由貴を交互に見る。

「何を不思議な顔をしているのです」

「お祖母様」が言った。

「いやまあなんというか、その……ま、とりあえず、これ」

 とまどいつつ、神代冴子は細長い包みを「お祖母様」に差し出した。

「ご注文のドイツワイン、シュペットレーゼ。まあまあ上物だと思う」

 それを聞いて、黒神由貴があきれて言った。

「お祖母様。私だけでなく、神代先生にまで手みやげをせびったのですか」

「いや、ドイツワインなんて安いものだからいいんだけどね」

「お祖母様」に抗議する黒神由貴をさえぎり、神代冴子が言った。

「さっきも訊いたけど、なんで黒神さんがここにいるの」

「冴子さん。逆に質問いたしますが」

「お祖母様」が神代冴子に言った。

「あなたは、わたくしの姓を知っていますか」

 神代冴子は顔を横に振った。

「うちのじいさまはいつも『黒のばあさん』としか言わないので。ん……? くろ?」

 言っている途中で気づいたのか、神代冴子ははっとした。

「わたくしの姓は『黒神』です。この由貴は、わたくしの孫です」

「……そういうことかー」

 神代冴子は全身の力が抜けたようなリアクションを取った。

「道理で、並じゃない力を持っているはずよね。初めからわかっていたら、こんなに緊張しなかったのに」

「私も、先生のこと、いったいどういう人なんだろうと思ってました」

 神代冴子が言うのを受けて、黒神由貴が言う。

「お待ちなさい。あなたたちは、お互いのことを知らないのですか」

「真言密教系の人だというのはわかってました」

「陰陽道系の能力を持った子だというのはね」

 黒神由貴と神代冴子は、ほぼ同時に言った。

「かなり前に、うちのじいさまから、将来有望というか、末恐ろしい女の子がいるというのは聞いてはいたんだけど、まさかそれが、黒神さんだとは」

「先生。その『うちのじいさま』というのは……?」

「高野山総本山の大僧正。冴子さんは、その孫です。こんな格好をしていますが、阿闍梨(あじゃり)に匹敵する立場です」

 「お祖母様」の説明を聞いて、今度は黒神由貴が目を丸くする。

「以前にお祖母様から、まだ二十歳そこそこなのにすごい能力を持った女の人が高野山にいると聞いたことはあったんですけど、それがまさか、神代先生のことだとは」

「あきれたこと。今まで、二人で協力してこなした仕事もあったのでしょうに。自己紹介ぐらいしなかったのですか」

 「お祖母様」が言った。

「知っていたのなら、どうして教えてくださらなかったんですか」

 若干の腹立ちを言葉に込めて、黒神由貴が言った。

「あなたから、新しく来られた先生の話を聞いて、もしやと思ったのです。高野山に確かめてはっきりわかったので、こうして来てもらったのです」

 黒神由貴と神代冴子は、同時にため息をついた。

「要するに、今日、私たちを呼んだのは、『顔見せ』ということですか」

 黒神由貴が言った。

「そういうことです。まあ他にも、最近あなたたちがやったことも聞いておきたかったのでね」

「黒神家っていうのは、代々『そういう』血筋なわけ?」

 神代冴子が言った。
 驚きが収まって、黒神由貴たちに興味が出てきたようであった。

「黒神家の娘として生まれた者に、そういう素質が出るようです。由貴の母親も、かなりのものでした」

「『でした』って……黒神さん、ご両親ともご健在よね?」

 「お祖母様」が言ったことに、神代冴子は首をかしげた。
 神代冴子の問いに、黒神由貴はこっくりとうなずく。
 「お祖母様」もまたうなずいて神代冴子の問いを肯定し、続けた。

「将来有望で、このまま順調に修行すれば、ひとかどの陰陽師にもなったでしょうが、あきれたことにさっさと家庭に収まり、小市民的生活を送っています」

「お祖母様。そんな言い方はやめてください」

 むっとして、黒神由貴が抗議する。

「……で、黒神さんのお母様の代わりに、黒神さんに白羽の矢が立ったと? 災難ねえ」

 神代冴子は言った。かすかに笑いをこらえている様子だ。

「で、小さい頃から、素質を思わせるようなことがあったの?」

「私はあまり覚えていないんですけど……」

「──もう十年あまり前になりますか」

 神代冴子の問いに、黒神由貴が答え、「お祖母様」が続けた。


3.適性試験

 黒神邸。
 拝殿の間に、二人の女性がいた。
 祭壇の正面、祭壇に背を向けて座っているのが「お祖母様」──黒神千代。
 そのそばに座っているのが、その娘、黒神早苗であった。
 この当時、千代は46歳、早苗は25歳であったが、姉妹といっても十分通用するほどの、千代の風貌であった。
 早苗は正座した膝の上に、5歳になる自分の娘を座らせていた。
 黒神由貴である。

