「あなたは勘違いされているようです」
T氏は少し首をかしげて、そう言った。
「──勘違い、と言いますと」
ムカサリ絵馬の取材で、山形を訪れた。マニアならムカサリ絵馬のいわれなどすでに承知だ。私はさらにその先、ムカサリ絵馬の風習においてタブーとされている、「絵馬に生者の名を書き込む」行為を実行した人を取材してみようと思い立ったのだ。
もとより予測できたことであったが、取材は困難を極めた。
つてをたどってようやく巡り会えたのがT氏であった。なんとT氏は絵馬に生者の名を記入した当人であるという。「伴侶を持つことなく亡くなった故人の供養」という一般的な例と異なり、T氏は亡くなった細君のムカサリ絵馬に自らの名を書き込んだそうだ。それもまた珍しいことであった。
夕刻というには少し早い時刻に到着したT氏の住まいは、郊外にぽつんと建つ小さな古民家であった。私はT氏に取材目的を話し、興味本位ではないことを力説した。
そうしてT氏の口から出た言葉が、勘違いをしている、ということであった。
「私は自分の名を書き込んでおりません」
痩せぎすの、あえて言うならやつれた印象のT氏は言った。
「そもそもムカサリ絵馬は私のためのものでした。その絵馬に、妻が自分の名を書き加えたのです。……ですが、それももう、何十年も昔の話です」
そう言って、T氏は細君の名を呼んだ。
べたべたと濡れた音を立てながら居間に入ってきたその人は、T氏の隣に座った。
夕日を背に受けてふたり並ぶ屍は、腐汁をしたたらせながら、ゆるりと笑った。
おぞましく。
仲むつまじく。