1.幻丞、相談を受ける
10/23 15:43
frm:ミカ
sb:こんにちは
ミカです♪
店長が、先生に何か相談したいらしくて。
都合のいいときにお店に来て欲しいそうです。
店長は急ぎじゃないって言ってましたけど、
あたしが先生に会いたいので、
なるべく早くきてください♪
メールの送り主は、高野山の僧侶・幻丞がちょくちょく遊びに行っている、歌舞伎町にあるファッションヘルス「ザ・インペリアル」のコンパニオン、ミカであった。
読みようによっては新手の営業メールとも受け取れるが、ミカはこんな遠回しな手段は使わない。「先生とエッチなことしたいから、来て♪」とストレートにメールをよこす。なので、本当に「ザ・インペリアル」の店長が相談したいのだろう。
これまでにも何件か、幻丞は歌舞伎町で働く風俗嬢たちの相談事を引き受けたことがある。
ただ、そのいずれも、単純な男女間の色恋沙汰のもつれではなく、幻丞の本職、すなわち妖しがらみであった。
営業時間中に訪問するのも商売の邪魔だろう。いつ訪問すればいいか、幻丞はミカに返信した。
数日後の昼前、幻丞はファッションヘルス「ザ・インペリアル」の応接室にいた。平日の午前中ならば客はそれほど多くはなく、受付を従業員にまかせて、ゆっくりと話せるとのことであった。
「……それでも、けっこうお客が入っているようですね」
受付で応対する声を聞いて、幻丞が言った。
「薄利多売というやつですね。イベントや割引ばかりのお客で、正直実入りは少ないですわ」
苦笑いを浮かべて店長が答える。
「さて」
と、幻丞が居住まいを正して言った。
「今日はどのような用件で私をお呼びに?」
「はい。実は私の知り合いのことなんですが……」
店長は縁なしメガネをクイと上げ、語り始めた。
「仲嶋と言いまして、そいつは私の幼なじみでしてね。そいつが最近、メンタル的に相当まいっていまして。というのが、昔、仲嶋がある娘に惚れまして。勇気を振り絞って結婚を申し込んだものの、木っ端微塵に玉砕しまして。それが、ざっと二十何年か前、30年にはならないぐらい前の話でして」
「30……」
せいぜい数年ぐらい前の話と思って聞いていた幻丞は、さすがに二の句が継げなかった。
「それだけなら、どこにでも転がっている失恋話なんですが」
店長が続ける。
「それから数年後に、その娘の実家に多額の負債があることが発覚しまして、そのすべてではないにしろ、負債のいくらかは、娘とその母親の浪費が原因だったそうでしてね。
元金はなんとか返していくとして、利子分の100万だけでも貸してもらえないかと、仲嶋に話が来たそうで。お人好しにも、仲嶋はポンと100万を貸しましてね。あ、いえいえ。その金は一応ちゃんと返済されたそうです。なにやかやともめたそうですがね。
それからしばらくして……1年ほどでしょうかね。その娘が子供を産みまして」
「え? その女性は結婚していたんですか」
話の内容から、娘というのが独身と思っていた幻丞は思わず言った。
「いいえ。独り身です。シングルマザーということです。しかも相手は妻子持ち、つまり不倫です」
なんなんだ、このドロドロ話は。と、幻丞は内心で思いつつ、聞く。
「妊娠がわかって、娘は実家に戻って──ああ、腹ボテになったときは実家を出てアパートで一人暮らししていたそうで。親の目がないので、男を連れ込んで好き放題やっていたということなんでしょうな。
当然のことながら、相手方とは大もめにもめて、それなりの額の慰謝料を払うことになったはずです。いいええ。20歳をいくつか超えたぐらいの小娘が払えるはずもありません。娘の両親がすべて払ったそうです。養育費は……どうでしょうねえ。そこまでは私も聞いておりませんが、相手方から『寝言をほざくな』とでも言われたんじゃないですか。
実家に戻った娘は、そこで子供を産みました。それで、実家に身を寄せてシングルマザーとして子供を育てていけば、同情もされたんでしょうが」
違うんだな、と幻丞は理解して、そのまま店長が話を続けるのを待った。
