黒神由貴シリーズ

その後の塩の家


あれから

 私──榊真理子がひそかに「塩の家」と呼んでいた家は、 残虐な事件で一家が全滅していくらもたたないうちにすべて解体されて、今はすっかり更地になってしまった。
 まあ、無理もないと思う。
 あれだけの事件だもの、野次馬が引きも切らなかったし、「心霊ツアー」と称する連中は、好んで真夜中にやってきて、周辺の方はえらい迷惑だったという。
 だが、それももう終わり。
 更地になってしまえば「廃墟探検」もできない。
 ざまみろである。

 ……と、私は思っていたのだが。


周辺の出来事その1

 「塩の家」の近くに住むSさんはある夜8時頃、チャイムが鳴ったので玄関へ向かった。
 Sさんの家では、訪問者が玄関に立つと自動的に玄関灯が点灯するようになっている。
 ドアの所まで来たSさんは、ドアのスリガラスに、玄関灯の光を受けた人影が映っているのを見た。

「はーい、どちらさま?」

 Sさんがドアを開けると、そこには誰も立っていなかった。


困った課題

 某日、学校からの帰り道、相も変わらず黒神由貴と二人で歩きながら、私はぼやいていた。

「いやんなるなあ。なんで今頃、夏休みでもないのに自由課題の宿題が出るかなあ。あいつ、何考えてるんだろ」

 地学の授業で、どんなことでもいいから地学に関係することをレポートせよ、という課題が出たのだ。
 いきなりそんなこと言われたって。
 私がぼやくのも、わかってもらえると思う。

「何やればいいか、全っ然わかんないよ。くろかみー、あんた、もう決まった?」

「んー、あたしはねえ、土壌を調べようかと思って」

「ドジョウだったら生物じゃないのよ」

「ぼけないでよ。土の土壌よ。pHとか、性質を調べるの」

「そんなこと調べてどうするの」

「知らない。だって、なんだっていいんでしょ?」

 そう言えばそうだ。


周辺の出来事その2

 Iさんは、買い物の行き帰りにはいつも「塩の家」の前を通っている。
 事件の後しばらくは怖くて道を変えていたが、更地になったので、また元に戻った。
 ある日の夕方、薄暗くなりかけた頃に更地の前を通ったIさんは、妙な物を見かけた。
 更地の中央付近に、何かモヤモヤした物。
 輪郭ははっきりしないが、直径1メートルぐらいの、黒い煙のような何か。
 でも、煙よりもっと濃い感じだ。
 Iさんがじっと見ていると、それは縦に延び始め、人の形に近くなってきた。
 丸い頭。左右に伸びる腕。
 その黒い人型が近づいて来たような気がして、Iさんは泡を喰って逃げ出した。
 10メートルほど離れて振り返ると、更地には何もいなかった。


黒神由貴の質問

 某日、学校からの帰り道。
 相も変わらず黒神由貴と二人だが、今日は珍しくハンバーガーショップへ寄り道し、ポテトなどをつまんでいる。

「物を長期保存しようと思ったら、どんな容器がいいかな」

 ふいに、黒神由貴がそんなことを言った。

「物って、どんな物? 長期って、どれくらい?」

「紙……メモみたいな物かな。期間は……できれば10年単位。長ければ長いほどいいけど」

「10年単位って……そりゃまたすごいなあ。あっ、もしかして、ラブレター?」

「そんなわけないでしょ」

 カマをかけてみたが、さらっとかわされた。
 ちっ。

「ガラス瓶に入れて蓋をするだけじゃ頼りないし、何か方法ないかな」

「容器に入れっぱなしにしておくわけ? 出し入れを考えなくてもいいの?」

 黒神由貴はうなずいた。

「いいアイデアある?」

 ひとつ、ひらめいた。

「タイムカプセルなんか、どう?」

「タイムカプセル?」

「うん、記念品とか入れて、埋めて、10年後に掘り出すとかってあるじゃない? あれあれ。商品化されてるのを見たような気がする。──どう?」

 黒神由貴は私の顔をまじまじと見つめた。ひょっとして、何か大ボケをかましてしまったのだろうか。我ながらいいアイデアと思ったのだが。
 黒神由貴はしばらく私の顔を見つめていたが、やがて私の両肩に手を置いて言った。

