3.妖しの刺青
「そのあと、ビジネスホテルに入りまして、その夜はそこで一夜を過ごして、夕方になってこちらをおたずねした次第です」
相沢純子のおぞましい話は終わった。
「……で、どういたしますか、先生」
店長が言った。
「私を頼って来られたわけですから、なんとかお力になりたいですね。異常な状況ですから警察もただちに相沢さんにたどり着くとは思えませんが、路上の監視カメラなどから足が着く可能性もありましょうし、とりあえずは相沢さんの背中の妖しがどういうものかを見極めませんと」
「先生、それはつまり、こちらの女性と」
店長がギョッとした顔で言い、幻丞はうなずいた。
「どこかラブホテルに入って、確かめましょう」
「でしたら、なんでしたら、うちのプレイルームで」
店長が提案したが、幻丞は首を横に振った。
「それはいけません店長。万が一の事態になったとき、他の女の子に危険が及ぶかもしれません」
相沢純子の話を思い出したのか、店長が身体を震わせる。
「というわけで店長。どこか適当なラブホテルはご存じありませんか」
「知り合いがやっているところがありますので、そこだったらよろしいかと」
「助かります。滅多なことはないだろうとは思いますが、うっかり警察にでも来られると面倒ですので。それでは相沢さん」
幻丞は、こころなしか頬が紅潮している相沢純子に言った。
「参りましょうか」
幻丞には察しが付いていた。
相沢淳子の頬が紅潮しているのは、緊張しているからでも、妖しに取り憑かれている自分に恥じ入っているわけでもない。
相沢純子は、これから自分がするであろう行為に興奮しているのだ。
それは妖しによってもたらされた偽りの感情かもしれないが、ある程度は相沢純子の本質であるとも言えた。この女は、そもそもは男が、さらに言うなら、性行為が好きなのだ。
妖しは相沢純子の身体を餌にして犠牲者を捕らえ、相沢純子はその過程において男と交わる。共依存というよりも、これは「共生」と言うべきかもしれない。
店長に教えられたラブホテルに入店する。通常なら誰も出てこないが、店長が連絡したと見えて、年配の女性がフロントに出て、幻丞に部屋のキーを渡した。
部屋に入ると、相沢純子はすぐに服を脱ぎ始めた。あわてて、幻丞も作務衣を脱ぐ。シャワーを浴びる余裕はなさそうだった。
常にふところに忍ばせている独鈷杵をテーブルに置く。服を脱いでしまうと護符も何もなくなってしまう。この独鈷杵だけが幻丞の武器になる。
幻丞が全裸になるのを待ちかねたように、相沢純子は幻丞の前にしゃがみ込み、幻丞のペニスを手に取った。
亀頭部分を口にくわえ、竿を両手でこすり立てる。恐れ入ったテクニックだ。あっという間に、幻丞のペニスは臨戦態勢になる。
相沢純子は立ち上がり、背伸びして幻丞の唇をむさぼった。その間も右手は幻丞のペニスをしごきあげている。
幻丞は相沢純子の股間に指を這わせた。しとどに濡れているのがわかる。すでに前戯の必要はなかった。
そのままベッドに押し倒そうとして一瞬考え、幻丞は相沢純子の手を取って、ベッドに向かって立たせ、両手をベッドにつかせて、尻を高く上げるように言った。
やや濃いめの秘毛がべっとりと濡れて、秘所にへばりついている。
幻丞は膣口にペニスをあてがい、一気に貫いた。
相沢純子が歓喜の声を上げる。
幻丞はゆっくりと動き始めた。
相沢純子の背中の刺青が、明らかに色鮮やかになっていた。叩きつけてくるような妖気も感じる。獲物を屠るチャンスを狙っているのだろう。
幻丞の動きが速くなるにつれ、相沢純子が上げる喜悦の声が高くなってゆく。もはや意味をなさない叫び声に近い。
──来た。
背中のドクロが膨れあがり、立体化しつつあった。
4.ドクロとの戦い
