●出産に伴うプロローグ
牝牛ことうちの担任が第3子を出産したといううわさで、校内は騒然となった。
いや、牝牛が何を産もうとどうでもいいのだが、校内が騒然となるのは、つまり、こういうことなのだ。
牝牛が出産→出産休暇が終われば、いずれ星龍学園に復帰→臨時教師である神代先生は星龍学園からいなくなる
「冗談じゃないわよねえ。せっかくかっこいい先生が来てくれたのにさあ」
「いないよねえ。あのかっこよさで、バリバリのスポーツカーを乗り回しているって」
そう。神代先生は、学園内に膨大な数のファンができていたのである。
私?
私と黒神由貴は、もう少し複雑な感情だった。
単純なファンではない。
神代先生が臨時教師として星龍学園に赴任してきてから、けっこういろいろなことがあった。ほとんど役に立たない野次馬ではあったが、私も少なからずその出来事に関わっている。
いくら天然の私でも、神代先生が「ただの臨時教師」でないことはわかっている。
本当はどういう人なのか。
黒神由貴とは、何か関わりがあるのか。
今まで訊くに訊けなかったことだが、できることなら知らないままでいたくない。
そんなこんなで、どうしたものかと鬱々としていたある日。
「センセー、いなくなっちゃうんですかあー?」
昼休み、神代先生が廊下で生徒たちに囲まれていた。
牝牛の出産話が学園内に広まって以来、毎日のようにこういう光景を目にする。
「仕方ないでしょー。私はしょせん臨時なんだからさあ」
ひらひらと手を振り、まとわりつく生徒たちを適当にあしらう。
あしらいながら、私と黒神由貴が立っているところまでやってきた。
いや、別に私たちは神代先生を待ち伏せしていたわけではない。
食事が終わって廊下を歩いているところに、最近やたら見かける光景に、今日も遭遇したということだ。
「あら」
「どもー……」
神代先生が、私たちに気づいた。
まあなんとなく、そのまま並んで歩き出す。
「このところ、大人気ですね」
「『このところ』って何よ。『相変わらず』って言いなさい」
相変わらずの憎まれ口だ。
職員室に近づいたとき、前から教頭が歩いてきた。
私たちを認め、声をかけてきた。
「ああ神代先生。先ほど浦沢先生から連絡が入りまして。正式な辞令は少し先になるかと思いますが、とりあえずお知らせしておこうと」
私と黒神由貴は顔を見合わせた。
辞令。
お知らせ。
ついに来るべきものが来たか。
●星龍学園近くのファミレスにて
「心霊写真とかって、信じる?」
席に着いてオーダーを済ませると、神代先生が言った。
黒神由貴は口元にかすかに笑みを浮かべて肩をすくめ、私は、即答しかねていた。
「まあ……その手の本はたくさん出てますし、テレビでもたまに特集やってたり、……信じる信じないはともかくとして、嫌いではないですねー」
「微妙な答えだなー」
そう言って神代先生は笑った。
「写真技術ができて間もない頃に、すでに『トリック』としての心霊写真が作られてるのよね。当然、今みたいに二重露光なんて知識は一般人にはないから、当時の人は震え上がったわけで」
そう言って、思い出し笑いでもしたように、プッと笑った。
「まあ今でも、お粗末な二重露光写真が『心霊写真でございます』って顔して紹介されていたりするけどね」
「じゃあ、心霊写真はほとんどインチキ?」
「99パーセントはそうだと言っていいんじゃないかな? と、こういう言い方をすると、あとの1パーセントはどうなんだって言われそうだけどね」
「あとの1パーセントはなんなんですか?」
「言うなって。──言うまでもなく、見間違いよ。あるいは、無理矢理そういう風に見ようとしているか」
「ふうん……」
なんとなく、私は憮然とした。
そんなものなのかー。
黒神由貴も神代先生も、いろいろと不思議な体験をしているみたいだから、もっと突っ込んだ話があると思ったんだけどな。
「……仮に、心霊写真に本当に霊が写ったとしようか」
神代先生が言った。
「その場合、うっかりミスか、いたずらかも知れない」
「はい?」
「ほら、観光地の記念撮影していると、ポーズ取っている後ろを人が通ることがあるじゃない。あれ」
「記念撮影しているときに、霊がたまたま後ろを通ったって言うんですか。──じゃあ、いたずらって?」
んなアホな、と思いつつ、私は言った。
「テレビの街頭ロケで、レポーターの後ろでピースサイン出してはしゃいでいるバカがよくいるじゃない。あれよあれ」
「ちょーっと待って下さいよお」
さすがに私は声を上げた。
「そんなバカな話って。心霊写真が本当にあるかどうかはともかく、そんなバカな理由で霊が写るって」
「でも、それが一番写りやすいと思わない? 霊の立場になれば」
