単品怪談

おじさん遊ばない?







 朝刊の社会面を開くと、その記事が目に飛び込んできた。

「都会の死角」

 見出しにはそう書かれていた。
 記事は、東京で起きた事件を報じていた。
 事件が起きたのは、私がつい先週泊まった地域だった。
 そのときに出会った娘のことを私が思い出したのは無理からぬところだろう。
 奇妙な娘であった。



 私はよろず雑文書きを生業としている。
 その日東京まで出向いたのも、取材のためであった。
 取材そのものはどうということはなかったが、あれやこれやと時間を取られるのはわかっていたので、あらかじめビジネスホテルを予約しておいた。

 夜、ホテル近くの居酒屋で食事を取ると、さて、もうこれといってすることもない。
 下戸なので、部屋に戻って晩酌の続き……というわけにも行かない。
 人肌恋しい気分ではあったが、吉原のソープランドまで繰り出すのもおっくうであった。
 居酒屋を出てホテルまでの道を戻っていると、道ばたの暗がりに女性が何人か、数メートルずつの間隔を空けて立っていた。
 私がそばを通ると、「チュッチュッ」と口を鳴らしたり、「オニイサン」と異国のアクセントで声をかけたりした。
 俗に「立ちんぼ」と言われる、春を売る女たちだ。
 国籍は、日本、中国、韓国と、さまざま。
 つまりここは、そういう地域なのだ。
 昼間、ホテル最寄りの駅に着いて、すぐにわかった。
 駅周辺に、やたらとラブホテルがある。
 「商談」が成立すると、近くのホテルに入ってひと仕事、というわけだ。

 「立ちんぼ」を相手にするのも、ちょっとな……

 声をかけてくる女たちを無視しながらホテルへ向かいつつ、明日、ソープですっきりしてから新幹線に乗るか……などと考えた。
 そのときに声をかけてきたのが、あの娘だった。
 女が立っていたのはわかっていた。
 それまでと同じように、顔を見ることもなく通り過ぎかけたところに、声がかかった。

「おじさん、ヒマ?」

 お・じ・さ・ん?
 微妙に引っかかった。
 確かに若くはないかも知れないが、俺はまだ30代だぞ。
 思わず立ち止まって、振り返る。
 若い娘だった。
 二十歳になるかならないか、というところか。
 デニム生地のジャケット、カラフルなシャツ、Gパン、腕にはブレスレット。
 まあ年相応と言った風体だ。
 さっきの言葉のアクセントから、おそらくは日本人だろうと判断した。
 私が立ち止まったのを見て、娘は軽く笑った。

「遊ばない?」

 近寄っていくと、OKと見たのか、娘は指を1本立てた。

「これでどう? ホテル代は別だけど」

「えらく安いんだなあ」

 私が言うと、娘は「フフッ」と小さく笑って、近くのホテルに入った。

 シャワーを浴びて、娘と並んでベッドに腰を下ろし、缶入りジュースで喉を潤す。
 普通のサラリーマンには見えないが仕事は何をしているのかと訊くので、雑誌なんかにいろいろな記事を書いたりしている、と答える。

「じゃあいろんなこと知ってるんだね」

「そうでもない。知らないことはいくらでもあるよ」

 「本を書く人かあ……」と、娘はつぶやいた。
 娘の歳を訊くと、18歳ということであった。
 確かに、それぐらいの顔立ちだ。
 会話に間が空いて、娘が自分の缶をベッドサイドの棚に置き、次に私の缶も取り上げて、並べて置いた。
 そのまま顔を近づけてきた娘に、キスをする。

 かすかに、娘の口が臭った。

 シャワーを浴びたとき、歯も磨いたのだが……
 何か臭いの強い食べ物でも食べたのだろうか。
 キムチとか。餃子とか。
 が、そういうたぐいの臭いとも違うように思った。
 あるいは胃でも患っているか。
 いずれにしても、このあたりのたしなみに欠けるのが、「立ちんぼ」たるところだろう。
 上級クラスのソープだったら、こういうことはあまり無い。
 まあ、もっとも、私もいつまでも娘と唇を合わせていたわけではなかった。
 娘の体に巻かれたバスタオルを取り、首筋から胸元へと唇をはわせてゆく。
 その流れで娘をベッドに横たわらせ、愛撫を続ける。
 娘の口から、小さなあえぎ声が漏れ始めた。

