6.沈黙の女子寮
言うまでもなく、寮内は大騒ぎとなった。
なったのだが、キャティはショックで意識を失い、アマンダがモンスターを見たと言っても信用されず、結局、窓を破って侵入してきたのは変態めいた不審人物ということになり、寮内及び周辺の警備を厳重にしようという話になっただけだった。
キャティが襲われた翌日の放課後、キャティの見舞いを兼ねて、私、黒神由貴、レムちゃん、アマンダの四人はキャティの部屋に集合した。
昨日から、キャティは寝込んでしまっていた。眠っていても熟睡できず、しばしば悲鳴を上げて飛び起きている、と、看病しているレムちゃんは言った。今は、私たちがいて安心できているのか、キャティはすやすやとよく眠っている。
部屋の真ん中に置かれた万年こたつを囲んで、さあどうするかと相談を始めようとしたところで、ドアがノックされて、私たちは飛び上がった。
ドアに近い場所に座っていた私がおそるおそるドアを開けると、そこに神代先生がいた。
「せんせー! どうしたんですか」
「あんたたちだけじゃ、心もとなくてさ」
そう言うと、神代先生は遠慮なく入ってきて、こたつの上にコンビニ袋を置いた。
「ほれ、差し入れ」
「わあ。ありがとうございます」
「うわー。オオキニー♪」
レムちゃんとアマンダが歓声を上げる。現金な。
こたつが一杯なので、神代先生は勉強机の椅子に座った。
「……で、何か策は考えてるの?」
神代先生は黒神由貴を見て言った。黒神由貴は首を横に振る。
「いえまだ何も。キャティの説明や、アマンダの話からして、相手は蜘蛛の妖しらしいとしか」
「憑き物系かな?」
「おそらく」
黒神由貴と神代先生はうなずきあった。レムちゃんやアマンダは、「この二人は何を言っているのか」という顔をしている。そりゃそうだろうな。
「ただ、クコンバという妖しは、すぐまたキャティを襲いにやってくると思います。早急になんとかしないと」
「先生、私、今日はこの部屋に泊まろうかと思ってるんですが」
私は黒神由貴と神代先生の会話に割り込んだ。神代先生が目をむく。
「……本気で言ってんの?」
「キャティはこの様子ですから、今度襲われたら逃げられないし、事情をわかっていない警察には頼れませんし、いざとなったらこれで」
と、私は両てのひらを前に突き出した。神代先生はあきれ顔で、
「そういつもいつもうまくいくとは限らんでしょうが。……と言っても、キャティを一人にしておけないのは確かだしねえ」
神代先生はしばらく考えていたが、やがて立ち上がった。
「わかった。他の先生方と寮母さんには、私から言っておくわ。黒神さんと榊さん、それぞれのおうちには、自分で連絡しておいて」
夜。私たちは寮の食堂では食事を取らず、キャティの部屋に持ち込んで、みんなで食べた。キャティもかなり落ち着いて、笑いを浮かべられる程度には回復した。食欲もあるようだ。もちろん、私たちが部屋に集まっている理由はキャティが一番わかっているわけだから、緊張しているのは言うまでもない。それは私たちも同じだ。
神代先生も来ることになっているが、高等部の業務を終えてからになるそうなので、もう少し後になるだろう。
──ところで。
「ねえレムちゃん」
と、私はこたつの向かい側に座るレムちゃんに言った。
「ずっと気になってたんだけど、肩に掛けてるそれ、なに?」
今日の朝、私や黒神由貴は高等部に来たレムちゃんからキャティが襲われたことを聞いたのだが、そのときからずっと、レムちゃんは肩掛けの布バッグをたすき掛けで提げていた。何かいろいろ入っているようなのだが。
「ああこれ?」
レムちゃんはバッグをチラと見て、
「ひょっとして何かの役に立つかなと思って、持ち歩いてるの」
「なんなの?」
「役に立たなかったら恥ずかしいから、秘密♪」
なんのこっちゃ。
食後に何かジュースでも買ってこようと思い、こたつから立ち上がったとき、部屋の電気が消えた。
キャティ、アマンダ、レムちゃんが、それぞれの驚き方で声を上げた。
私は携帯を取りだしてライトモードにしたが、部屋全体を照らせるほどには、明るくない。アマンダや黒神由貴も同じようにライトモードにしたが、そんなに変わらない。
「外はどこも消えてない。停電はここだけみたい」
窓を開けて外を見た黒神由貴が言った。
「くろかみ。ここにいちゃ、まずいんじゃない? 襲われたら逃げ場ないよ」
私は言った。
「とにかく1階の、他の寮生がいるところに行こうよ」
「そうよね」
「I think so」
「I think so」
レムちゃん、アマンダ、キャティが同意した。
「へばだば、こえば使ったほずがいがべが」
そう言いながらレムちゃんがバッグをごそごそした。取り出したのはでっかいマグライトだった。スイッチを入れると、携帯のライトとは比較にならないほど明るい。
……ところで今、レムちゃんはなんて言ったんだ?
