黒神由貴シリーズ

地獄の業火 浄めの火 4


11.もっちゃんとの対話1

 灯油缶ストーブの前で、「もっちゃん」はビールケースのイスに座っていた。
 先に入った犬が、そのそばでしっぽを振っていた。

「『もっちゃん』さんですね」

 黒神由貴が言った。いかにも黒神由貴らしい言い方だ。

「もっちゃん」はうなずいた。

「こんな所にあんたたちのような可愛いお嬢ちゃんが来るなんて、珍しいことだね。……座るかね?」

「もっちゃん」は、灯油缶をはさんで自分の向かいにあるビールケースを示した。

「いえ。すぐに失礼しますので。……確認したいことがあるだけですから」

「……確認?」

 「もっちゃん」は、ちょっと驚いたような、面白がっているような目をした。

「はい」

 黒神由貴はうなずいた。

「もう……終わったんですよね?」

「もっちゃん」はにこやかに笑った。

「たぶんね。……それを確認するために、わざわざここまで来たのかね?」

「はい。……それでは、失礼しました。おやすみなさい」

 黒神由貴は軽く頭を下げると、私をうながし、ガレージを出た。



「くろかみー。あの……よくわからないんだけど、あれでいいわけ?」

 後ろを振り返りつつ、私は言った。

「うん。真理子も言ったじゃないの。『事件は終わった』って」

「そりゃ言ったけど、まさか『もっちゃん』が生きてるなんて──」

「しっ」

 突然黒神由貴は言って、真っ暗な林の中を見つめた。

「なにっ。やめてよっ。何かいるなんて言わないでよっ。それでなくても怖いんだから」

 おびえる私を無視して黒神由貴はしばらく暗闇を見つめていたが、やがて、

「なんでもないみたい。行こうか」

 そうして、私たちは「メリーさんの館」を後にし、国道へ向かった。

 タクシー拾えるかなあ……


12.もっちゃんとの対話2

 黒神由貴と榊真理子が立ち去って数分後、黒神由貴が見つめていた暗闇の奥から、人物が一人現れた。
 若い女性である。
 ──神代冴子であった。
 神代冴子は、黒神由貴たちが去って行った道を数瞬見つめ、「メリーさんの館」へ向かった。
 たき火の臭いとかすかな明かりが漏れる、半開きのガレージへ入る。

「こりゃあ驚いた。今夜は千客万来だな」

 「もっちゃん」が言った。

「こんばんは」

 神代冴子が答える。

「あんたはさっきのお嬢ちゃんたちの知り合いかね? 無関係とも思えんが」

 「もっちゃん」が人なつこい笑いを浮かべながら言った。

「私の教え子よ。……ま、いろいろあってね。顔は合わせたくない事情があるんだわ。……そこいい?」

 神代冴子は、「もっちゃん」の向かいのビールケースを指さした。

「ああ。ご遠慮なく。……あんた、おんな先生かね。そうは見えんが」

「皆さんそうおっしゃいますわ」

 神代冴子はそう言ってビールケースに腰を下ろし、ショルダーバッグから取り出した煙草に火を点けた。

「拙僧にも1本もらえるかね」

「どうぞ。メンソールだけどいい?」

「選り好みはせんよ。吸えりゃいいのさ」

 神代冴子から受け取った煙草に火を点け、「もっちゃん」はうまそうに深々と吸った。

「『畜生衣(ちくしょうごろも)』……話には聞いたことはあるけど、まさかお目にかかることがあるとは思わなかったわ」

「驚いたねえ。その名で呼ばれるのは久しぶりだ。かれこれ500年ぶりになるかね」

 神代冴子が言った言葉を聞いて、「もっちゃん」は感心したように言った。

「その名を知っているということは、あんた、ただ者じゃないね。……高野かね?」

「関係者とでも思って下さいな。……最初は『犬神』かと思ったのよ。でも、誰にも『憑いた』形跡はなかったしね。となると、まさかとは思うが……ってね。それを確かめに来たってわけよ」

 神代冴子はタバコをガレージの床にもみ消し、続けた。

「犬を首まで地面に埋めて飢えさせ、呪う相手に憑かせる……それが犬神の法。
一方、犬神を相手に憑かせず、自分自身に憑かせて力を得る……。昔それをやった僧侶がいた。まあ、外法中の外法よね。獣と化した坊主で、『畜生衣』……あたしが知っているのはそんな所なんだけど、これでいいのかしら」