「……できることなら普通の女の子でいてほしいんですけど。あまりつらい思いはさせたくないですから」

 早苗は言った。

「勝手に家庭に入ったあなたが何を言うのです。あたらあれだけの力を持ちながら」

「だから、です。力を活かすのも大切でしょうけど、私は主人と由貴の方が大事ですもの」

 千代は聞こえるか聞こえないかというほどのため息をついた。

「……まあ今さらそんなことを言っても詮ないでしょう。その代わりに、今日は由貴を連れてきてもらったのですから」

「怖い思いはさせたくないです」

「あなたのときは、平気な顔をしていましたよ。その娘である由貴も、大丈夫でしょう」

 今度は早苗がため息をついた。
 千代が立ち上がり、早苗の膝に座る由貴に向け、手を伸ばした。

「さ。いらっしゃい由貴。行きましょう」

 由貴は振り返って、母親の顔を見た。
 早苗はうなずいて、

「お祖母様と一緒に行ってらっしゃい。……でも、怖かったら戻ってきていいからね」






 由貴の手を引いた千代は、祭壇下に設けられた、高さ1.5メートルほどの両開き扉の前に立った。古風な形状の、堅牢な錠前がかけられている。
 解錠して扉を開き、中にある照明スイッチをONにする。
 セピア色の光が、扉の中を照らした。
 扉の中にあったのは、祭壇の下──地下へと続く石段であった。
 照明はいかにも頼りなく、石段の奥に何があるのかまではわからない。
 千代は由貴の手を引いて、石段を下りて行った。
 十数段ほどの石段が終わると、そこはまた平らになっていた。
 それほど広くはないが、地下の洞窟のようであった。
 照明が左右に点っているが、遊園地のお化け屋敷よりはましといった程度で、周囲の様子がわかるほどの明るさではなかった。
 千代に手を引かれてしばらく歩くと、由貴は前方の明かりに気づいた。
 左右にある照明よりは明るい。
 やがて目の前に、小さな祭壇が現れた。明かりは祭壇の灯明であった。
 祭壇は拝殿の間にあるそれよりも、はるかに古く、質素であった。

「ここが、黒神神社の奥の院です」

 千代が言った。
 黒神神社の「奥の院」の存在を知る者はほとんど存在せず、また、そもそもほとんどの者はここに立ち入ることは許されない。
 千代と由貴は祭壇の前に立った。

「手を合わせて、目を閉じなさい」

 千代の言葉に、由貴はすなおに従った。
 千代が横で何か唱えているのが聞こえた。

「はいよろしい。目を開いて」

 目を開いた由貴は、驚きととまどいで、さらに目を見開いた。
 目の前にあった祭壇が消え失せ、広大な空間が広がっていたのだ。
 照明が届かないので、実際には数メートル先程度までしか見えないが、果てしない空間が存在しているのは、感覚でわかった。

 その広大な空間の向こう──いかなる「ところ」から現れたのか、なにものかが近づいてくる気配に、由貴は気づいた。
 人ではない。そしてたぶん──由貴の知る生き物でもない。
 この世のものではない何かが、近づいてきているのだった。


4.由貴の資質

「わかりますか」

 千代が言い、由貴はうなずいた。

「ここはこの世と常世(とこよ)を結ぶ場です。あのものたちは、異界に住むもの。この世に出たがっていますが、ここは強い結界がありますから、心配はいりません。──怖いですか?」

 千代の問いに、由貴は首を横に振った。
 強がったわけではない。
 初めて目にする異界のものに驚きはしたが、恐怖は感じなかった。
 千代は、指で印を結んでいた。
 妖しどもに不穏な動きがあれば、いつでも由貴を護れるように準備しているのだ。

 20年前、早苗が今の由貴ぐらいのとき、同じようにこの奥の院に連れてきた。
 早苗も由貴と同様に妖しどもを恐れなかった。
 妖しどももまた、早苗を恐れてはいないようであった。
 ゆっくりとゆっくりと、妖しどもが近づいてくるのがわかる。
 早苗が、妖しどもに手をさしのべた。
 同時に、妖しどもは奇妙な気配を発した。
 攻撃的な気配ではない。
 もちろん殺気でもない。
 強いて言うなら、「仲間意識」に近いもの──それを、妖しどもは発しているのだった。
 そして、早苗もまた、それに応えているのだった。

