上方落語に「骨つり」という噺がございます。
とある大店の旦那の川釣り遊びにつきあっていた繁八という幇間(ほうかん。たいこもち)が、何の因果かしゃれこうべを釣り上げてしまい、これも何かのご縁と旦那に諭され、しゃれこうべを寺に持ち込んで回向をしたところ、その夜にしゃれこうべの主であるところの娘の幽霊が、繁八が住む長屋を訪ねてきて……。という、馬鹿馬鹿しい噺でございます。
これからここで語らせていただく噺は、その繁八とは別の繁八、SF的に申しますならばパラレル・ワールドのことと思っていただければ幸いにございます。
こちらの繁八も、やはり川釣りでしゃれこうべを釣り上げ、寺で回向をいたしました。
さてその夜。はたして、娘の幽霊が繁八の長屋を訪ねて参りました。
繁八の、驚くまいことか。
「あんたは昼間の骨(コツ)でやすか。なんとまあ、べっぴんはんでおましたんですなあ。で、なんでまた、あないなところに沈んでおいやしたんでやす」
しゃれこうべの主である娘の幽霊の美しさに驚きつつ、繁八は娘の身の上を聞きました。
娘の名は雛(ひな)。ある大店の娘であったが、両親が流行り病で相次いで亡くなり、親戚筋に引き取られたものの、そこでひどいいじめに遭い、思いあまって川に身を投げたのが17の歳。
哀れなことに、探されることもなく、17年もの長きにわたって雛の亡骸は川に沈んだままであったということで、繁八は娘の身の上に、大いに同情したのでございます。
「成仏できぬままに、このまま永遠に川底に骸を沈めるのかと我が身を情けなく思っておりましたところに、あなた様に見つけていただき、今日のありがたき御回向。せめてもの御礼に、今宵のお伽にと参りました次第でございます」
そう言って繁八に向かって手をつき頭を下げる娘のいじらしさ。繁八は胸のあたりがズキンとうずくのを覚えつつ、
「何を言うてはりまんねん。そんなつらいめに遭うた娘さんに、そがいなことができますかいな。残りもんでっけど、まあ酒でも飲みなはれ」
と、寝酒の残りを杯に注いで勧めると、娘──雛はすなおに受け取り、くいっと空けました。
幽霊とは言え、年端もいかない娘でございますから、すぐにぽっと上気した、その面差しの美しいこと可愛らしいこと。
ほんのりと赤く染まった目元で雛が見つめるものでございますから、やもめ暮らしの長い繁八にはたまったものではございません。また雛にいたしましても、我が身を救ってくれた大恩人でございますから、憎かろうはずもなく、やがて二人はもつれ合うように、繁八のせんべい布団に横たわったのでございました。
裾を割って露わになった雛の足の、青白いほどの白さ。血管が青く透ける胸乳に唇を這わせつつ、繁八の手は、雛のふくらはぎから太もも、さらにその上へと……
……一夜が明けまして。
遅く目覚めて、布団の上で半身を起こした繁八は、雛の姿がないことに気づきました。
昨夜のできごとが夢であったのかと思いましたが、夜具の乱れ具合は、まぎれもなく男女の秘め事があったことを示しておりました。
「わしみたいなしょーもない三十男のやもめでも、なんかの役には立ったんかいなあ」
ぽつんとつぶやくと、昨夜回向した寺へ行き、あらためて雛のために線香を手向けたのでございました。
その夜のことでございます。
戸の外に、ぽっと陰火(鬼火)が灯ったかと思いますと、ほとほとと、戸を叩く者がございました。
何者か──よもやと繁八が戸を開けますと、そこに立っていたのは、はたして雛でございました。
「あんた昨日の、雛はんやないか。どないしたんや。成仏したんとちゃうんかいな。──まあ入んなはれ」
恥じ入るように身を縮めて立っている雛に、繁八は言いました。
昨夜と同じように酒を酌み交わしつつ話を聞いたところ、どうやら昨夜の繁八との営みが、よほど嬉しかったと見えまして。
「あー、そらそやなあ。年頃の若い娘の楽しみだのなんだの、なんも知らんままに死んでもうたんやもんなあ。そらこの世に未練も残るわなあ」
「お恥ずかしゅうございます。浅ましい亡者とお笑いくださいませ」
そう言って顔を赤らめる雛の姿がいじらしく、たまらずに繁八が雛を抱き寄せますと、雛はあらがうことなく、繁八の胸に顔をうずめたのでございました。
翌朝になって繁八が目覚めますと、やはり雛の姿はそこになく、生身のようにむつみ合ったとは言え、そこはやはり幽霊、日が昇ると消えてしまうのかと、繁八は妙な感心をいたしました。
そしてその夜もまた、戸をほとほとと叩いて、雛が訪ねてまいりました。
さすがに繁八もどうやら雛が毎夜来るつもりであると察し、すでに雛が来るのを待っておりました。
軽く酒を酌み交わし、ひとしきりイチャイチャして、気づけば朝。
そんなことが六日間続き、七日目の夜のことでございます。
