黒神由貴シリーズ

交換留学生キャティ 1


 セントーサ島はシンガポールの観光名所だ。
 島と言っても、モノレールやバスなどの公共交通機関や自動車、徒歩でも行ける。島内にはユニバーサル・スタジオや水族館、動物園、博物館などがあり、海外からの観光客はもちろんのこと、国内の家族連れやカップルも多い。
 そんなセントーサ島のサザンリッチエリア内にあるホートパーク、その近くの林で、高校生ぐらいに見える三人の少女が、途方に暮れたように立っていた。

「これ……魔除けだったのかな」

 少女の一人が、足元を見下ろして言った。少女たちの足元には、一抱えほどの大きさの石が転がっている。

「どうしてそう思うの?」

「だって……赤いじゃない」

 魔除けではないか、と言った少女が答えた。
 赤い色は、シンガポールでは魔除けのシンボルカラーを意味する。少女たちの足元にある石は苔むして緑色をしていたが、よく見ると苔が一部分はがれて、赤い色が見えていた。元々の石の色ではなく、どうやら赤く塗装した物らしい。
 少女たちはセントーサ島に観光に来た、シンガポールの高校生であった。
 ホートパークで写メを取ろうとして、たまたま目についた石に足を乗せたとき、足が滑って表面の苔がはがれたのだった。

「どうしよう。見つかったら怒られるかな」

「……どっか見えないところに動かしちゃおう」

 一人が言った。

「それ、ヤバくない?」

「もしこれが何かの魔除けだったとしても、ここって昔、日本と戦ったところだから、あたしたちはシンガポール人だから、きっと大丈夫よ」

「そうかなあ」

「いいから手伝ってよ。そっち持って」

 移動を提案した少女が、もう一人の少女をうながした。言われた少女はしぶしぶ石に手をかける。もう一人、スレンダーでスタイルのいい少女は、そんな二人をおろおろした表情で見ている。

「キャティ、いい? 誰にも言っちゃダメだよ」

 石の移動を提案した少女が、スタイルのいい少女に言った。スタイルのいい少女は、不安げにうなずく。
 茂った灌木の中に、石を放り込む。これなら誰にもわからない。これが最善策だったのか不明ながらも、三人はほっと息をついた。
 石を持ち上げたあとのへこみから小さな蜘蛛が現れ、スタイルのいい少女のスニーカーからGパンに上ったことに、誰も気づかなかった。

「そう言えばキャティ。あんた、来月、日本に留学するんだっけ」

「うん。セイリュウガクエンって言うトーキョーの学校」

 スタイルのいい少女──キャティは言った。






1.交換留学生制度

 星龍学園高等部には交換留学生制度が二つある。
 一つは2年生時の1年間、留学先の国でホースステイして勉強するという、わりと本格的な物。
 もう一つは、1年生か2年生のときに、1ヶ月だけ相手国で過ごすという物。こちらは体験留学と言った方がいいかもしれない。日本での住まいもホームステイではなく、星龍学園の学生寮になる。
 正式には短期交換留学と言うのだが、私たち生徒は「短留(たんりゅう)」と言っている。
 今年も短留の季節が来て、2年生の各クラスに短留生がやってきた。私たちのクラスに来たのは、アメリカから来たアマンダという子だった。
 白人系だが、絵に描いたようなアメリカーンな感じでいろんなところがズドーン! と出っ張っているわけでもなく、身長やや高め、私と同じぐらいであった。大阪に親戚がいて、これまでに数え切れないほど来日しているとかで、日常会話に不自由しない程度には日本語が話せた。
 ただ大阪滞在経験が長いので、言葉はどうしても関西弁になってしまうわけだが、それがまたウケて、アマンダはすぐにクラスに馴染んだ。

 そんなある日、「日本の銭湯を体験しようツアー」が計画された。まあそんなに大げさな話ではなくて、海外では他人と一緒にお風呂に入ることはあまりないだろうという雑談から決まったんだそうだ。
 「そうだ」というのは、発案したのは私ではないからであった。
 星龍学園の昼休み、黒神由貴やアマンダを交えてしゃべっていたとき、教室のドアが少し開いて、メガネをかけた丸顔が顔を出した。