「おおむねその通りだね。──あの頃、どこの地方もそうだったが、大名の年貢取り立てが過酷でね。一揆が計画されたのさ。人数では勝っても、武器や力は百姓たちにはない。そこで拙僧が一計を講じたのさ。自分自身が犬神と化して、城主を殺せば、総崩れになるだろうとね。城主や奥方、みんな殺ったよ」

「……なら一揆は大成功だったんでしょ? 仏様扱いされてしかるべきじゃない。なのにどうして『畜生衣』なんて忌まわしい名前が付けられたの。妖怪として言い伝えられてるじゃない」

 「もっちゃん」は苦笑した。

「それで終わればよかったんだがね。城主を喰い殺して……それで、『人の味』を覚えてしまったのさ。村の衆、女や子供も含めて、そう……15、6人も喰ったかな。妖怪扱いされるのもむべなるかな、てなもんだあね」

「困ったちゃんね……。さて。それじゃ現代の話をしましょうか」

 神代冴子の口調が改まった。

「あの四人を殺した理由は……復讐?」

「……この男は肝臓を患っていてね。もう長くなかったのさ。半分死にかかっていたと言ってもいいな。拙僧は、この犬の中にいたのさ。さびしかったこともあったんだろうが、かわいがってくれたよ」

 「もっちゃん」は、横にいる犬の頭をなでた。

「あの日……明け方前に、この男はすでに死んでいたのさ。そのままにもしておけないので、どこか落ちついた所に亡骸を置いてやろうと、犬からこの男の「中」に入ったときに、ガキどもがからんできたわけだな。
多少の暴行程度なら見過ごしてやったんだが、明らかに殺すつもりで殴ってきたからね。これはちょっと『おいた』が過ぎると思ってな。『教育的指導』というヤツさ」

 「もっちゃん」は笑った。

「病院から、よく逃げ出せたわね」

「死人が逃げるとは誰も思うまいて。白衣とマスクを拝借して、そのまま歩いて出たよ」

「で、病院を脱走した後は、ずっとここに隠れていたわけ? よく見つからなかったわね。ここは心霊スポットって言われていて、探検する物好きが多いはずなんだけど」

「確かに、ちょくちょく来ていたね。わずらわしいんで、結界を張ったよ。……さっきのお嬢ちゃんたちは、あっさり入ってきたようだが」

「ああ。それなんだけど」

 神代冴子は、思いだしたように言った。

「背の高い子と、小柄な子だったでしょ。……あんたはどう見る? 結界を破ったのはどっちの子だった?」

「そりゃ小柄な子だね。ひと目でわかったよ」

「やっぱりそうだったか……ちっ、あの子もけっこう食わせ者ね……」

 神代冴子は下唇を咬んだ。

「……ただ」

 「もっちゃん」は続けた。不意をつかれ、神代冴子は顔を上げる。

「ただ……何?」

「背の高いほうの子も、『素質』はありそうだったが……。修行次第で、けっこういけるんじゃないかね。本人にその自覚はなさそうだが」

「榊さんが……? そんな感じはなかったけど……でも、あんたが言うなら、そうなのかな」

 不思議そうな顔の神代冴子に、「もっちゃん」は言った。

「……で、どうするね? 拙僧を退治するのかね?」

「誰がよ」

「あんたが、だよ」

「冗談言わないでよ。本気であんたを滅するつもりだったら、こんな軽装で来ないわよ。法具のひと揃いやふた揃いは必要でしょ」

「そう言う割りには、鞄の中に剣呑なものを忍ばせているじゃないかね」

「剣呑……ああこれ?」

 神代冴子は、ショルダーバッグから独鈷杵をくるくるとバトントワリングのような手さばきで取り出した。

「これはまあ、お守りみたいなものよ。こんな物であんたを滅することができるなら苦労しないわ。……もともと、あんなガキがどうなろうと知ったこっちゃないし。自業自得でしょ」