「レムちゃんナーイス」
私が思わず拍手すると、レムちゃんは照れまくった。
「キャティ、大丈夫? 歩ける?」
黒神由貴がキャティの両肩を支えてやりながら、言った。
「ダイジョブ」
キャティがうなずく。
「くろかみ。この停電、クコンバがやったのかな」
「そうでないことを祈りたいけど、タイミングがよすぎるよね」
私たちは部屋のドアを開け、左右を見た。非常灯は別系統なのか、廊下のところどころで点灯しているが、廊下の向こうまで見渡せるほどには明るくない。自分の手が見えないほどの暗闇ではない、という程度だ。
「じゃあ食堂まで行こう。残ってる人もいるだろうし」
私はレムちゃんからマグライトを借りて、先頭に立って進んだ。真ん中は、レムちゃんとキャティ。後ろは黒神由貴とアマンダが背後に気を配りつつ歩く。
「残ってる人もいるだろうし」なんて言ったものの、そう言った私自身が、一番自信がなかった。だって、こうやって食堂まで階段を下りていくのに、誰とも出会わないし、騒ぎ声一つ聞こえないのだ。突然停電になったのだから、キャアキャアという声ぐらいするはずじゃないか。
1階に到着して、食堂へ向かう。ここまで来ても、やはり誰の声も聞こえない。
食堂の扉は開いたままになっていた。ここも照明は非常灯だけで、中はよく見えない。
「……誰もいないみたい。そんなはずないよね」
誰に言うでもなく私は言って、食堂に足を踏み入れた。
顔に何かかかって、私は無意識にそれを手で払った。だがそれは払うことが出来ず、手にくっついた。
「なにこれ気持ち悪い……」
言いかけて、私は手にくっついた物の正体に思い当たり、背筋が冷えた。
マグライトで食堂内を照らす。
食堂内には、縦横斜めと、白いヒモが張り巡らされ、垂れ下がっていた。
垂れ下がっているのはヒモだけではなかった。何か人間ぐらいの大きさの白い物体が、いくつも、天井からぶら下がっていたり、床に転がっていたりしていた。
私は「ヒュッ」と音を立てて息を吸い込んだ。
「人間ぐらいの大きさの何か」ではなく、あれは人間だ。さっきまで食堂にいた、寮生たちだ。
食堂は、すでにクコンバの巣になっていた。
7.クコンバとの戦い
私は、空いた左手の先を揺らし、後ろにいる黒神由貴やレムちゃんたちに、下がるように合図しながら、私自身もゆっくりと後ずさりした。
まずい。このままこの場にいたら、絶対にまずい。
右手に持ったマグライトが揺れて、食堂内のあちこちを照らした。
白いヒモ──クコンバの蜘蛛糸が張り巡らされた中に、一瞬、黒い影が光に浮かんだ。
クコンバだった。
光に気づき、クコンバが振り返った。しわくちゃの、アジア系の顔をした老婆の顔がそこにあった。
クコンバの右目がつぶれていた。アマンダが投げたスノーボールが命中した傷だ。
私の肩に手が置かれた。身体がびくん! と反応する。
おそるおそる振り返ると、神代先生が私のすぐ後ろに立っていた。唇に人差し指を当て、「声を立てるな」のジェスチャーをする。
神代先生の後ろには、黒神由貴やレムちゃんたちがいた。
「……ゆっくり下がって」
神代先生がささやくような声で言った。クコンバの様子をうかがいながら、私と神代先生は後ろ歩きで食堂から離れていった。
私たちが食堂入り口から数メートルほど離れたあたりで、食堂の中から「ヂャアアッ」という声とも音ともつかない鳴き声と、ガサガサという音が聞こえた。
食堂入り口に、枯れ木のようにゴツゴツしたクコンバの足があらわれ、すぐにクコンバ本体も出てきた。
「ヂャアアッ」
老婆が大口を開けて、叫んだ。
「みんな走れっ!」
神代先生が叫び、私たちはダッシュした。
「あっ」
運動が苦手なレムちゃんが転んでしまった。それに気づいた私たちが振り返ったときは、すでにレムちゃんと私たちは数メートルの距離が空いていて、クコンバがガサガサという足音を立てて接近していた。
「レムちゃん!」
私は叫んで、レムちゃんのところに駆けよろうとしたが、もう遅かった。クコンバが大口を開け、レムちゃんにのしかかった。
今ここでうまく行くかどうかわからないが、いちるの望みを掛けて、掌底雷波を放とうと、私は両てのひらをクコンバに向けた。
そのときだった。
レムちゃんが両腕をそろえて、クコンバに向けると、クコンバが顔を押さえてのけぞった。
「ヂャアアアアアッ!」
顔を押さえたまま、クコンバは身もだえした。8本の足をバタバタと動かしている。
なんだっ!?