「レムちゃん、どうしたの」

 気づいた私が声をかけると、短大部の制服を着た女の子が入ってきた。いや、先輩だから「女の子」なんて言い方は失礼なんだが、私が「レムちゃん」と声をかけた本名・白戸麗夢(しらとれむ)さんは、丸顔のメガネっ子で小柄で、ボブヘアが似合ってて、可愛いんだこれが。
 レムちゃんは学生寮の寮長で、日本の生活に不慣れな短留生のサポートもしなければならない。なかなか大変なのだ。

「真理子、その言い方はやめてって言ってるじゃん」

 レムちゃんはぶつぶつ言いながら教室に入ってきた。レムちゃんの後ろに、アジア系の背が高い短留生がついてきていた。短留生は胸にそれを示す札を付けているので、すぐわかる。

「どうしたんですか今日は。──あ。そちらは短留生の、えっと、キャティだったっけ?」

 レムちゃんの抗議をさらっと受け流し、私はレムちゃんの横に立つ女生徒を見て言った。隣のクラスに編入された、シンガポールからの短留生、キャティであった。

「あ。うん。今度の土曜に、アマンダやキャティをスーパー銭湯に連れて行ってやろうと思って。んで、真理子や黒神さんにも来てもらえないかと。細かいことをアドバイスしてあげてほしいし」

「oh、決定したん?」

 ohは思いっきりネイティブの発音、あとは思いっきり関西弁で、アマンダが言った。

「アマンダ。みんな一緒にお風呂に入るって言ったら、なんかエッチなこと想像してない? あんたの国って、日本の銭湯にそういうイメージ持ってるでしょ」

 私が言うと、アマンダは「そんなん思てるわけないやんw」とケラケラ笑った。
 シンガポールの短留生キャティは、私たちのやりとりを見て、ニコニコ笑っている。
 キャティ。
 キャティ・リン。
 中国名で言うと林秀珍。
 シンガポールはいくつかの人種で構成された国だが、彼女は中国系だ。ただ、御先祖の血がいろいろ混じっているとかで、雰囲気は微妙に日本人とは異なる。身長は私やアマンダと同じぐらい、スレンダーだが、出るところはちゃんとしっかり出ている。率直に言ってモデル体型だ。短留生として来るぐらいだから彼女も何度も来日経験があって日本語も話せるのだが、アマンダと比べると、ほんの少しなまっている。

「どうかな? 今度の土曜日、学校終わってお昼食べてから」

 レムちゃんが言った。もちろん私たちに異論はない。快諾した。

「ヨロシクお願いします」

 キャティは言って、頭を下げた。

「楽しみだー!」

 アマンダがガッツポーズで言う。

「アマンダは日本の大きなお風呂は初めて?」

 黒神由貴が訊くと、

「アリマ温泉には行ったことあるで」

 だったら大丈夫だな。


2.スーパー銭湯にて

 銭湯ツアー当日。
 レムちゃんがチョイスしたのは、星龍学園から電車で数駅の場所にあるスーパー銭湯だった。
 受付で入浴手続きを済ませ、浴場へ向かう。アマンダとキャティはルンルンでスキップだ。楽しみにしていたんだろう。
 受付で指定されたロッカーの前に立ち、服を脱ぐ。アマンダやキャティはさっさと脱いで全裸になってしまった。とくにあんなところやこんなところをタオルで隠すでもない。
 アマンダ。なんだかんだ言っても、やはり北米人種だ。日本人とは基本的なプロポーションが違う。すごいなあ。いろんなところが。
 そしてキャティ。本当に同じモンゴロイドなのかと疑ってしまうほど、こちらも抜群のプロポーションだった。でもって、ほんの少ーしだけ肌の色が濃いめで、それがまたエキゾチックで、美貌に輪をかけているのだった。
 二人とも17歳なんだよなあ。このまま成長したらどれだけ美人になるんだよと、思わずひがみそうになる。
 私もパパッと脱いで、一応は乙女のたしなみで、身体にバスタオルを巻き付けた。湯上がりに身体をぬぐうスポーツタオルは別に持ってきているので、抜かりはない。
 で、笑っちゃうのが黒神由貴とレムちゃんだった。
 二人とも、公衆浴場に慣れていないのか、周囲の目を気にしつつ脱いでいるので、モタモタしている。