「子供を産んでいくらもしないうちに、娘は男とくっついて、子供を置いて実家を出ました。不倫相手じゃありません。どこかで知り合った、別の男です。田舎のことですから、父なし子を生んだとか男狂いとか、さんざんうわさになったんでしょうな。
それからの娘の生活は、はっきりとはしないのですが、荒んだものだったそうで。ごくごくたまに実家に来る連絡は金の無心ばかりだったとか。
こう言ってはなんですが、田舎の低偏差値の高校出の、社会人経験もさほどない女ができる仕事なんざ、そうあるものじゃありません。結局のところ、風俗に流れたんだろうと思います。それも、はした金で身体を売る安風俗にね。良くてソープ、ちょんの間、悪くすると本番サロンか立ちんぼ。
男を自分につなぎ止める手段として、身体がダメなら金でつなぎ止めるしかないですわな。男に貢ぐために身体を売って、男はその金でよそに女を作る。それでも、身体を売って稼げているうちはいいですが、ぶくぶくと醜く肥え太って身体が売り物にならなくなると、あっさりと捨てられて」
「あの、すみません店長」
さすがに幻丞は不思議に思い、店長の話をさえぎった。
「その女性のこと、どうしてそこまで詳しくわかっているんですか」
「これは失敬」
店長は頭を掻いた。
「言い忘れておりました。先ほどから話している娘というのは、仲嶋の従姉妹に当たります。六つか七つ年下だと聞きました。仲嶋はその従姉妹の実家や親戚から話を聞いたそうです」
「従姉妹に結婚を申し込んだわけですか。日本は四親等との婚姻はできますからね。──ええっと。それで、その仲嶋氏は、いまだにその従姉妹さんに心が残っていると、そういうことなんでしょうか」
「まあそういうことです。ベタ惚れしていた娘に浪費癖があり、不倫の末にシングルマザーになって身を持ち崩したというのが相当にショックだったようで。見合いでもして所帯を持てば忘れることもできたでしょうが。そしてまた、風俗で気を紛らわせるということもできないやつでして」
「えっと……」
どう言えばいいものかと言葉を選びつつ、幻丞は言った。
「要するに、仲嶋氏がその従姉妹さんのことを吹っ切ることができればいいわけですよね? でしたら、こういう言い方はなんだと思うのですが、話を聞いていますと、30年近い前のことだということですから、その従姉妹さんは、今はもうかなりの年齢のようですし、身体を売って荒れた生活をしていれば、容姿もかなり衰えているのは間違いないでしょう。荒療治になりますが、仲嶋氏と従姉妹さんを会わせれば、現実を認識して幻滅して、吹っ切れるのではありませんか」
「それができれば、一番手っ取り早いのですが」
店長がため息をついた。
「その女、仲嶋の従姉妹は、男に捨てられた後、安アパートで一人暮らしをして、スラム街で立ちんぼをして口を糊しておりましたが、ある日、孤独死しているのを発見されまして。去年のことです」
幻丞は絶句する。男にだらしない女が転落してゆく典型的な形だが、末路を聞くと、やはり哀れである。
幻丞はふと、店長が話を切り出したときに言ったことに気づいた。
「店長。最初に、仲嶋氏が『最近』悩んでいると言われました。30年間ずっと悩んでいたわけではなく、最近そうなったというのは、何かきっかけがあったのですか」
「おっと、それも説明が足りませんでしたね」
店長は再び頭を掻いた。
「たぶん、心の奥底にはずっとくすぶるものがあったのだと思います。それが突然噴出したのは、仲嶋自身が言うには、半年ほど前に夢を見たからだそうで」
「……夢。従姉妹さんの、ですかね」
「そうです。と言っても、別に虫が知らせるような内容ではなく、ただ、従姉妹が若い頃の姿の夢を。それを見て激しく動揺して、それから従姉妹のことが頭から離れなくなったとか」
「でしたら店長。これはもう心療内科の領域なのではありませんか? こうなると、もはや私たちにできることはないのでは」
「おっしゃるとおりです」
店長は大きくうなずいた。
「これだけでしたら、世間にいくらでもある、頭と股のゆるい女が身から出た錆で死んだだけと言えるのですが」