私の横で、黒神由貴が肩を震わせている。笑っているのだ。
「霊からのメッセージと言えばね」
神代先生が、話題を変えた。
いや、心霊がらみという点では、同ジャンルだが。
「ふた昔ほど前に、ポケットベルに気味悪い表示が出る話って、けっこうあったじゃない。知ってるかな?」
「ああ、そう言えば古い怪談本で読んだような。459219でジゴクニイクとか、564219でコロシニイクとか」
「そうそう。当時はけっこう話題になったりしていたんだけどね」
神代先生は、そこで一瞬言葉を切り、続けた。
「それって、今もやってるのかな?」
「はい?」
「ほら、ポケットベルって、今や使う人いないじゃない。確かサービスも停止したはずよね。……だとすると、あの当時ポケットベルを使って怖いメッセージを送っていた『存在』は、今どうしているのかな? 誰も受信しないメッセージを送り続けているのかな?」
「それは……今は、携帯がありますし」
「そうよね。今の携帯だったら、メールも画像も送れるしね。でもね」
再び、神代先生は言葉を切った。
「じゃあどうやって携帯の使い方を覚えたのでしょう?」
「もともと知っていたんじゃないですか? その人が死んで、霊になって」
ふむふむ、と神代先生はうなずいた。
「榊さんの説が正しいとすると、携帯電話が世の中に登場する以前に死んだ人の霊は携帯でメッセージを送れない、ということになるわよね。携帯だけじゃなくて、パソコンのEメールもそうよね」
「まあ……霊だって世代交代とか」
むちゃくちゃな理屈だと思いつつ、私は言い返していた。
それを聞いた神代先生の目が笑っていた。
「メールサーバーとか記録をたどれば、発信者がわからないはずはないんだけどね。結局はブラックボックスが産んだ都市伝説じゃないのかな?」
「はあ」
「今後、テクノロジーがさらに進むと、霊は何にメッセージを残すかしら」
またしても話題が変わった。
「これまで手紙とかカセットテープとかCDとか、いろいろあったけど、フラッシュメモリとかハードディスクとかに残す場合もあるかもね」
あるかなあ。と私は首をかしげた。
「あるとすると、そのメッセージは、どうやって残すのかな?」
「はい?」
さっきから、こんな返事ばかりしているような気がする。
「榊さん、そういうデータを記憶メディアに残すときは、どうする?」
「えっと……ネットからいったんパソコンの中に入れてから、適当なメディアに入れたり、直にメディアに入れたり。音声だったら、マイクで録音もできますし、デジカメだったら、何も考えなくてもメディアに記録されますし」
考え考え、私は言った。
「うん。じゃあさ。パソコンもデジカメもない状態だったら、榊さんならどうやってメディアにデータを残す?」
「はい?」
なんかいやになってきた。
この返事、もう何度目だろう。
そんなの、できるわけないじゃないですか。
私はそう言おうとした。
「できるわけないよね」
私が言う前に、神代先生が言った。
「どんな天才IT技術者だって、なんの道具もなしでメディアにデータを記録するなんて、できるはずない。よね?」
「はあ」
「だったら、幽霊になったからって、できるはずもないわよね」
「はあ」
「納得してなーい」
神代先生は笑った。
私、ひょっとしてバカにされてない?
からかわれてんじゃない?
いくらこの二人がオカルティックなことに詳しいからって、あんまりじゃねーか?
そもそも、ここに来た理由は、神代先生のためなのに。
「ノンアルコールビール、ローカロリーコーラ、お待たせしましたー」
そのとき、オーダーした飲み物がやってきた。
「はいはい、むくれない。はい、取って取って」
そう言いながら、神代先生はコーラの入ったグラスを私に手渡した。
私たちはそれぞれのグラスを目に高さに掲げた。
●出産に伴うエピローグ
廊下で神代先生に声をかけた教頭は、続けてこう言った。
「浦沢先生もお子さんが三人目ということで、この機会に子育てに専念したいという意向だそうでして」
「はい」
神代先生は言い、再び、私と黒神由貴は顔を見合わせた。
「つきましては、神代先生には浦沢先生の代理として来ていただいたわけですが、神代先生さえよろしければ、正式に当校の教員としてお迎えできないかと、そういうことなのですが……」
「やりぃ!」
思わず、私は言っていた。
そして放課後、私と黒神由貴、神代先生の三人は、星龍学園近くのファミレスに入った。言うまでもなく、正式に星龍学園の教師となった神代先生を祝うためであった。
「乾杯!」
私たちは、グラスをカチンと鳴らした。
ま、ちょっとぐらいからかわれてもいいや。
今日はめでたいんだから。