「レムちゃん」

 と、私は声をかけた。

「調子のいいこと言っちゃって、レムちゃん一人じゃ恥ずかしいから、私やくろかみを誘ったんでしょ」

「……バレた?」

 レムちゃんは顔を赤くして言った。やっぱ可愛い。



 銭湯体験は、まったく問題なかった。アマンダもキャティも、ちゃんとかけ湯をしたし、熱めの日本の浴槽にも「熱っ!」「オマイガッ」なんて言いつつも、肩まで浸かって気持ちよさそうにしていたし。
 土曜の午後というのは近所の家族連れが多いみたいで、もろに外国人顔のアマンダを見て、若いお母さんが「外人さんだよー」と子供と話していたりするのが聞こえた。23区内だったら今どき外国人なんて珍しくはないだろうけど、湯船に肩まで浸かってくつろいでいる欧米人少女はさすがに珍しいようだ。別に差別的な意味合いで「外人さん」と言っているわけではないのはわかるので、私たちもとくに気にはしない。
 スーパー銭湯によくあるタイプで、ここもいろいろな浴槽があった。ぶくぶくと泡が出るやつとか、ジェット噴流が出るやつとか。ビリビリする電気風呂には、アマンダもキャティも悲鳴を上げた。

 で。
 お風呂から上がってから、問題が起きた。

 身体をぬぐいながら銭湯体験の感想をワイワイと話していたとき、60代ぐらいのお婆さん三人が脱衣場に入ってきた。これから入浴するのだ。
 お婆さんたちは私たちをめざとく見つけて(嫌でも目立つ)、声をかけてきた。本当に、この年代の人は気さくだ。

「あら珍しいー。外人さんの女の子だー」
「やっぱりきれいねー」

 それに応えようとアマンダが口元に笑みを浮かべて何か言おうとしたとき、キャティが悲鳴を上げて飛びすさった。絶叫と言えるほど大きな声ではなかったが、はっきりと悲鳴だった。飛びすさってロッカーにぶつかり、尻餅をついた。目を大きく見開き、唇がブルブルと震えている。

「ちょっとどうしたのキャティ」
「大丈夫?」

 私と黒神由貴とで、あわててキャティを立ち上がらせる。
 これにはお婆さんたちの方が驚いてしまったみたいで、何かブツブツ言いながら、割り当てられたロッカーの方へ行ってしまった。
 いったいどうしたというのか。
 私も黒神由貴もさすがに驚いてしまって何も言えないでいたのだが、どういうことかとレムちゃんに訊こうとして彼女を見ると、レムちゃんは「アチャー」という顔をしていた。
 ピンと来た。
 レムちゃん、何か知ってるな?



 その後、私たちはスーパー銭湯内のお食事処に入り、飲み物やスイーツを注文して、まずはキャティを落ち着かせた。あんたはどこのジャパニーズ・サラリーマンかと言いたくなるぐらい、キャティはぺこぺこと頭を下げて私たちに詫びた。

「……で、キャティは何にあんなに驚いたの? つーか、びっくりしたんじゃなくて、怖がってたよね、さっきのあれって」

 私は言った。キャティはそれには応えず、もじもじと半泣き状態になっていた。なので私はレムちゃんに顔を向けた。

「レムちゃん、何か知ってるんでしょ?」

「……うん」

 レムちゃんはうなずいて、話し始めた。

「キャティ、どういうわけか、年配の女性を見たら怖がるのよ。小母さんとかお婆さんとか、そういう人を」

「お婆さんを? なんで? シンガポールにだって小母さんとかお婆さんはいるでしょうに。何か理由があるの?」

「それがよくわかんないの。学生寮には食事を作ってくれる寮母さんがいるんだけど、この子、寮母さんのことも怖がってて、廊下で出くわしたら『ひっ!』なんて声を上げるもんだから、寮母さんも気を悪くしちゃって。……でね。どうも何かお化けみたいなのがこの子にくっついてるらしいの」

