1件の書き込みから始まる
8月初旬の午後、自宅でなんとなくネットをさまよっていたとき、携帯が鳴った。
応答するなり、怒りを含んだ声が耳を打った。
『今、何してるっ?』
「別に。フローズン・ヨーグルト食べながらネットしてる」
『ったく、いい若い娘が……ま、ネットにつないでるならちょうどいいや。めだかっちのサイトを見てみてよ』
「どうしたってーのよ。……ん。見たよ。何も変わったことないじゃん」
【めだか’S SCHOOL】というタイトル・ロゴが表示され、ブルーを基調にした壁紙に、メニューが並んだ。
そのタイトルが示す通り、学校を模した作りになっている。
イラストが掲載されている【美術室】や、掲示板の【視聴覚室】。
WEBマスターの日記が載った【職員室】。
「めだか」というのは私たちの友人のハンドル・ネームで、このホームページは去年の秋に開設したものだ。
ちなみに私は「りえぞう」で、今話している携帯の相手は「PINK」である。
『トップページじゃなくてっ。け・い・じ・ば・んっ!』
「なんだっつーのよ」
昨日の深夜……AM1:00だから正確には今日だが、書き込みが1件あった。
>はじめまして。「えいこ」と申します。きれいなホームページですね。
>見ていると楽しくなってくるようなイラストで、素敵です。
>またおじゃましてよろしいでしょうか?
(いいこと書き込んでくれてるじゃん……あ、レスが付いてる)
そのレスを見て、私は目を疑った。
>>ようこそいらっしゃいませ! そう言ってもらえるだけで光栄ですわん♪
>>お気軽に、いつでもいらしてくださいね。お待ちしております。 (^_^)/~
>>めだか
「ちょっとっ! なんなのよこのレスはっ! あんたが書き込んだのっ?」
叫んだのは私であった。
『んなわけないでしょうが! あんたが書き込んだのかと思って、電話したんだから!』
「じゃあ誰なのよ。ですわん♪文体を使うのって、他に誰がいる? ……と、メルアドは未記入か。ちっ、どこの誰だろ」
『どう思う? やっぱ荒らしかな』
「……書き込みそのものはまともだからねえ。しばらく様子見た方がいいかもね」
私たちがレスに対して不信感を抱いているのには、わけがある。
事情を知らない人が見れば、初来訪者の書き込みに対するWEBマスターのレスのように思うだろうが、この書き込みに関しては、絶対にそうではないことが、私たちにはわかっていた。
なぜなら、このホームページのWEBマスターである「めだか」は、今年の1月に亡くなっているからだ。
少し回想する
「めだか」とは、私が加入しているプロバイダが設置している「はっぴーぼーど」という会議室で知り合った。
あれこれ話したりしているうちに、年齢が近いこと、互いに行き来できる程度に家が近いこと、などなどがわかり、同様の形で知り合った「PINK」ともども、私たちは急速に親しくなった。
全員が女性であったことも一因であったかも知れない。
正確に言えば「めだか」は私よりも2歳お姉さんだったが、小柄できゃしゃなせいもあって、彼女は私たちの妹のような感じだった。
「めだか」を奪った病名は……まあ、いいだろう。いまだ有効な治療法が確立されていない難病だ。
ネット仲間たちに「めだか」が亡くなったことを知らせるメールは、私が配信した。
「はっぴーぼーど」にも彼女の死を悼む書き込みが、大量にあった。
彼女を直接知る人はもちろん、ネット上の彼女しか知らない人からも。
愛すべき彼女の人柄ゆえだったと思う。
私も含め、現実における彼女の知り合いは、彼女の念願であったホームページの閉鎖を惜しんだ。
そこで、私たちは「めだか」のご両親に無理を言い、ホームページの継続をお願いしたのだ。
結果、【めだか’S SCHOOL】は私が管理することになった。
管理……と言ったって、ページがおかしなことになっていないか、数日に1回程度のぞくぐらいだ。
作者でない私が、新たなコンテンツをUPできるわけでもない。
幸いなことに、「めだか」の死後もホームページは賑わった。
ネット上の友人たちが、いまだ「めだか」が生きているかの如く語りかけ、書き込んだからである。
だがその書き込みも、「めだか」が亡くなって半年以上過ぎた今、新規に書き込まれることは少なくなっていた。
今回の「えいこ」さんのようなのは、本当に珍しいことなのだ。
