土曜日の午後。
大阪市内でデザインスタジオを営んでいるカナガワ君を訪ねた。
カナガワ君は、中学時代の同級生だ。
年賀状やメール、お互いが持っているサイトの掲示板などで、近況はある程度わかっているが、顔を合わせるのは久しぶりだった。
もちろん、お互いそれなりに多忙な身であるので、あらかじめ訪問の約束は取り付けている。
カナガワ君の事務所は集合住宅の1階を自宅兼用で使っている。
4LDKの応接ルームが仕事場だ。
フリーデザイナーとしてカナガワ君一人で仕事をしているので、それほど手狭なことはない、とカナガワ君は言う。
お互い遠慮する間柄でもないので、キッチンで彼が淹れたなかなかうまい紅茶を飲みつつ、世間話に花を咲かせる。
カナガワ君の顔を見たとき、妙にやつれているような印象を受けた。
疲れ気味なのかも知れない。向こうから見れば、こちらもそう見えているだろう。
しばらくは相も変わらず不景気な現状を嘆いたりしていたが、ふと、彼が言った。
「こないだ、変な電話があってさ」
「変な電話?」
「うん。2、3日前の夜中の12時頃やったかな。次の日納品予定の仕事が片づいて、机の上を整理してたときにかかってきて」
「うん」
「夜中でも緊急の修正が入ることがあるからね。で、出てみたら、変な電話だった」
「どう変なん?」
「電話を取って『カナガワです』って言ったら、『帰ってきました』って」
「それだけ?」
「うん。──で、思わず『は?』って言ったら、もう一度『帰ってきました』って。気味が悪かったんでそのまま黙ってたら切れた」
「変なの」
「変やろ」
「……間違い電話?」
「としか思えないんやけどね」
「あ」
と、私はふと思いついて言った。
「和美さんじゃないの?」
和美さんというのは、カナガワ君の奥さんである。
確か入籍はしていなかったはずなので、正確に言うなら「内縁の妻」ということになるのだが。
その和美さんが、少し前から実家に戻っているという話を、カナガワ君から以前に聞いていた。
二人の間に何があったのかまでは知らない。
そういうことは訊かないのが礼儀というものだ。
その和美さんからかかってきたのではないかと思ったのだ。
「そんなはずはない!」
こちらは何気なしに言ったのだが、思いがけず強い調子で、カナガワ君は否定した。
「和美から電話がかかってくるわけがない!」
私が驚いて目を丸くしていると、カナガワ君はすぐに我に返った。
「ああ。いや。……ごめん」
二人の間に、何となく沈黙が落ちた。
それ以上「変な電話」について訊くのもはばかられて、私は無言で紅茶をすすった。
そのとき、インターホンが場違いに明るい音で、ピンポーンと鳴った。
私もカナガワ君も一瞬カラダをこわばらせたが、すぐにカナガワ君は立ち上がって、インターホンのトークボタンを押して応えた。
「はい」
『……帰ってきました』
インターホンのスピーカーは、確かにそう言った。
今にして思えばインターホンの前でカナガワ君は立ちすくんでいたのだが、私はそれに気づかず、気を利かしたつもりで、玄関に出た。
ドアを開けると、カナガワ君の奥さん、和美さんの見知った顔が立っていた。
「帰ってきました」
かすかにほほえんで、和美さんは言った。
「ああ、やっぱり和美さんだったんですか。そうじゃないかと……」
そこまで言ったとき、背後で奇声が聞こえ、振り向くとカナガワ君がゴルフクラブを振り上げて向かってくるところであった。
「ぐるああああああああ!」
わけのわからないことを叫びながら振り下ろされたカナガワ君自慢のパーシモンのドライバーは、和美さんの頭部にヒットした。
一撃で、和美さんの頭の上半分がつぶれた。
その場に崩れ落ちるように倒れた和美さんに、カナガワ君はなおもドライバーを振り下ろした。
「くぉのくそったれがあ! 帰ってくるんじゃねえよ! 何度ぶち殺せばわかるんだ!」
そんなことを叫びながら、何度も何度も振り下ろした。
数え切れないほどの殴打で、和美さんの頭部や上半身は、何かわけのわからない状態になってしまった。
あまりのことにその場に立ったまま腰を抜かしたような状態になっていた私だったが、カナガワ君がドライバーを振り下ろすのをやめたので、のろのろと電話を置いてある部屋まで行き、警察に連絡した。
あれこれと、うんざりするぐらいしつこく、事情聴取を受けた。
私が犯人扱いされたというわけではない。
私が唯一の目撃者だからだ。
取り調べの係官に対して説明していて、妙に話が食い違う部分があった。
被害者について話しているときであった。
「殺されたのは、近所の新聞配達店の奥さんです。集金に来られたときに襲われたようです」
耳を疑った。
「奥さんの和美さんですが……容疑者の家を捜索したところ、キッチンの床下収納スペースから、遺体が発見されましてね。鑑識によりますと、死後約1ヶ月ということです」
係官が言うには、和美さんを殺したのはカナガワ君であるらしい。
死体を床下収納に隠し、和美さんが出て行ってしまったということにしたのだ。
世間にはありがちな事件であった。
殺人を犯した犯人が、罪の意識にさいなまれて錯乱状態になるというのもまた、よくある話だろう。
だがしかし、やはり私としては納得しかねていた。
玄関先に立っていたのは、間違いなく和美さんだった。
ドアを開けたのは私なのだから、見間違うはずもない。
安っぽい怨霊復讐譚が頭に浮かんだ。
殺された和美さんが帰ってきて、カナガワ君に復讐する……
私は軽く頭を振って、ばかげた考えを振り払った。
ナンセンスだ。
本作は以下のリンク先で朗読が聴けます
https://www.youtube.com/watch?v=11m1-3sD4Gk
朗読:あげまきよりか様