相沢純子の背中のドクロは、レリーフのような状態から、ついには亀の甲羅のようにまでなった。
眼球が動き、ギロリ、と幻丞をにらみつける。
相沢純子が絶頂を迎えると同時に、ドクロが大きく口を開いた。
「ぐぼあ」
ドクロが声を上げる。
幻丞はすばやくペニスを抜き、相沢純子の尻を蹴り飛ばした。
テーブルに手を伸ばして独鈷杵を手に取り、ベッドに突っ伏した相沢純子を見る。
手足を伸ばしてうつぶせになっていた相沢純子は、平泳ぎかカエルのように手足を大きく曲げた。その体勢で四つん這いになり、獣と言うより虫のような動きで壁際まで這ってゆく。人間にできる動きではなかった。
足を大きく広げているので、濡れた秘所があからさまだ。
壁際まで行った相沢純子──いや、すでに相手は彼女ではなくドクロだ──が、そのまま壁を登ってゆく。天井付近にへばりついたドクロは、ごぼごぼという声で幻丞を威嚇した。
「ごああっ」
ドクロがバネ仕掛けのような勢いで飛びかかり、幻丞は危ういところで身をかわした。幻丞の身代わりとなって食らいつかれたテーブルが、バリベリボリバリと身の毛もよだつ音を立てて砕ける。
幻丞とドクロは至近距離で向かい合った。妖しが「べっ」とテーブルのかけらを吐き出す。
ドクロは、横臥した人間が少し頭を起こしたような状態で幻丞をにらみつけている。先ほどよりもさらに大きくなったように見えた。相沢純子はカエルのような格好で四つん這いになって、幻丞に尻を向けた状態だ。滑稽な姿だが、もちろん笑える状況ではない。
この妖しに致命的な攻撃方法はあるのか。手に持つ独鈷杵では、いかにも頼りない。
気の間合い。
一触即発。
「目をつぶして!」
向こうを向いた状態で相沢純子が叫んだ。
「骸骨の目をつぶしてください!」
その声をきっかけに、幻丞とドクロは相手に向かってダッシュした。
屈むと見せかけてフェイントをかけた幻丞は大きくジャンプして天井を蹴り、真上からドクロの目を狙った。目を一つずつ潰す余裕はない。幻丞は独鈷杵を横に払い、ドクロの両眼を同時に潰した。
「げがっ」
ドクロが叫び、動きが止まった。
カエルの四つん這い姿だった相沢純子が、正座して両腕で胸を抱えたような格好で、床に突っ伏していた。
相沢純子の身体と同じほどのサイズになっていたドクロがみるみる縮み、元通りの平面的な刺青になった。両目が描かれていた部分は幻丞の攻撃によって切り傷になっていた。かなりの出血がある。
「相沢さん、大丈夫ですか」
幻丞は相沢純子に声をかけた。致命傷にならないよう注意はしたが、それなりに痛みはあるはずだ。背中の傷にタオルをあてがい、その上からブラジャーを着用させて、押さえとした。
店長が事前に念押ししていたと見え、あれだけの乱闘であったにもかかわらず、ホテルスタッフは部屋に飛び込んでこなかった。
5.多摩川河川敷の事件
「……背中の『あれ』は、まだ取り憑いたままなんですね」
ファッションヘルス「ザ・インペリアル」の応接室に戻り、背中の傷の応急手当を終えた相沢純子は、幻丞に言った。そうなのか、と言いたげな顔で店長が幻丞を見る。幻丞は力なくうなずき、
「今はとりあえず両目を潰して力を奪っていますが、根本的な解決にはなっていません。完全に祓おうとすると、かなりやっかいなことになるかと」
「いえ、これで十分です。ありがとうございました」
気落ちするかと思っていた相沢純子がそう言って頭を下げたので、幻丞も店長も驚いて相沢純子を見た。
「少しの間だけでも、『あれ』の力が押さえられれば、あとは私の方でなんとかいたします。このたびは面倒なことをお願いして、もうしわけありませんでした。些少ですが、お受け取りください」
そう言って相沢純子はけっこうな厚みの封筒を差し出した。あらかじめ用意していた謝礼と思われた。