 心の中で、ちょっとだけ胸をなで下ろした。
 こういう行為において、男にとって何がつまらないかと言って、「マグロ」の女ほどつまらないものはない。
 こちらが何をしようと、全く反応がなく、面倒だからさっさと済ませてくれと言わんばかりの女。
 逆に、触れるか触れないか程度で「いい」だの「感じる」だのとわめき散らす演技過剰な女も興ざめだ。
 身勝手な男のエゴだというのは百も承知だが、男とはそういうものだ。

 娘は、そのどちらでもなかった。
 ああいう出会い方をしていなければ、素人かと思うような、普通っぽい反応であった。
 娘の潤った部分とつながるため、枕元のゴムを手に取った。
 そのときであった。

「ゴム付けなくてもいいよ」

 娘が言った。
 今時、そんな恐ろしいことができるものか。

「ま、お互いのためだし」と言って、装着した。

「いいのに」

 娘はクスクスと笑った。
 私は娘の中に入っていった。

 有名な都市伝説に、「エイズハリー」「エイズメアリー」という話がある。
 外国で、魅力的な異性と知り合い、そのまま情熱的な一夜を過ごす。
 夜が明けると相手の姿はなく、洗面所の鏡に「エイズの世界へようこそ」と書き残されていた、という話だ。
 知り合った異性が男性の場合は「エイズハリー」で、女性の場合は「エイズメアリー」だ。
 エイズをネタにした、ありがちな話と言えばその通りだが、絶対あり得ないと言えないところが不気味な話ではある。
 そんな話が頭のどこかにあったのかも知れない。
 自分が都市伝説の主人公になるのはまっぴらだった。

 やがて、娘の中で果てた。
 ベッドサイドのティッシュを数枚取り、娘の額の汗をぬぐってやろうとした──のだが、思ったほどには娘は汗をかいていなかった。
 本気っぽいようにも感じたのだが、やはり多少の演技はしていたということなのだろうか。

 シャワーを浴びて、汗やもろもろの性交渉後の残滓を洗い流す。
 シャワーを浴び終えたら服を着てさっさと出ていくかと思ったが、娘はバスタオルを体に巻いたまま、不安げな顔で私に言った。

「ねえ、おじさん。あたしとして、何か変じゃなかった?」

 どきっとした。
 さてはやはり「エイズメアリー」だったか。
 平静を装って、答える。

「いや別に。君は可愛いし、気持ちよかったよ。なんで?」

「あ。今あたしが病気かと思ったでしょ。違うよー」

 娘は一瞬笑い、すぐに元の不安げな表情に戻った。

「なんかね、あんまり感じなくなってきてるの。あたし」

「あー。申し訳ない。あまりテクには自信がないんだ」

「そうじゃないの。正直、おじさん上手だと思う。そうじゃなくて、あたしが、Hしても気持ちよくなくなってきてるの」

 それは、性行為が「仕事」になりつつあるからではないのか。
 そう思ったが、正直に言うのもなんなので、私は黙っていた。

「なぜだかはわかってるの」

 娘は言った。

「あたし、もうすぐ死ぬの。だからだと思う。だんだん、死んでいってるの」

 わけのわからないことを言い出した。
 別の意味で、私は引いた。
 「エイズメアリー」ではなく、サイコ系だったか。

「どういう意味。元気そうに見えるけど」

 とりあえず無難なことを言ったが、それには答えず、娘は話題を変えた。

「ねえ、おじさん。さっき、本を書く仕事してるって言ってたよね?」

「本じゃなくて、雑誌の記事だけどね」

「じゃ、『ハンゴンノジュツ』って、知ってる?」

「『ハンゴンノジュツ』?」

 かすかに記憶があった。
 ホラー系実話誌に芸能人の死亡記事を書いたことがあるが、それが載った号で読んだ覚えがあった。

「オカルト系は苦手なんだが……確か、死んだ人を生き返らせる術だったっけ?」

「すごいすごい」

 娘は手を叩いた。

「あたし、その術をかけられてるの」

 だって君、生きてるじゃん。
 私の目がそう言っているのに気づいたのだろう、娘が先に言った。

「あたし、何ヶ月か前に、死んだの。それで、『ハンゴンノジュツ』で生き返らされたの」

 娘は、「生き返ったの」ではなく、「生き返らされたの」と言った。
 もの書きの性か、微妙な部分が引っかかる。
 単に娘が日本語表現が不得手なだけなのか、言葉通りに受け取っていいのか。
 言葉通りならば、娘自身は生き返りたくなかった、ということになるが。

