1.カモナマイハウス
夏休みっ!
その日、我が家は朝から大騒ぎであった。
騒いでいるのは、もっぱら私。
なぜなら、今日は昼から黒神由貴が我が家に来るのである。
「お母さん、いい? お茶菓子出すのはいいけど、変なもの出さないでよね? 恥かくのはあたしなんだから!」
「真理子。いいかげんに落ち着きなさい」
……と、しまいには怒られる。
このパターンを、朝からすでに数回繰り返しているのだ。
「だって。だって。くろかみンち、すごかったんだもん」
「よそ様はよそ様でしょ。一朝一夕に、どうこうできることじゃないじゃないの。──それより、もうそろそろ駅に行った方がいいんじゃないの?」
台所の掛け時計を見ながら、母親が言った。
黒神由貴は、電車を1本遅れることもなく、約束していた時間ぴったりに到着した。日頃はおっとりしているようだが、やはり根は几帳面だ。
「くろかみー」
改札を出てきた黒神由貴に、私は手を振った。
黒神由貴は、休日に買い物に行くようなラフな格好で、肩から小さなポシェットを提げていた。
お泊まりセットは持っていない。
情けない話だが、黒神由貴の家とは違って、我が家にはお客様に泊まっていただくだけの余分なスペースがないのだ。
私の部屋も、ベッドと机で、ほぼめいっぱいなのだ。
というわけで、黒神由貴は日帰りである。
「いらっしゃいませ」
「どーもー♪ ここから近く?」
「くろかみの家と比べたら、ちょっとだけ駅からは離れてるかも。そんなには差はないけどね。駅前の商店街を抜けたら、すぐだから」
そう言って、私は先に歩き出した。
駅前の商店街は、昔からやっている店が多い。シャッターが閉じた店ばかりだったり、商店街そのものが消滅したりしている最近の傾向を思えば、この商店街はがんばっている方だと思う。
それでも、跡を継ぐ人がいなかったりして、いずれは店をたたむことになるのだろうなと思われる店もいくつかある。
「なんかお茶菓子買ってく? リクエストある?」
商店街を歩きながら、私は言った。
もう少し先に、庶民的な商店街には珍しく、こじゃれたスイーツの店があるのだ。
「んー、そうだなあ……」
ちょっと首をかしげつつ、黒神由貴は左右に並ぶ店に目をやった。
やがて、黒神由貴はある店を指さした。
「あそこがいい」
黒神由貴が指さした店は、和菓子の甘味堂であった。
「え……あそこでいいの? 羊羹とかおまんじゅうとか、普通の和菓子ばっかりだよ? 高級なのって、あまりないよ?」
「私、アンコ好きなの♪」
「へー」
店に入った黒神由貴のチョイスを見て、私の背中につつっと冷や汗が流れた。
黒神由貴がチョイスしたのは、甘味堂の売れ筋ナンバーワン、皮に黒砂糖を練り込んだおまんじゅうであった。
私が「変なもの出さないでよね」と言っていたお茶菓子候補の一つが、他ならぬこのおまんじゅうだったのだ。
「いいところねー」
おまんじゅうを買って店を出たところで、黒神由貴が顔をほころばせて言った。
「そうお? 昔っからある、普通の商店街だよ?」
「今はそういうのが貴重なのよ。こんな商店街がうちの近所にあったら、きっと私、1日中買い物してると思う」
「そういうもんかなー。──あ」
妙なものが好きなんだなと生返事をしていた私だったが、ふと、ある店に目をやった。
「どうしたの?」
私が妙に長時間見つめているのに気づいて、黒神由貴が声をかけた。
「いやその……あのお店が開いてるもんで」
「そりゃあ……休みじゃなかったら開いてるでしょ」
私の視線の先にある店を見て、黒神由貴が言った。
「いや、そりゃそうなんだけどさ。あそこ、ずっとシャッターが閉まってたのよ」
私が見ていたのは、「敷島時計店」という時計屋さんだった。
ご夫婦でやっていて、ご主人はもうかなりの年輩だが、腕は確かという評判である。
ご主人はこの界隈では「下町のエジソン」と呼ばれていた。
2.発明家
テレビでちょっとした箸休め的な感じで、「街の発明家」が紹介されることがある。だがその場合、どちらかと言えば「わけのわからないものを作る変人」的な扱いであることが少なくない。
だが、「下町のエジソン」敷島氏の場合は、まじりっけなしの本物らしい。
どこかの大メーカーの、開発部門の重役だったという話だ。取締役にという話も一度ならずあったらしいが、現場にいたいということで、すべて断ったのだという。定年退職後、嘱託として数年勤め、引退してこの町に時計店を開いたのだという。──と、これは私の母親からの受け売り。
となると、「発明家」というどこか滑稽な響きのある呼称ではなく、「エンジニア」と呼ぶべきなのだろう。母親の話では、特許も数え切れないぐらい取っているらしい。知る人ぞ知る工学博士だとも聞いた。
そういう敷島氏であるから、時計店とは言っても、故障した家電品を持ち込まれることも少なくなかったらしい。
それらの品を、敷島氏はいともたやすく修理してしまうのだそうだ。