これまでと同様にイチャついた後、常ならば横になって寝息を立てる繁八が、今宵に限っては身を起こして、せんべい布団の上に座りました。
繁八がそうでございますので、雛も消えるわけにもいかず、身を起こして布団の上にひざをそろえます。
やがて繁八は、かねてよりの気がかりを口にいたしました。
「雛はん。生きとる人間がおるところに幽霊が訪ねてくるちゅう話は、『牡丹灯籠』のお露さんとか、けっこうあるんやが、どの話も、しまいには生きとる方が取り殺されてしまうんやが、もしかしてわしもそうなるんかな」
その言葉を聞くなり雛は顔色を変え、目に涙を浮かべてこうべを激しく横に振りました。
「滅相もございません。これはただただ、わたくしの浅ましい煩悩ゆえの行いでございます。大恩ある繁八様を取り殺すなどと、そんなことがあろうはずもございません」
そう言って、雛ははらはらと涙を流しました。
「いや、雛はんがそうしたいんやったら、わしはそれでもええんやで」
繁八の言葉に、いったい何を言い出すのかと、雛は顔を上げて繁八の顔を見つめました。
「いいええな。最初の晩こそびっくりしたけどな。雛はんがあんまり可愛らしいもんやから、わしもついつい夢中になってしもて。あんたが幽霊やなかったら、嫁になってもらうのにと思てなあ」
繁八の言葉に、雛は新たな涙を流すのでございました。
「もったいのうございます。繁八様のその御言葉だけで、わたくしには十分でございます。これで思い残すことなく、極楽浄土へ参ることができましてございます」
なんやと、と今度は繁八が目をむきます。
「そうなのでございます。言いあぐねておりましたが、この逢瀬も、七日目の今宵が最後なのでございます」
「……冥土に行ってまうんかいな」
うつむいたまま、雛はうなずくばかりでございました。
「もしも。もしもでございます。生まれ変わって再びこの世に生を受けましたならば、必ずや、必ずや繁八様に嫁にしていただきとうございます」
今から生まれ変わっても、どえらい歳の差夫婦やで。親子やがな。……と思ったものの、繁八は雛の言葉がいじらしく、大きくうなずきました。
「ほんまおおきにな。こんなしょーもないやもめの幇間がそこまで言うてもらえるて、果報が過ぎるわ。ようわかった。今度会うたら、夫婦になろな」
「繁八様のお情け、何にもましての手向けとなりましてございます。ありがとうございました」
そう言って雛は、深々と頭を下げました。
最後の別れに雛を抱きしめようと繁八は手を伸ばしましたが、その手が届く前に雛の姿が薄れ、やがて消え去りました。
あたりが明るくなっていることに繁八がふと気づくと、戸口に朝の陽が差しておりました。
かくして一人の亡者が成仏したわけでございますが、実は繁八も雛も、一つ忘れていたことがあったのでございます。
雛は昨日今日死んだのではないということを。
雛が極楽浄土へ旅立って数日、繁八は今日も、雛を回向した寺に出かけました。
ああは言っていたが、無事に極楽浄土に着いたのだろうかと、そんなことばかりが気にかかる繁八でございました。
寺の参道には露店が並び、甘味や飾り物などが売られております。
(わしが酒飲みやから酒ばかり飲ましてしもたけど、なんぞ娘らしいもんでも食べさせたかったな)
そんなことを思いながら歩いておりますと、後ろから人の声とカラコロカラコロという下駄の音が聞こえました。
「いとはん。いとはん。待っとくんなはれ。そないに早よう歩かれては、どんなりまへん」
「早よついてきてぇな、番頭はん。うち、買うて欲しいもんがいっぱいあるんやし?」
ははあ、どこぞの大店のいとはん(商家の娘)の買い物に、番頭どんが付き合わされとるんか、難儀なこっちゃな、と何気なく振り向いた繁八は、腰を抜かすところでございました。
年の頃なら16~17歳、可愛がられてのびのびと育ったであろうことがうかがえる娘が、そこにいました。
娘は振り返った繁八の顔をまじまじと見つめておりました。こころなしか、その顔に赤みが差しているように思われます。
さようでございます。そこに立つ娘は、つい先日、極楽浄土へ旅立った哀れな亡者、雛と瓜二つだったのでございます。
あまりのことに口もきけないでいる繁八と、それをじっと見つめる娘。
そこにようやく追いついた番頭に、繁八の顔をじっと見つめたまま、娘は言いました。
「番頭はん。うち、この人のお嫁さんになるさかい、お父はんに言うて」
「え゛え゛え゛え゛え゛!」
番頭と繁八は声をそろえて驚きました。
「雛お嬢はん、それはどういうことでやす。このお人は、ご存知の方なんでやすか」
「知らん。初めて会うた人やし。そやけど、もう決めてん。この人のお嫁さんになる」
その後、てんやわんやの大騒ぎになるのでございますが、娘──生まれ変わっていた雛は頑として譲らず、繁八と夫婦になるのでございますが、それはまた別のお話でございます。
どっとはらい。