おそらく検索エンジンか何かでヒットしたのだろう。
レスが付く
しばらく様子を見ることにしたのは、「えいこ」さんに対するレスに悪意が感じられなかったからだ。
掲示板荒らしをするつもりだったのなら、いくらでも悪質な書き込みができたはずである。
その後も「えいこ」さんはちょくちょくやって来ているらしく、掲示板にも書き込みがあった。
私や「PINK」も、「めだか」のことは伏せたままで、自己紹介の後、何度かレスを付けた。
それで、「えいこ」さんはたまたま【めだか’S SCHOOL】に来た人だとわかった。
絵に興味があるのも道理、美大生であった。
「めだか」を騙る人物のレスも、何度か「えいこ」さんの書き込みに付いた。
……「PINK」にも言えないことなのだが、実は私は、「めだか」を騙る人物のレスを、心のどこかで楽しみにしているような気がしていた。
「めだか」だったらこういうレスを付けるだろうな、と思っていると、本当にそういう風なレスが付いた。
コンピューターの扱いにたけた人だったら、なんらかの方法で書き込みの主を捜すことはできるのだろう。
だが、それは私たちには無理な話だった。
「誰か、めだかっちの知り合いがやってるってことはないのかな」
そんなことを「PINK」と話したこともある。
「お兄さんがいたじゃん。あの人とか、さ」
「だったらめだかっちの名を騙ることもないと思うなあ。素直に兄ですって言えばいいでしょーに」
「そっか。……でもさ、不思議なのよね。あの偽めだかっちの書き込み見てると、なんか変に懐かしい気分になっちゃう」
どうやら「PINK」も同じことを思っていたらしい。
「なんか、うっかりしたら、めだかっちを相手にしてる気になって、レスを付けてしまいそうになるよね」
「まあね。……正直言って、私もそんな気になったことある」
様子を見ることにした私と「PINK」は、一つ取り決めをしていた。
「偽めだかに対し、正体を追求するような書き込みをしない」ということだ。
それによって偽めだかが激昂し、一気に掲示板が荒れるのを恐れたのだ。
偽めだかの正体を探るよりは、とりあえずサイトの平和を維持することを選んだ私たちであった。
サイトが閉鎖される
私たちだけがやきもきしていた事態は、あっけなく終わることになった。
「めだか」のサイト、【めだか’S SCHOOL】が閉鎖されることになったのだ。
プロバイダからの強制でも、偽めだかが荒らしたためでもない。
「めだか」のご両親の意向であった。
……もちろん、プロバイダの料金が負担になるから、などというような理由ではない。
娘の思い出をすべて残しておきたいのはやまやまであるが、自分たちで管理できる物だけにしたい、ということらしい。
連絡を受けた私は絶句してしまったが、了承しないわけにはいかなかった。
数日後、私は「めだか」の家に行き、「めだか」のパソコンからオンラインで、サイトの閉鎖手続きとプロバイダの退会手続きを取った。
実際に閉鎖/退会になるのは月末なので、あと2週間は継続される。
しかし、「めだか」のサイトが無くなってしまうのは、間違いない。
ぐったりした気分で帰宅し、パソコンを立ち上げた。続いて、ネットに接続する。
もう習慣になってしまっている。
【めだか’S SCHOOL】へ行く。
見慣れたトップページを見ながら、早いうちに閉鎖の告知を載せないとな……と考える。
【視聴覚室】へ飛ぶ。
今日も「えいこ」さんが来ていた。時間を見ると、書き込んだのはついさっきだった。
>ついつい来てしまいますう。
>学校の課題がいっぱいあるのになー。
>めだかさんのイラストを見てるとほっとしますけど、
>あんまり素敵だから、影響受けてしまいそうで。(*^_^*ゞ
>えいこ
で、偽めだかのレスも付いていた。これまた、つい数分前の書き込みだ。
>>影響だなんて、お恥ずかしいですわん♪ (*^_^*)
>>すべての芸術は模倣から。って?
>>きゃあ~~~~~~~っ!(*^o^*)
>>めだか
普通に読めば、微笑ましいやりとりだ。
だが、今日の私は虫の居所が悪かった。……で、キレた。
>>>いいかげんにしてくれない?
>>>「めだか」は今年の1月に死んじゃったのよ。
>>>あなた、いったいどこの誰なの?
>>>「めだか」のふりをして、何が楽しいの?
>>>さっさと消えてよ。
>>>私たちの思い出を、壊さないで!