「すると、拙僧をほっておくということかね?」

「事実としてはそうなるけど……でもね」

 神代冴子はこめかみを掻いた。

「やっぱり死んで見せないといけないんじゃないかと思うのよ。警察もこのままじゃ立場がないしね。悪いけど、現代じゃ、容疑者が雲隠れしたままってわけにはいかないのよ」

「この男が実は生きていて、ガキどもに復讐していたという筋書きかね? それはちょっと、無理があるんじゃないのかね」

 くっくっくっと、「もっちゃん」は愉快そうに笑った。

「まあね。死体を調べれば何日も以前に死んでいたのがすぐわかるだろうしね。でもそれぐらいしか『手』はないでしょう。……悪いけど、頼まれてくれないかな」

「やれやれ……。何百年ぶりかに人を喰った報いかね。ま、仕方あるまいな」

 灯油缶ストーブの炎が、神代冴子と「もっちゃん」の顔を赤々と照らす。


13.地獄の業火、浄めの火


廃墟ホテル全焼 不法居住者の火の不始末か

17日未明、国道**線沿いにある廃ホテルから出火。ホテルは全焼し、焼け跡から男性の遺体が見つかった。警視庁は不法居住していた人物と判断、この男性の火の不始末が火災の原因と見ている。
現場は約10年前から閉鎖されているホテルで、心霊スポットとしても有名だった。


わっちゃー。

 新聞記事を読んだ私の第一声だ。
 やばいよやばいよ。
 時間的に見て、私たちが出ていってすぐに燃えた感じだもん。
 まさか私や黒神由貴がうたがわれるってことは……まさか、ねえ?

「くろかみー。えらいことになっちゃったみたい。どうしよう」

 6時間目の授業が終わり、帰り支度をしながら、私は黒神由貴に言った。
 私が何もしていないのは、何より私が一番よくわかっているが、世間はそう思わないかも知れない。
 さすがにこんなことで親を泣かせたくない。

「大丈夫だと思うよ。あれは単なる失火だと思うし。真理子が気にすることじゃないって」

「そうかなあ。なんか不安というか、あそこに行ったのは事実だしさあ」

 黒神由貴はこともなげに言ったが、私の不安感はぬぐいきれなかった。

 校門を出る直前、神代先生とすれ違った。──ドキドキドキ

「あ。黒神さん、榊さん?」

 神代先生が振り向き、私たちに声をかけた。──ドキドキドキ

「はい」

 黒神由貴が返事をした。私が返事していたら、頭のてっぺんから声が出ていたと思う。

「昨日、国道**線沿いの廃墟ホテルが火事で全焼したらしいんだけどね」

 心臓が口から出そうになった。

「そこって心霊スポットで有名だったらしいけど、あなたたちはそんな所に行かないようにしてよね。──あなたたちって、そういう怖い物が好きっぽいみたいだし」

「わかりました」

 素知らぬ顔で、黒神由貴が言う。

「心霊スポットが全焼……。ねえ黒神さん、これって『地獄の業火』ってところかしらね?」

 神代先生が、くすっと笑いながら言った。
 黒神由貴はしばらく無表情で神代先生の顔を見つめていたが、

「いいえ。──あれは『浄めの火』だと思います」

「あらそう?」

 神代先生は面白そうに笑った。

「気を付けてお帰りなさいね。さようなら」

「さようなら。失礼します」

 神代先生は私たちに手を振って職員室の方へ戻り、私たちは頭を下げて挨拶し、校門を出た。

 なんだかよくわからなかったが、私は神代先生が、黒神由貴に対して一本取ったような印象を持った。
 根拠はない。
 ただ、神代先生が着任したときに、神代先生に対して黒神由貴がやったことを、神代先生は誰がやったかわかっていたのかも知れないと思った。

「あらっ」

 校門を出て少し歩いた所で、一匹の犬と出会った。
 茶色い中型犬であった。
 犬は私たちを見て、口を少し開いた。
 それはまるで、笑っているようにも見えた。

 犬は私たちが自分に気づくと、それでもう用が済んだかのように、振り返りもせずに小走りで去って行った。

「くろかみ……今の犬、『もっちゃん』が飼っていた犬……あそこにいた犬だったよね」

「そうみたい……。お別れに来たのかもね」

 それ以後、「もっちゃん殺し」と、それに関する一連の出来事が人々の話題になることはなかった。


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