「真理子。あなたマジですごいよ。ほんと。大感謝」


周辺の出来事その3

 Oさんはその日、帰宅が遅くなった。乗った電車は終電の1本前であった。
 さすがにこの時間になると家々の門灯や玄関灯は消され、窓から漏れる明かりもない。
 あるのは、電柱に設置された頼りない街灯だけだ。
 ──と、Oさんは10メートルほど先に犬がいるのに気づいた。
 ゴミをあさるというわけでもなく、ただウロウロしているだけのように見える。

 ──野良犬だろうか……

 さして気にもとめなかったOさんだったが、ふと奇妙なことに気づいた。
 犬にしてはおかしい。
 体長は50センチぐらいで、犬なら中形犬というところだが、街灯の暗い明かりに浮かぶシルエットには

 ──首がなかった。

 ぞっとして立ちすくんだOさんに気づいたのか、その生き物(?)はOさんの方へ向かって小走りでやってきた。
 生き物が近づくにつれ、それの外観がわかってきた。

 毛が生えた巨大な卵に足が4本生えたもの。──強いて言えばそうなる。

 そしてその足は犬のそれではなく、人間のような足だった。
 それはペタペタペタと足音を立てながら、Oさんの足元を通り過ぎた。
 Oさんがあわてて振り向くと、それは深夜の闇に溶け込んで、去って行った。


うわさ

 某日、学校からの帰り道。
 例によって黒神由貴と二人だ。

 途中、「塩の家」があるエリアのそばを通った。

「ねー、くろかみ、知ってる? このあたりの、最近のうわさ」

「うわさ?」

「なんか、出るんだってよ。変なのが。──ほら、ここって、ああいうことがあったじゃない。
そのせいで、あれやこれやと、お化けみたいなのが」

「真理子も見たの?」

「ううん、私は見てない。あくまでうわさだけどね。幽霊っつーか、化け物よね。真っ黒の煙みたいな人とか、毛むくじゃらの、首のない犬とか」

「気味が悪いなー」

「あの家の周りの人、多かれ少なかれ、何かしら体験してんじゃないかな。1度、御祓いか何かした方がいいかも。そう思わない?」

「……そのうち、おさまるわよ。うわさなんだし」

 黒神由貴は気楽な口調で言った。
 そうかなー。


周辺の出来事その4

 大学生のNくんはコンビニの深夜バイトをしている。
 この店は幸いなことに、出口に座り込んでたむろする連中の姿もなく、そもそもこの時間帯は客が少ない。
 商品の補充を済ませて、こまごまとした雑用が終われば、客がいない限りレジに立つ必要はない。
 Nくんはレジ奥の休憩室に入り、コミック雑誌を開いた。
 休憩室には店内3カ所に設置された監視カメラのモニターがあり、5秒ごとに切り替わるようになっている。

 ドアが開く音がした。
 Nくんは「いらっしゃいませ」と言いながらレジに出たが、実際は「いらっしゃ……」と、途中で声が引っ込んでしまった。
 誰もいない。
 首を傾げながら休憩室に戻ったNくんは、何気なくモニターを見て、思わず声を上げた。

「やっぱいるじゃん」

 店の奥、おにぎりや総菜売場のカメラに、中肉中背の男が映っていた。二十代に見えた。
 Nくんはおにぎり売場へ行ってみた。男の姿はなかった。
 一通り店内を回り、念のためトイレも確認したが、いないことに変わりなかった。
 うす気味悪くなったNくんは、もう1度モニターを見てみた。

 男がカメラを見上げて笑っていた。
 5秒ごとに切り替わるカメラのどれにも、男が真正面から映っていた。
 男は笑い続けていた。
 うつろな目で、たるんだ口元。──狂人の笑いだ。

 Nくんは休憩室とレジをつなぐドアを閉めて施錠し、半狂乱で店長の自宅へ電話した。
 30分後、店長が店に到着して休憩室に入ると、監視カメラのモニターが壊され、Nくんが身体を丸め、がたがた震えながら床に座り込んでいた。