「お化け?」
「お化け?」
「ゴースト?」

 私、黒神由貴、アマンダが声をそろえて言った。レムちゃんがうなずく。

「キャティ。ちゃんと最初から説明したらどうかな。ここにいる黒神さんと真理子は、不思議なことに関しては頼りになる子だから」

 ここでやっと私は気づいた。レムちゃんが私や黒神由貴を銭湯体験ツアーに誘った本当の目的は、これか。
 キャティはうなずいて、

「……クコンバ」

 と小声で言った。


3.クコンバ

「クコンバ?」

 聞き慣れない単語だった。ちらっと黒神由貴を見たが、黒神由貴は首を横に振った。黒神由貴も知らないらしい。

「それ……なに?」

 私が言うと、キャティはテーブルに置かれた接客アンケート用紙と鉛筆を取り、そこにこう書いた。

九恨婆

「九の恨みを持って死んだ、オールド・レディのクリーチャー。人を襲って血を吸う」

「oh。バンパイア?」

 口に手を当てて、アマンダが言った。陽気なヤンキーガールもさすがに驚いたようだ。
 キャティから説明を聞いたり、こちらから質問したりして、ざっくりとクコンバについて知ることができた。
 シンガポールや東南アジアではわりと知られた妖怪で、キャティがメモに書いたとおり、九つの恨みを持って死んだ老婆が妖怪と化した物、という言い伝えがあるらしい。

「キャティはクコンバに恨まれるような覚えがあるの?」

 黒神由貴が言った。もっともな疑問だ。キャティはすぐに首を横に振りかけて、「あ!」と声を上げた。

「何か心当たりが?」

 レムちゃんが訊くとキャティはうなずいて、日本に来る前の、セントーサ島でのことを話した。

「キャティはクコンバの姿を見たことはあるの? シンガポールでも日本でも」

 キャティはうなずいた。シンガポールの自宅、自分の部屋でネットをしていたとき、ふと何かの気配を感じて目を上げると、窓から老婆が室内をのぞき込んでいたという。キャティの部屋は2階で、窓の外にはベランダなどはない。
 それで、もともと短留が決まっていたキャティは、いちるの望みをかけて日本に来たらしい。
 もしかすると、日本に来たらクコンバから逃げられるんじゃないかと。

「ということは、日本に来てからも見たんだ」

 私が言うと、キャティはこっくりとうなずいた。
 繁華街に買い物に行ったとき、ついつい時間を忘れて買い物に夢中になってしまい、気づくと寮の門限ギリギリだった。すでに日も暮れている。
 寮最寄りの駅から小走りで走って、あと数分で寮に着くところまで来たところで、キャティは立ち止まって小休止した。そのとき、キャティの背後で何かガサガサという音がした。
 嫌な予感がしたキャティはゆっくりと振り向いた。何もいない。キャティはそのまま視線を下に向けた。
 数メートル後ろに、クコンバがいた。
 キャティと目が合うと、クコンバはガサガサという足音を立てて、キャティに向かってきた。
 キャティは絶叫して、寮の門内に駆け込んだ。オートロックの入口に、あわただしく暗証番号を打ち込む。ドアを開いて身を滑り込ませ、すぐにドアを閉める。
 ドアの外には、何もいなかった。

「あー、それであのとき、怖がってアタシの部屋に飛び込んできたんやね」

 アマンダが納得したように言った。

「ねえ。下を見たらいたとか足音がガサガサ言うって、クコンバって、どんな姿なの?」

 キャティの語るクコンバ像が今一つ想像できなくて、私はキャティに訊いた。

「スパイダー」

 キャティはかすかに身を震わせながら、ポツンと言った。

「スパイダーって、え、蜘蛛? うえっ」

「頭はオールド・レディ。ボディはスパイダー」

 そりゃあそんなのに追っかけられたら怖いわ。
 ……どうしたものだろう。何かやっつける方法はあるんだろうか。

「石を動かしたのが原因だとしても、今からシンガポールに行って石を元に戻してられないよねえ」

 私は言った。

「石を元に戻しても、それで解決するとは限らないしねー」

 黒神由貴が言った。

「なんで?」

「だって、現実問題として、クコンバは、今、日本にいるんでしょ?」

 黒神由貴の言葉を聞いて、その場の全員が「あー」と納得して頭を抱えた。

 結局、その場ではいい解決方法は思い浮かばず、もう少し様子を見てみようということになり、私たちは帰宅した。


交換留学生キャティ2へ


黒神由貴シリーズ