というわけで、この商店街及び近辺在住の人たちは、敷島氏のことを尊敬を込めて「下町のエジソン」と呼んでいた。
その敷島時計店が、かなり前からシャッターを閉じていた。
店先には「都合によりしばらく休ませていただきます」という張り紙があるだけで、理由はわからなかった。
ただ、あくまでもうわさではあるのだが、奥さんの具合が悪いのではないか、それもかなり悪いのではないか、という話が町内を飛びかった。
実際、今回のように長く店を休む前から、奥さんは入退院を繰り返していたし、それにともなって、二日三日とお店が閉まっていることもあったのだ。
そろそろ、「いけなくなった」のではないか。
私の母親を含め、町内の誰もがそう思い始めていたのだった。──が、その敷島時計店のシャッターが開いていたのだ。
私が思わず見入ってしまったのも、無理からぬところではないだろうか。
ひょっとして代替わりでもしただろうか?
店の名前こそ「敷島時計店」だが、まったく別の人が店主になっているのではないか?
私は敷島時計店の前まで行き、おそるおそる店の様子を見た。
入り口の左右にショーウインドウ、その奥にガラスケース、さらにその奥がご主人の作業スペース。
私が記憶している店の作りと、変わっていなかった。
作業スペースには、ちゃんとご主人──「下町のエジソン」──がいた。
そして、店のさらに奥、居住スペースへの引き戸が開いていて、そこに奥さんが座っていた。
私に気づいて、ご主人が頭を下げ、続いて奥さんも頭を下げた。
思わず私も深々と頭を下げる。
以前と同じであった。
入退院を繰り返していたというのが、嘘のようであった。
「どうしたの? このお店が開いていたら、何か不思議なの?」
敷島時計店の様子をうかがう私が奇妙だったのか、同じように店をのぞき込みながら、黒神由貴が訊いた。
まさかお店の前で、奥さんがもう危ないという噂だったとか、べらべらと話すわけにはいかない。
再び私の家に向かって歩きながら、私は敷島時計店の事情を黒神由貴に説明した。
「……というわけ。お店のシャッターが開いたのって、何ヶ月かぶりじゃないかなあ」
「ふう~ん。……ごめん、ちょっと待ってて」
興味がないわけでもなさそうに聴いていた黒神由貴だったが、突然そう言って、敷島時計店の方に戻っていった。
何をするつもりかとその場で眺めていると、黒神由貴は敷島時計店の前に立ち、さっきの私のようにぺこんと頭を下げた。きっとご主人や奥さんが頭を下げたのだろう。
もしや。
ふと、私の頭にひらめくものがあった。
もし、戻ってきた黒神由貴の目が何度か見たことのある鋭い目つきだったら。
だったら、もしかして敷島時計店には、何かあるのではないか。
我ながら、鋭い考えじゃない?
内心で自画自賛していると、黒神由貴が戻ってきた。
「ごめん。お待たせ」
戻ってきた黒神由貴は、しかし、怪しげな存在に遭遇したときの、あの鋭い目つきではなかった。
不思議そうな、率直に言えば、とまどっているような目つきだった。
「……どしたの?」
今度は私が訊いた。
だが黒神由貴は私の質問には明確に答えず、「う~ん」とうなり、首をかしげるだけであった。
「あとで話すわ。真理子の家に行こ♪」
3.自宅にて
我が家に到着してドアを開けると、玄関に眼鏡をかけた長身の若い男性がいた。靴を履きかけていて、これから出かけるところのようだ。
──と、回りくどく言っても仕方ない。
玄関先にいたのは、兄貴だった。
「お」
私たちを見て、兄貴が小さく声を上げた。
「おにい。まだ家にいたの? 今日は出かけるって言ってたじゃん」
「だから、これから出かけるところだろうが。──あ、こちらが黒神さん?」
私の後ろに立つ黒神由貴に気づき、兄貴が言った。
「はじめまして、黒神と申します。真理子にはお世話になってます」
「あどーも。真理子の兄の真彦(まさひこ)です。こちらこそ、いつも真理子がお世話になってるみたいで。こいつ、黒神さんのことばかり話すんですよ」
「ちょっ。おにい。もういいから。さっさと行けって」
ほっておいたらこの間私が黒神ンちにお泊まりしたときの逆パターンになりそうで、私はあわてて兄貴を家の外に叩き出した。すぐにドアを閉める。
ちょっとあっけにとられたような顔で、黒神由貴は兄貴が出ていった玄関を見ていた。
「えっと……何もあんなにじゃけんにしなくても」
私と玄関を交互に見ながら、黒神由貴が言った。
「いーのよ。いたって邪魔なだけなんだから。──ま、狭い家だけど、どうぞー」
「兄弟がいるって、いいなー」
私の部屋に入り、買ってきた甘味堂のおまんじゅうを冷えた麦茶で食べながら、黒神由貴が言った。
「くろかみは一人っ子だもんねー。一人っ子の人ってたいていそう言うけど、兄弟って、いたらいたで、うっとおしいよー?」
「そういうものなのかなー。でも、真理子のお兄さんって、かっこいいじゃない」
「え゛」
私は少し固まった。
本気で言ってんのか?