黒神由貴の買い物

 某日、朝。
 教室に入ると、黒神由貴が声をかけてきた。

「なに」

「この間アイデアを出してもらったタイムカプセルだけどね。入手できたよ」

 Vサインを出しながら、黒神由貴は言った。

「へえ。ほんとに売ってたんだ」

 冷静に聞けばものすごく無責任なことを口走ってしまったが、黒神由貴は気づかなかったようだ。

「インターネットで見つけたんだけどね。消費税・送料別でひとつ2万だから、五つはさすがに痛かったわ」

「いつつううう~~~~~~っ!!??」

 思わず大声を上げてしまった。
 クラス全員が、私たちを振り向く。
 私はあわてて、「いやあどうもどうも」と周囲に愛嬌を振りまいた。

「悪い悪い。なんでもないから。はっは」

 で、黒神由貴に顔が触れるほど接近し、言った。

「なんで五つもいるのよっ」

「へへへ♪」

「やっぱ人に見せられない物を隠すんでしょっ。ラブレターでしょっ」

「へへへ♪」

 あー、だめだ。こうなると、絶対言わないわ。
 いつか聞き出してやるからな、くろかみっ。


訪問者

 あ、そう言えばね、なんか最近、このあたりって、変なのよー。
 うん、そう、うちの周辺。
 変質者? ううん、そういうのじゃなくって。
 なんかね、気持ち悪いうわさ、と言うか、変なもの見たって人が多いのよ。
 ん? お化け? ああ、そうかも知れない。
 だってほら、うちの近所の芦屋さんちで、あんなことがあったじゃない。
 うん。そう。そう。斧で皆殺しって言う。
 だからじゃないかって、もっぱらのうわさなのよー。
 Sさんは誰か来たのに、ドアを開けたら誰もいなかったって言ってたし、Iさんは、原っぱで黒くて変な人影を見たって言うし、
 Oさんの御主人は、会社の帰りに、気味の悪い生き物を見たらしいし、近くのコンビニでも、この間幽霊が出たってうわさよ。
 うん。もう家は壊して、原っぱになってるけどね。
 え? そりゃそーよ、あんなことがあった家に、誰が住むって言うのよ。
 新しく建てたって、買い手が付くかどうか。ねえ。
 え? あたし? 何も見てないわよ。
 冗談じゃないわよ、見たくないわよお。

 あら。チャイムが鳴った。誰か来たみたい。
 ドアを開けたら、誰もいないって?
 もう、やめてよー。それじゃ、またね。

「はあい」

 スリッパをパタパタと鳴らして、主婦のOさんは玄関に向かった。
 一瞬、知り合いの体験談や主婦仲間の最後の言葉が頭をよぎったが、玄関に立っていたのは、ごく普通の高校生の女の子であった。
 切れ長の目をした、すらりとした美少女だ。
 女の子はぺこりと頭を下げ、言った。

「突然すみません。私、近くの星龍学園の生徒なんですが、学校の研究課題で、この近辺の土の調査をしているんです。
ご迷惑でなければ、お庭のどこか目立たない所の土を採取させていただけないでしょうか」


人のうわさも……

 某日、学校からの帰り道。
 相も変わらず黒神由貴と二人だ。

「ねえ真理子。この前言ってた気味悪いうわさだけど、今も続いてる?」

 ふと、黒神由貴が言った。
 私が話した、「塩の家」周辺でのうわさのことだ。
 私は大きくうなずいて言った。

「続いてるわよー。あっちでもこっちでも、お化けみたいなのを見たって……」

 そこで私は言葉を切った。
 いや待て。そう言えば、最近聞かないぞ。
 この件での私の情報源は、実は私の母親だったりするのだが、ひところは毎日新しい目撃談(あくまでも母親が聞いた話だが)を聞かされたのに、ここしばらくは聞いていない。

「いや、ちょっと待って。……ごめん、そう言えば、最近聞かないわ」

 私が言うと、黒神由貴はニヤニヤッと笑った。

「ほうら。だから言ったでしょ。しょせん単なるうわさだったのよ。
言うじゃない。人のうわさも75日、って」

「そう……なのかな、やっぱし。集団心理的な錯覚だったのかな」

「でしょ」


黒神由貴の電話

 もしもし、お祖母様? 由貴です。
 封印の件、終わりました。
 はい。やはり蘆屋道満(あしやどうまん)の血筋だったようです。
 ですが、もう、塩で結界を作るのが限界だったようで。

 もっと早く取りかかるつもりだったんですが、
 延嶺寺の無惨絵や、反魂の術の一件があって、延び延びになっちゃって。
 いただいた護符、さすがに効いているようです。
 はい。家の周辺に、五芒星に囲む形で埋めました。
 はい? あ、違います違います。むき出しじゃありません。
 「タイムカプセル」ってご存じでしょう?
 それの通販をクラスの友人から教えてもらって。
 それに密封して。
 はい。2、30年ぐらいは大丈夫だと思います。

 はい。またごあいさつにうかがいます。
 お祖母様もお元気で。

 ……あ、タイムカプセルの領収書、もうすぐ届くと思いますので、
 よろしくお願いします。

 それでは。


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