「あとの方はって、これからあんた、どうする……」
どうするつもりなんだ、と問いかけようとして、店長は言葉を飲み込んだ。
相沢純子はその問いには答えず、また、さらなる問いかけをさせる雰囲気も与えず、「ザ・インペリアル」を立ち去った。
幻丞も店長も、顔を見合わせるだけで、相沢純子のあとは追わなかった。追えなかった、と言う方が正確であっただろう。
「……先生を持ってしても、あいつをやっつけるのはむずかしいのですか」
ずいぶんたってから、ポツリと店長が言った。
「やってやれないことはないのです」
応接室のソファに深く腰掛け、背もたれにぐったりと身体を預けて、幻丞は言った。
「ですが、ドクロの刺青を祓うと、彼女の方も無事では済まない恐れが多分に……いや、おそらくは間違いなく彼女も」
「そうなのですか……」
具体的にはわからないなりに、店長も事態の深刻さが理解できたのだろう。あやふやにうなずいて口を閉じたが、ふいに「あ」と声を上げた。
どうしたのか、と幻丞が顔を上げる。
「今日はミカちゃん出勤していますよ。入れるかどうか、確認してきましょうか」
店長なりの気遣いであるとわかった幻丞は、薄く笑いながら首を横に振った。
「いや、さすがに今日はそんな気分にはなれません。また日を改めてうかがいます」
幻丞がドクロの妖しと戦った翌々日の昼、「ザ・インペリアル」の店長から幻丞の携帯に連絡が入った。
「先日の、あのドクロの彫り物の女が死にました」
開口一番、店長は言った。
「先生はご存じありませんか。多摩川の河川敷で車が炎上した」
「ああ!」
と思わず幻丞は声を上げた。
「あれがそうだったんですか。ネットニュースで見出ししか目にしなかったので、わかりませんでした」
「あの日の翌日にレンタカーを借りて、その夜に。レンタカー屋に免許証のコピーがあって、それで身元がわかったとか」
店長は相沢純子の自殺の状況を、知る範囲で話した。
レンタカーを借りて、ガススタンドでポリタンクと灯油を購入し、深夜、多摩川の河川敷に入り込み、車内と自分に灯油をまき散らして、火を点けたと。
近くのテント小屋に住むホームレスがコンビニまで走って消防を呼んだものの、到着時には燃え尽きかけていたという。車内の遺体は性別年齢の見当も付かない状態で、レンタカー会社に連絡して、ようやく身元がわかったのだった。
「わざわざご連絡、ありがとうございました。レンタカーを借りる以前の彼女の足取りは、警察も調べないでしょう。店長の方に面倒がかかることはなかろうかと思います。彼女がラブホテルでやった殺人は……まあ迷宮入りになるんじゃないでしょうか」
「だったらいいのですが……という言いぐさも、あの女性にはもうしわけないことですが」
無念さをにじませて、店長が言う。
「先日、彼女が置いていったお金は、ホテルの修繕と、彼女の弔いに遣うのがよろしいかと。またお店にうかがいます。それでは」
通話を終えた幻丞は、重いため息をついた。
「自分ごと、刺青を処分したわけか……」
エピローグ
数時間後、また携帯が鳴った。発信者は神代冴子であった。
「私です」
『昨日、うちのじいさまから連絡があって、大阪のちょんの間にいた妖しが、どうも東京に来ているらしいので、タチが悪そうな相手だったら、退治てくれないかと言われたんだが、何かそれらしい情報は入ってないか?』
さすが和尚様は情報が早い……。感心しつつ、幻丞は神代冴子に言った。
「その件でしたら、すでに解決いたしました。詳細はまた次回お会いしたときにお話ししますので、今日のところはこれで失礼します」
『えっ、ちょっ、すでに解決したってどういう』
神代冴子が矢継ぎ早に言うのを無視し、幻丞は通話を切った。