うーん。確かに客観的に見て、悪くはないと思う。
けっこう背が高くて──180センチぐらい──別に太っても痩せてもいなくて。
学者肌というか、実際に今は大学の研究室にいるのだが、電子物性工学という、バリバリの科学畑だ。
そのくせに──趣味は神社仏閣巡りで、オカルトなどの不思議な話には目がない。
そんな兄貴が黒神由貴のプロフィールを知ったらどういう反応を示すか。想像するだけでもぞっとする。むざむざと毒牙にかけるわけにはいかない。
まあ、自分の兄弟ながら、ちょっとばかり世間離れした感じだ。そういう意味では、黒神由貴と似た雰囲気はある。
くろかみ、ひょっとしてうちの兄貴に興味を持ったのか? あぶねーなー。
その後、私が購読しているファッション誌を眺めたり、次の買い物の相談をしたり、他愛もない女子高生の無駄話をして過ごした。
やがて、そろそろ黒神由貴が帰宅する時間になって。
迷うような道ではないが、駅まで送ってゆく。
来るときに通った商店街を歩く。
敷島時計店の前を通るとき、黒神由貴は店の中をのぞいた。並んで歩く私も、一緒に見る。
来るときと同様、店の奥の引き戸が開いていて、奥さんがそこに座っていた。
そして、これもまた来るときと同様に、頭を下げた。
私たちもそれに合わせて頭を下げる。
敷島時計店の前をすぎ、駅へと歩きつつ、黒神由貴はかすかに眉をしかめていた。
やはり、「鋭い目つき」ではない。
そのまま、敷島時計店について何を話すということもなく、駅に到着。
切符を買って、改札へ。
改札を抜ける直前、黒神由貴が振り向いた。
「あの……」
何か言いあぐねている。
「ん?」
と私が首をかしげると、黒神由貴は言った。
「あの、さっきの時計屋さんの奥さんなんだけどね……」
「うん」
やはり何かあるかっ!
「あの人……生きてるのかな」
(゚д゚)
黒神由貴が言ったことがあまりにあまりだったので何も言えないでいると、
「あ、ごめん、なんでもない。気にしないで」
そう言って、改札を抜けて行ってしまった。
4.時計店炎上
数日後のことだった。
お昼を食べた私は、自分の部屋でクッションを敷いて横になり、なんとなく雑誌を眺めていた。
さっきから鳴っているサイレンの音には気づいていた。
──消防車のサイレンだなあ……どこか近くかな
ぼんやりと考えていると、ドアが乱暴にノックされて、私は飛び起きた。
私がドアを開ける前に、母親が顔を突き出し、まくし立てた。
「真理子真理子大変大変火事火事」
「どこで!?」
「駅前の商店街! 早く用意しなさい。行くわよ」
私が行くのを前提で話している。──行くけど。
商店街には、すでに何台もの消防車が集結していた。
焦げ臭い臭いが鼻をつく。
だけど、火災そのものはすでに鎮火しているようだ。
消防署の人たちがあわただしく行き来しているが、燃えさかっているときのように殺気だってはいない。
野次馬たちも、火元を眺めてざわざわと話しているだけだ。
火元は──敷島時計店だった。
以下、火事の現場で母親が聞き込んだ情報と、テレビのニュースから。
敷島時計店のご主人「下町のエジソン」が所用でちょっと店を開けたときに、出火したらしい。
現時点では原因は不明。
ご主人が戻ったときには、店の入り口は火におおわれていたという。
すでに入っていける状況ではなかったのだが、ご主人はみんなが止めるのも聞かず、奥さんの名前を呼びながら、火の中に飛び込んで行ったという。
消防車はわりとすぐにやってきて、ただちに消火活動に入ったのだが、結局、ご主人と奥さんは助からなかった。焼けたのが敷島時計店の店内だけで、商店街の他の店に延焼しなかったのが、不幸中の幸いであった。
──せっかく奥さんが元気になったのに
──奥さんを助けるために火に飛び込んで
敷島夫妻の最期の様子は、商店街の人々の涙を誘った。
──だが。
嘘か本当か、火事の様子を間近で見ていた人から聞いたと、母親がこんなことを気味悪げに話したのが気にかかった。