 早苗は、年端もいかない頃から、妖しどもを手名付けるすべを心得ていた。
 それは天性のものであった。
 では、由貴はどうか。
 由貴も早苗と同様の力を持っているのか。
 千代が確認したかったのは、それであった。
 もう少し妖しどもが近くによれば、はっきりする。
 妖しどもは由貴に対し、どんな気配を発するか。
 「敵意」か。
 「仲間意識」か。
 いかに──
 千代は闇の向こうにいる妖しどもの様子をうかがった。

 ──なぜ来ない。

 千代はいぶかしんだ。
 妖しどもが、近寄ってこない。
 そばまで来ているのは、わかる。
 だが、あるところ以上(それは言わば、「気の間合い」とでもいうべきものだ)には近づいてこないのだ。
 千代がいるせいではないはずであった。
 早苗のときもそうであったが、千代の存在は、妖しどもにとって脅威である。
 したがって、早苗の力を見極めるため、千代は自らの気配を断っていたのだ。
 今も、千代はそうしていた。
 妖しどもは千代を恐れているわけではないはずだ。
 千代は由貴を見た。

 ──まさか。

 妖しどもは、由貴を恐れているのか。
 まさかと思いつつ、その可能性を前提に、今一度妖しどもの気配を探った。

 畏怖。

 妖しどもが発している気配は、「畏怖」であった。
 妖しどもは由貴を恐れているのだ。
 この、ようやく5歳になったばかりのあどけない娘を。

 一方、由貴は困惑していた。
 何かが近づいてくるのはわかった。
 自分はそれを怖いとは思わない。
 なのに、暗闇の向こうにいる「何か」は、自分を怖がっているらしいのだ。
 どうして?
 由貴は少し悲しかった。
 仲良くしたいのに。
 わたし、怖いことしないよ?
 そう思って、「何か」を安心させようと、由貴は暗闇の向こうにいる存在に手をさしのべた。
 そのとき、妖しどもの緊張が頂点に達した。
 妖しどもは由貴が自分たちを攻撃すると勘違いした。
 妖しどもは、一斉に由貴に飛びかかっていった。

「由貴っ、下がりなさいっ!」

 自らを盾にして由貴をかばい、千代は飛びかかってくる妖しどもに対して掌を向け、全力で「気」を発した。
 妖しどもはまるで爆発したように消し飛んだ。
 千代自身、穏やかに妖しを払いのける余裕がなかったのだ。

「戻りましょう、由貴。──目を閉じなさい」

 息を整えてから、千代は言った。
 目を閉じて、再び目を開けると、そこは元通りの奥の院だった。

 出口に向かうと、石段の下に、不安そうな顔をした早苗がいた。
 両手の指を組み合わせ、印を結んでいる。
 もうすこし二人が戻るのが遅くなっていたら、奥の院にまで来るつもりだったのだろう。

「お母様。何か大きな声が」

「心配いりません。由貴も私も大丈夫です。戻りましょう」

 そう言いながら、千代は早苗にどう話せばいいか懸命に考えていた。
 由貴の力を、このまま埋もれさせるわけにはいかない。
 なんとしても早苗を説得し、由貴の力を伸ばしたい。
 育て方によっては自分さえ凌駕する可能性もある娘。
 この娘の力は、計り知れない。


5.そして現在

「それで、由貴の両親に条件付きの了解を得た上で、わたくしの仕事を手伝ってもらうことにしたのです」

 あの日の奥の院での出来事を語り終え、「お祖母様」──千代は言った。

「条件って?」

 神代冴子が訊く。

「学業優先で、学業に影響のない範囲で退魔行を行うこと。それと、それ相応の作業代金を与えること」

 神代冴子は、口に含んだアールグレイをあぶなく吹き出すところであった。

「なに。つまり、アルバイトで陰陽師をやってるってこと?」

「そうです。情けない話です。世も末です」

「まあ、別にインチキ宗教で人をだまくらかしているわけじゃなし、それぐらいは当然でしょうよ。黒神さんだって、現代を生きる女の子なんだから」

 そこで言葉を切った神代冴子は、ちらと祭壇下の扉に目をやり、続けた。

「……祭壇の下が、ここの奥の院かあ。んで、黄泉へつながる道ってわけね」

「見てみますか」

 千代が言ったが、神代冴子は首を横に振った。

「やめとこ。妖しどもになつかれるのも怖がられるのも勘弁よ。それに」

 一瞬、神代冴子は遠い目をした。

「黄泉につながる道なら、私も見たことがあるし」


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