けちがん【結願】 〔仏教用語〕
日数を定めて行う法要・修法の終了すること。満願。
御住職は、かなり早い時期からその女性に気づいていた。
30歳……あるいはもう少し若いか。
なんとなく幸薄そうに見えるのが気にはなるが、まずまずの美形ではある。
何か「願」をかけているのであろう、毎早朝、欠かさずお参りをしている。
どんな「願」なのだろう?
御住職はつい興味を持ってしまう。
子供のことだろうか? いや……子持ちには見えない。
いずれにしても、日頃はせいぜい爺さん婆さんが散歩を兼ねて来る程度の、これといって「売り」のない貧乏寺なのだ。
御住職が気にかけるのも無理からぬところであった。
その朝も、その女性はいつも通りにお参りにやってきた。
女性がお参りを終えるのを待ち、御住職はついにその女性に声をかけた。
「いつも熱心にお参りをされていますね」
女性も突然御住職から声をかけられて驚いたようだが、
にこやかにほほえんで頭を下げた。
「お急ぎでなければ、お茶でもいかがですか。
……なに、退屈な説法などいたしませんよ。ご安心を」
「……実は、今日が結願だったんです」
二人が向かい合って茶を飲んでいるのは、意外に趣味のいい茶室だ。
……ただ、今飲んでいるのは抹茶ではなく、御住職とっておきの玉露であった。
「ですから、今日御住職から声をかけていただかなかったら、お話しすることもできませんでしたわ」
「そうでしたか……で、どういう願をおかけになったのです?」
女性はにこやかにほほえんだが、しかし、御住職のその問いはきっぱりと拒否した。
「いえ、願の内容については、ちょっと。……ただ……」
「ただ……なんです?」
「最初は、ただ盲信的に神頼み、いえ、仏様にお願いをしていただけだったんですが、不思議ですね。毎日お参りしているうちに、自分自身が何もしないでいても仕方がないんだとわかってきまして……今日、決心がついたんです」
「なるほど……けっこうけっこう」
うんうん、と御住職は大きくうなずいた。
「私が言うのもなんですが、それが一番です。
御仏にすがるというのは、御仏に何かをしてもらうということではない。
そうではなくて、自分が何かをなすための力を、御仏から授かるということなんですな。
いやいや、お若いのに感心なことです。
また、いつでもいらしてください。歓迎いたしますよ」
「ありがとうございます。今日はごちそうさまでした」
去っていく女性を、御住職は長い間見送っていた。
このせちがらく荒廃した世の中にあって、なんとすばらしい女性であることか。
どんな「願」であるにしろ、うまくいくことを願わずにはいられない御住職であった。
その日の夜。
女性は実家からこっそり持ち帰った父親の散弾銃に、弾丸を込めた。
念のため、予備に5~6発ポケットに入れておく。
タクシーを拾い、30分ほどの距離にある不倫相手の男の家に向かう。
チャイムで出てきたのは、男の妻であろう。
胸の真ん中に向け、銃の引き金を引いた。
棒のように倒れた女をよけ、男の家に上がり込む。
銃声に驚いて、中学生ぐらいの少年と、小学高学年ぐらいの少女がリビングから出てきた。
立て続けに、2発撃つ。
少年は胸、少女は腹に命中した。
まだ動いているが、たぶん致命傷だろう。
リビングに入る。
男が、ビールが入ったグラスを持ったまま、呆然としていた。
女性を見て、何か言おうとする。
「……と、ともこ、お前、いったい何を」
「さよなら部長」
女性は引き金を引いた。
男の顔が消滅した。
家族全員の死亡を確認し、リビングのイスに座った。
ちょっともたもたしつつも、引き金に足の親指を引っかけ、銃身の先を口にくわえた。
口一杯になった銃身が、男との情事を一瞬思い出させた。
くすっと笑った瞬間、女性は足の親指に力を込めた。
女性の後頭部が吹き飛んだ。
大願成就。
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朗読:ビストロ怪談倶楽部様