単品怪談

かまいたち


「先生、これは『かまいたち』なの!」

 少女はそう訴えていた。
 当時、中学3年だった彼女は、私が院長を務める心療クリニックの患者であった。
 自傷癖。自らの身体を傷つける行為を、少女は繰り返していた。
 来院した当初はなかなか心を開こうとしなかった少女だったが、やがて、自傷する理由を私に告げた。それが、「この傷は『かまいたち』がやった」であった。
 かまいたち。突然、腕や足にぱっくりと傷が開く現象を言い、俗に言うところの妖怪だ。イタチのような姿で、両腕の先が鎌になっていることから、その名があるという。子供の頃にマンガ雑誌か何かで見た記憶がある。
 切々と訴える少女には気の毒だったが、少女の身体の傷が「自分の手が届く場所にしかない」以上、私としては自傷癖患者として扱うしかなかった。だからといって、少女の言葉を頭から否定してかかるわけにもいかず、やっかいであった。
 どう治療を進めるかと考えあぐねていた私の悩みは、あっけなく消し飛んだ。
 少女が失踪したのであった。それも、自宅の自室内に大量の血痕を残して。血痕が少女のものだとして、致死量かどうかは微妙であるということであった。
 それっきり、数ヶ月経った今も、少女の行方も生死も不明である。



 近頃、「切り裂き魔」が出没している。
 突然、鋭い刃物で腕などを切られるのだ。奇妙なことに、被害者たちはいずれも加害者を目撃していないのだという。

「切り裂き魔と言うよりも、まるで、あの子が言っていた『かまいたち』だな」

 その日の診療を終え、私は診察室で看護師長と雑談を交わしていた。

「ああ。あの自傷癖の。どこに行ってしまったんでしょうねえ」

 カルテを片付けながら、彼女は言った。

「あまり悪い方向へは考えたくないですけど、部屋に大量の血痕があったってい」

 看護師長が突然言葉を切ったので、私は顔を上げて彼女を見た。
 看護師長の喉から滝のように血が流れ、白衣を真っ赤に染めていた。
 呆然としていると、今度は私の左腕に鋭い痛みが走った。痛みの部分に目をやると、白衣の二の腕あたりがスッパリと切れていた。見る見る血があふれ出す。

「ほら先生。ほんとに『かまいたち』だったでしょ?」

 どこからか、あの少女の声が聞こえた。
 もしかすると私は、「かまいたち」という妖怪を世に放ってしまったのではないか。
 そんな妄想が浮かび、私は戦慄した。
 少女の狂笑が、診察室内に響く。
 いつまでも。
 いつまでも。


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