「店の中は火に包まれていたんだけど、風か何かの加減で一瞬、店の奥まで見えたんだって」
母親は声をひそめて言った。
「でね。ありえないんだけど──そんな馬鹿なことがあるはずないんだけど──店の奥の、いつも奥さんが座っている場所でね、奥さんが、いつも通りに頭を下げていたんだって。そんなこと、あると思う? 火事の真っ最中よ? まわり、燃えてるのよ?」
そんな馬鹿なことがあるはずはない。
誰でも普通はそう思うだろう。
母親も、気味悪いとは思いつつ、100パーセント事実とは思っていないようだ。
だが私は、黒神由貴の言葉を思い出さずにはいられなかった。
「あの人……生きてるのかな」
あれは、どういう意味だったんだろう。
5.K医大法医学部 剖検室
剖検室内には、2基の剖検台が置かれ、それぞれに遺体が横たわっていた。
三人の助手を前にして、女優の名取裕子に似た女医は言った。
「この御遺体は、先日の商店街火災で亡くなったご夫婦なの。今回は特に、事件性の疑いもあるという警視庁からの指摘で、念を入れて検死します」
「先生、事件性と言いますと……?」
助手の一人が質問した。
女医はうなずきながら、
「こっちの御遺体を見て」
と、男性の遺体を示す。
「こちらはさっき剖検した男性。すでに剖検で判明している通り、死因は一酸化炭素による中毒死。これは気管や肺にススが付着していることや、血液中にCO-Hb(一酸化炭素ヘモグロビン)が形成されていることでも明らか。──さらに」
女医は遺体の焼けた皮膚を指さした。
「皮がむけて、赤くなってるでしょ? これは熱に反応して毛細血管が充血したため。つまり、通常は火事に巻き込まれて亡くなると、皮膚はこうなるの。──問題は、こちらの女性」
女医は女性の遺体の皮膚を指さした。
「こちらの男性とは、明らかに皮膚の状態が違うでしょ?」
「……充血していません」
女医に問われ、助手の一人が答える。
「その通り」
女医は大きくうなずいた。
「先生、それって、この女性は火事の前に」
助手たちの顔色が変わった。
女医はもう一度、大きくうなずいた。
「そう。火傷に生活反応がないということは、この女性は火事の前にすでに亡くなっていた可能性があるわけ。つまり、そこに事件性があると、警察サイドは考えているみたいなのね。──というわけで、引き続き、こちらの御遺体の剖検に入ります。黙祷」
女医が言って、助手たちもこうべを垂れた。
男性の時と同様、まず遺体の外見の検査を終えた後、開胸・開腹に移る。
喉元からへその下あたりまでメスを走らせた女医は、一瞬、メスの先に何かが当たったような違和感を認識した。
骨──ではない。
いぶかしく思いつつ、まず胃を摘出するため、腹部の切断面に指をかけ、大きく開いた。
「っう……っ!」
悲鳴を上げなかったのは、さすがに経験豊富な監察医というべきだった。
それでも、喉の奥から絞り出すような声が漏れた。
「先生……?」
女医の様子がおかしいことに気づいた助手たちが、開腹部をのぞき込んだ。
腹腔内を見て、二人は絶叫し、一人は何も言わずにその場で昏倒した。
女性の遺体の腹腔内には、女医や助手たちには見当もつかないメカニックや電子回路がびっしりと詰め込まれていた。
開腹したことでどこかの回路が動作したのか、腹腔内からかすかに「カチカチ」という音が響き、女医や助手たちは剖検台から後ずさった。
ゆっくりと、腹腔の開いた老女の遺体が上半身を起こし始めた。
助手がもう一人、気を失った。
老女の遺体は直角まで上半身を起こすと、続いて、挨拶をするように頭を下げ始めた。
何度目かに頭を下げたとき、腹腔内にあった得体の知れない機械群が電線やチューブを引きずりながら床に落ち、騒々しい音を立てた。
老女の遺体の動きが止まり、崩れるように、剖検台に上半身を倒した。
老女の遺体は、2度と起き上がることはなかった。