京都は洛北のはずれにある古寺に、いささか不気味な伝説が伝わっている。
明治になって間もない頃、嘉助という男をはじめとする四人の荒くれ者が、寺に火を点けた。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に便乗した行動であったと思われる。本堂が全焼し、御本尊をはじめとする仏像四体が焼けた。
焼け跡に立った仏像は、腕などの細部はすべて焼け落ち、かろうじて人の形がわかる程度の、無惨な姿であったという。焼けた仏像を見た村人は悲しみに暮れ、焼けた仏像を「焼け仏様」と呼んだ。
住職は危うく難を逃れたが、御仏を守れなかったことを恥じ、近くの淵に身を投げた。
それから数日後、嘉助の家が全焼し、嘉助が焼死した。
嘉助の焼死体は黒焦げの丸太状で、それはさながら「焼け仏様」のようであったという。
さらに数日して、村人の一人がたまたま寺の焼け跡を通ったところ、「焼け仏様」の一体が、元に戻っているのを見つけた。
「これはなんとしたことじゃ?」
人々は先の嘉助の焼死と考え合わせ、「これは焼け仏様か、死んだ住職の祟りに違いない」と口々に噂した。
この噂に震えあがったのが、嘉助と共に寺に火を点けた者たち、残り三人であった。
三人は村の庄屋を訪れ、頭を地面にこすりつけて許しを請うたが、村人の怒りは収まるはずもなく、三人はムシロで巻かれて、火を放たれた。
三人が黒焦げになって果てた後、寺の焼け跡を見ると、果たして残り三体の仏像も元通りになっていた。
その後、寄進によって本堂が再建され、現在に至るという。伝説の真偽のほどは定かではないが、拝観のために本堂に入ると、かすかに焦げ臭い臭いがする。