>>>りえぞう
新規書き込み覧に一気に記入し、ただちに送信ボタンをクリックした。
もう、どうなってもいいつもりでいた。
どうせあと2週間で閉鎖されてしまう。
それまでに、はっきりと白黒つけてやる。
「めだか」のサイトを荒らさないために様子を見る、という考えは消し飛んでいた。
私の書き込みが掲示板にUPされて数分。
もし偽めだかが引き続きここを見ているなら、もういい頃だ。
更新ボタンをクリックする。
パラパラと画面が動き、更新されてゆく。
偽めだかの書き込みが、あった。
「ちよっと……何言ってんのよ……こいつ……」
>>>>ごめんね。
>>>>でも、みんなと話せて楽しかった。
>>>>それと、りえぞう、携帯のメダカ型のアクセサリー、ありがとね。
>>>>うれしかった。
>>>>それじゃね。
>>>>めだか
また回想する
あまり趣味のない私ではあるが、ひとつ、あるにはある。
牛革を使用して小物を作ることである。
と言っても、一番大きな物でも携帯ケースぐらいなのだが。
しょせん我流の趣味。人様にお見せできるような物はない。
ただ、自分の携帯ストラップに付けるアクセサリー、これは我ながら気に入っていた。
おかっぱ頭の女の子のシルエットに、「りえぞう」とひらがなで文字を打ったものだ。
これを気に入った人物が、もう一人いた。
「めだか」である。
私が付けているのに気づき、自分も欲しいと言い出した。
「いつでもいいし、デザインはおまかせで♪」
「えー? こんなのでいいのお? やだ恥ずかしいってば」
そうは言っても、ほめられるとうれしいものだ。
「わかった。いつでもいいんだね。じゃ、催促なしってことで」
「やったー♪」
私はうそを言ったわけでも、すっぽかすつもりだったわけでもない。
ただ、元々不精だったのと、たまたまその頃仕事が忙しくなったのとで、ついのびのびになっていたのだ。
……でも、やはり何を言ってもいいわけになってしまうだろう。
結局私は約束を破ってしまった。
とりあえず完成して、さていつ渡そうかと思っているとき、「めだか」が危篤状態になったのだ。
そのまま意識は戻らず、「めだか」は亡くなり、私はアクセサリーを渡すタイミングを失ってしまった。
アクセサリーは、めだかのシルエットになっている。それに、「MEDAKA」と入れた。
せめて、「めだか」の意識があるうちに手渡したかった。
それが、悔やまれて悔やまれて悔やまれて悔やまれて、でも、もうどうしようもなかったのだ。
ネット仲間への連絡、通夜、そして葬儀。
顔の部分が開いたお棺。
そこをのぞき込み、それぞれ、最後の別れを告げる。
「PINK」は泣きじゃくって、最後の別れができる状態ではなかった。
私も似たような状態だったが、やらないわけにはいかなかった。
私は、おだやかな顔の「めだか」のそばに、アクセサリーを埋め込んだ。
「間に合わなくて、ゴメン」
それだけ言って、私はお棺を離れた。
あのとき、私がアクセサリーをお棺に入れたことなど、誰も知らないはずなのだ。
それを知っているって、つまり、あんたは。
またおいで♪
「なんで偽物のあんたがそんなことを知ってるのよっ!」
私はモニターを両手でつかみ、顔がくっつくほど近づいて、叫んでいた。
「それってつまりっ、それって」
あんた、本当の「めだか」なのっ?
そのときの私は、混乱……と言うより、やはりある種の狂気に陥っていたという方がふさわしいと思う。
聞こえるわけもないのに、私は、モニターの向こうの「めだか」をなじっていた。
「なんでもっと早く出てこないのよっ! みんな、どんなに会いたがっていたかっ!」
「あんたのこと心配して、あんたのこと、掲示板にいっぱいいっぱい書き込んで」
「あんたに会ったこともない人だって、何人も何人も」
「みんな、どんなにあんたのことを思っていたか、あんた、わかってたのっ!」
「だから!」
「だからっ!」
「あんたは死んじゃいけなかったんだよっ!」
……どのくらいの時間がたったか、ぐしぐしとしゃくり上げながら、私はモニターから顔を離した。
ふっと、いつもモニターの隅に常駐させているカレンダーが目に入った。
8月15日。お盆。
「今、お盆……めだかの初盆……だから、戻ってきたわけ? だから、会いに来てくれたわけ……?」
あまりの律儀さに、笑いがこみ上げてきた。
笑いながら、涙が止まらなくなっているのにも、気づいていた。
「やっぱあんた、バカだ……お人好しすぎる……」
笑いながら、泣きながら、もう1度更新ボタンをクリックした。
「PINK」と「えいこ」さんの、私を心配する書き込みが、それぞれ2度ずつ書き込まれていた。
それ以後、偽めだか……いや、「めだか」の書き込みはなかった。
その後、私たちは【めだか’S SCHOOL】のデータを、それぞれのパソコンに移した。
これで、サイトが閉鎖されても、いつでも【めだか’S SCHOOL】を見ることができる。
「PINK」と「えいこ」さんは、自分たちもホームページを作ると言っている。
「PINK」は掲示板を、「えいこ」さんはギャラリーを引き継ぎたいのだと言う。
それって、いいかも知れない。
さて私は……今のところ、これといった動きはしていない。
【めだか’S SCHOOL】を開き、掲示板の過去ログを読んだりしている程度だ。
生前の「めだか」の書き込みを読み、お盆の間の出来事を思い返して、私は時たま考える。
もしかしたら、いつかまた、「めだか」がこの中の掲示板に書き込むかも知れない。
たとえば、こんな風に。
>知らないうちにサイトが無くなっていて、びっくりしたわん♪
そしたら私は、
>>いらっしゃいませ。お待ちしていましたわん♪
と、返答してやるつもりでいる。だから、またおいで。
若くして逝ったいさな君と、
彼の人柄を愛したすべての方々に、
本編を捧げます。
(推奨BGM:BIGIN「涙(なだ)そうそう」)