私は目を疑った。今、レムちゃんは何をした? レムちゃんも、私みたいに掌底雷波のような技を使えるのか? レムちゃんも、実は黒神由貴や神代先生みたいに、「そういうこと」が出来る人だったのか?
私が呆然としている間に、レムちゃんはあたふたと私たちのところまで走ってきた。
ペタンとへたり込んだレムちゃんを、黒神由貴が抱きしめた。
「うわああああん、おかねへあったじゃ~!」
「レムちゃん、今、何をしたの?」
レムちゃんを抱きしめた状態で、黒神由貴が訊いた。黒神由貴もよほど驚いたらしい。
「……これ」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、レムちゃんは握りしめていた物を私たちに示した。それはスプレー缶で、「スーパーゴッキー」という商品名がデカデカと書かれていた。
「殺虫剤!?」
神代先生が驚いた声で言った。
「キャティがらクコンバが蜘蛛の化げ物だど聞いだはんで、たんげだば効ぐんでねがべがど思って」
気が動転しているのか、レムちゃんの話す言葉は、さっきから故郷の青森の言葉になっている。
「効くもんなんだなあ」
神代先生が感心したような声で言って、クコンバに目を向けた。
「致命傷は無理みたいだけどな」
クコンバは身もだえをやめていた。一つ残った目が怒りに燃えている。
レムちゃんの殺虫剤攻撃を警戒しているのか、いきなり向かってきたりはしない。足を1本1本動かして、ゆっくりと迫ってくる。
黒神由貴がサイドスローで呪符をクコンバに投げつけた。
呪符はクコンバの顔に貼り付き、クコンバは叫び声を上げて、顔をかきむしった。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前!」
神代先生が九字を唱え、独鈷杵を持った右手をクコンバに向かって突き出した。
何かがぶつかったように、クコンバの身体が1メートルほど後退した。
「呪われよ、悪魔!」
十字架のペンダントトップを突きだして、アマンダが叫んだ。
「黒神さん、まだ呪符ある?」
「あります」
「ちょうだい」
神代先生は黒神由貴が差し出した呪符を受け取ると、独鈷杵に結びつけた。
「あ」
「あ」
私と黒神由貴が同時に言うと、神代先生はニヤリと笑った。
「この方法、なつかしいでしょ。──よし、行くぞ」
そう言うと、神代先生はクコンバと向かい合った。
クコンバは廊下の左右の壁に足をつけ、天井近くに身体を浮かせていた。蜘蛛の胴体を折り曲げて、お尻を私たちに向けている。蜘蛛糸を私たちに放つつもりなのだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前! とやあっ!」
神代先生が投げた独鈷杵はクコンバの胴体に命中した。
黒神由貴と神代先生が、それぞれ両てのひらをクコンバに向けた。
「はああっ!」
黒神由貴と神代先生が同時に気合いを発すると、クコンバの胴体にめり込んだ独鈷杵が光った。
違う。光ったんじゃなくて、白い炎を上げて、急激に燃え上がったのだ。
真昼よりももっと明るく、何も見えなくなった。目を閉じてもまぶしい。クコンバが上げる、身の毛もよだつような叫び声が耳に突き刺さった。
火事、ヤバいんじゃないのか……。
「真理子、大丈夫?」
黒神由貴の声がして、肩を叩かれた。
ゆっくりと目を開ける。
明るいところから暗い部屋に入ったのと同じで、すぐには周りの様子が見えなかった。
クコンバはいなくなっていた。
あれだけのすごい炎だったのに、焦げ臭い臭いもしない。あれは本当の炎じゃなかったんだろうか。