「誰が君を生き返らせたの」

「家出して、住むとこがなかったときに、世話になってたじいさん」

「その人の愛人だった……ってことか」

「いつもちゃんとできるわけじゃなかったけど。立たないときの方が多かったかな。あたしのこと、かなり好きだったみたい」

「……で、君はどうして死んだの」

「街に出たときに、昔つきあってた男とばったり出くわして大喧嘩になって。お腹に蹴りを入れられて。そのときはなんでもないと思ったんだけど、家に戻ったらお腹が痛くてたまらなくなって、……たぶんそのまま死んじゃったんだと思う」

 要するに内臓破裂だな。
 私は思った。

「じいさんが『わしがなんとかする』って言ってたのは覚えてるな……。何をどうするつもりなのか、そのときは全然わからなかったけど」

「そのじいさんが『ハンゴンノジュツ』を使って君を生き返らせたってことか」

「そうみたい。だけどね、これってあまり長続きしないみたいなの」

「長続きしないって……術が? だから、もうすぐ死ぬって?」

 娘はうなずいた。

「だったら、そのじいさんにもう1度やってもらえばいいじゃない。その術を」

 私が言うと、娘は首を横に振った。

「だめ。無理」

「なぜ」

「あたしが殺したもん。じいさんを」

 娘はこともなげに言った。

「あたし、死にたくはなかったけど、だからって別に生き返りたくもなかったもん。恩着せがましく『生き返らせてやった生き返らせてやった』って、うざったくて。だから、包丁で刺し殺してやった。……でね。もうあと何日かで、術の効力が切れるみたいなの。食べ物みたいに賞味期限が決まってるわけじゃないけど、なんとなくわかるの」

 私は言葉を失っていた。
 ばかばかしい、と一笑に付すには、妙にリアルな話であった。
 話そのものはオカルティックで荒唐無稽だが、娘の話し方が、体験者でなくてはできない話し方であった。

「あー。ごめんね。変な話して。服着て? 出ようよ」

 娘が言って、私も我に返った。
 そそくさと服を着て、ホテルを出る。
 玄関前でそのままあっさりと別れるというのもできかねて、私は娘に言った。

「えっと……。今日はありがとう。元気で。……という言い方をしていいのかどうかわからないけど」

 娘はしばらく私の顔をじっと見つめていたが、やがて、言った。

「ねえ、おじさん。さっきのあたしの話、ネタにならない?」

「え?」

 腰が抜けそうになった。

「あたしの話を聞いてるときのおじさん、思いっきりびびってたわよ。──どう? 雑誌に載せたら、けっこうウケるんじゃないの?」

「だましたのかよ」

 本当にむかついたわけではなかったが、私は拳で娘の頭を軽くコツンとやった。

「痛いなー。でも、けっこうどきどきしたでしょ? Hもちゃんとしたんだし。損はしてないじゃん」

「そりゃそうだがな。でも、君みたいに可愛い子がこの世からいなくなるなんて、もったいないだろうが」

 私が言うと、娘は真顔になった。

「……ありがとう。じゃーね」

 そう言って手を振ると、娘は猥雑な繁華街に消えていった。



 おそらく、外見や売春という行為とは裏腹に、かなり頭のいい娘だったのだと思う。
 私がもの書きだと知って、私が興味を持ちそうな話をとっさにでっち上げたのだろう。
 それにしても、新聞記事の内容が、ちょっと引っかかりはした。
 私はもう1度、新聞記事に目をやった。


都会の死角 繁華街に白骨死体

5月28日未明、台東区**の繁華街にあるAビルとBビルの間の路地で、半ば白骨化した死体が発見された。
現場は雑居ビルやホテルが多く建ち並ぶ繁華街で、夜遅くまで人通りが絶えない場所。
死体は死後約1ヶ月と見られ、デニムの上下やブレスレットといった服装から、若い女性と見られている。
警視庁は事件と事故の両面から捜査しているが、都会の、しかも**という繁華街において1ヶ月も死体に気づく人がいなかったことに、驚きを隠せない。
「都会の死角ということになるのだろうが、目に入らないはずはない。奇妙な事件だ」と捜査員の一人は語った。



 娘が言ったことが事実だったのかどうか、今となっては確認するすべはない。
 新聞記事の死体の身元を確認する手段は、ないことはないかも知れないが、私にその気はなかった。
 世の中には、知らないでいた方がいいこともあるんだろう。
 きっと。


単品怪談