神代先生が、クコンバがいた場所に立っていた。私たちもおそるおそる、神代先生のそばまで行く。
私を始めレムちゃんやアマンダ、キャティは、神代先生が両手で持っている物を見て、息を呑んだ。
神代先生が持っていたのは、人間の頭蓋骨だった。
「わいは、先生、そえ、そえだば」
レムちゃんが唇を震わせながら、ようやく言う。
「クコンバ。……の、人間部分か。でもって、こいつが本体」
そう言って、神代先生は足元を見下ろした。
そんなに大きくはない、胴体部分が1cmぐらいの蜘蛛が、焼け焦げて死んでいた。
神代先生がそれを踏んづける。
私たちが「ウエッ」という顔をしたのに気づいて、「とどめよ」と言う。
「キャティ」
神代先生がキャティに向かって言った。
「クコンバは死んだよ。もう大丈夫」
驚きすぎて気の抜けたようにその場に突っ立っていたキャティが、へたへたと廊下に座り込んだ。その顔がクシャ、と歪んで、キャティは大声を上げて泣き出した。
わかる。緊張が一気に解けたんだ。
レムちゃんとアマンダが駆けよって、キャティを抱きしめた。一緒になって、彼女たちも泣き声を上げた。
黒神由貴もほっとした顔をしている。私の視線に気づいたのか、黒神由貴が私を見返したので、私は親指を立てて「グッジョブ」のサインを出した。
エピローグ
ラッキーなことに、食堂内でクコンバに襲われた寮生や寮母さんは、みんな無事だった。あのままだったらいずれは血を吸われていたかもしれないが、私たちが食堂にやってきたので、私たちをターゲットにしたのだ。
寮内の停電は、やはりクコンバの仕業だった。寮の横に設置された受電設備がなぎ倒されていた。
食堂内にいた人に関しては、黒神由貴と神代先生が「気のせい」ということにしたらしい。
キャティ、アマンダ、レムちゃんに関しては、体験が強烈すぎて、二人の力を持ってしても、記憶をいじるのはちょっとむずかしいらしい。なので、他言無用と固く約束させたそうだ。
クコンバの人間部分の残骸である頭蓋骨は、神代先生が「幻丞に始末させる」とのことだった。なんかよくわからないが、「リリスの件で貸しがある」んだそうだ。
参照:幻丞色街退魔行
その日以降、キャティやアマンダ、他の短留生すべて、なんの問題もなく星龍学園での短期留学を満喫したのだった。
そして短留生とのお別れの日。
普通は一般生徒は見送りに行ったりはしないのだが、私と黒神由貴、レムちゃんはぜひにと請われて、空港まで行った。
「ユキー! You are SuperWitch!」
アマンダが黒神由貴をハグして叫んだ。
アマンダが身体を離すのを待ち構えていたキャティが、同じように黒神由貴に抱きつく。
「ユキー! I love you!」
そう叫んで、黒神由貴の顔中にキスしまくった。突然そんなことをされて、黒神由貴の目が泳いでいる。
私やレムちゃんも、同じようにアマンダやキャティからハグされ、キスされた。言うまでもなく、全員がウルウル状態だ。
キャティやアマンダがゲートに入り、展望デッキからそれぞれの国へ離陸するのを見送って、私たちは家路に着いた。
「スーパー魔女(Witch)だってさ」
あとで私が黒神由貴にそう言うと、黒神由貴は照れていた。
蛇足ながら、キャティはその後熱烈を通り越して強烈な日本びいきになり、日本の大学に入学、そのまま日本の企業に就職し、日本人の旦那さんをもらって日本に永住することになるのだが、それはまだずっと未来の話だ。
「レムちゃん」のキャラクター造形提供:レムパパ様
「クコンバ」誕生のきっかけとなったツイッターアカウント
「恐怖の中年人間bot」様に感謝いたします。
(クコンバ誕生のきっかけとなったツイート)
バンコクのクコンバ