「違うのですか」
縁なしメガネの奥で、店長の目がかすかに泳いだ。
「最近、このあたりのラブホテルや安宿で、男が死んでいるのが発見されている事件が続いているんですが、ご存知ありませんか」
「はあっ?」
幻丞は思わず声を上げた。
話の飛躍について行きかねた。
「店長。どういうことですか。先ほどまでの仲嶋氏と従姉妹さんの話と、その事件と、何がどう関係しているとおっしゃるんです」
「そう思われるのも無理はありません。私自身、信じていただけるかどうか、心もとないのです。つまりその、仲嶋が、先ほどの話の仲嶋がですね、ラブホテルや安宿で発見された男は殺されていて、殺したのは、その、つまり、仲嶋の従姉妹だと言うんですね。去年、孤独死しているのを発見されて、すでに死んでいるはずの従姉妹だと」
2.幻丞、妖しの話を聞く
「店長。ちょっと話を整理しましょう」
内容が内容なだけに、つっかえながら話す店長を押しとどめ、幻丞は言った。
「その従姉妹さんが、まあなんと言いますか、化けて出て、人を殺してまわっていると」
「ちょっと違います。……らしいです」
「店長は、ご覧になったわけでは」
幻丞が訊くと、店長は首を横に振った。
「私は見ておりません。目撃者やホテルの会計係、それと仲嶋自身の言葉からするに、20歳ぐらいの若い女だったと」
それを聞いた幻丞が首をかしげる。
「それなら、どうしてその女が従姉妹さんであると、──あー、従姉妹さんの亡霊だと言えるんです。従姉妹さんが亡くなったのは、四十代半ばぐらいの歳だったのでしょう?」
「仲嶋が一度女を見かけたらしく、その仲嶋が、あれは従姉妹だと。若いときの従姉妹だったと」
「店長。とりあえず事件の話を先にうかがいましょうか。その事件が殺人事件なのは確かなのですか」
幻丞は言った。このままでは話があっちこっちに飛び回りそうで、まずはわかるところから責めようと判断したのだった。
「殺人と言えるかどうか。ただ、同じような事件が立て続けに起きていて、犯人はいまだ不明。そういうことなんです」
「殺人かどうかは置いておくとして、どういう状況なのですか」
店長は縁なしメガネをクイと持ち上げて、思い出しながら話し始める。
「ラブホテルに男女が泊まりでチェックイン、男の方はサラリーマン風だったり遊び人風だったり、さまざまだったと。女の方はとくに風俗嬢といった風でもなく、ごく普通の若い娘だったと。ホテルの受付も、ホテヘル嬢が仕事で利用するのだろうと、なんの疑いも持たなかったそうで。
翌朝、チェックアウト時刻になって部屋にコールしても応答がなく、従業員が入って行ったら、ベッドの上で男性客だけが死んでいたと」
「死因は?」
「手っ取り早く言えば腹上死ということになるんでしょうが、関係者からちらっと聞いた感じでは、被害者は中年になるかならずかといった歳で、年甲斐もなく頑張りすぎてというわけでもなく、ヤバげな薬をやっていたわけでもなく、……まあ、こういう言い方がいいのかどうか、しぼり取られて死んだ風であったと」
「古い言い方でいうところの『腎虚』というやつですね」
「女の姿は消えていました。女だけが先にチェックアウトしたというわけでもありません。受付の目を盗んで逃げようとしても、出入り口や廊下、エレベーターには監視カメラがありますから」
「しかし実際には女の姿は消えている。ミステリーだったら何かトリックを用いて人目を避けて脱出する方法があるのでしょうが、そうではないということですね」
「1件だけならそうも言えましょうが、これまでに3件、同じような事件が起きていますからね。客が腹上死で死んで、ややこしいことに巻き込まれるのがまっぴらな売春婦がトンズラこくというのはよくある話ですが、同じような事件が3件立て続けというのは不自然でしょう。あ、死んだ男性客は睡眠薬のたぐいを飲まされていたわけでもなく、現金が入った財布もそのままだったので、昏睡強盗でもないそうです。ミステリーがらみで言えば、死んだ男性客同士は知り合いではなく、共通点やつながりもありませんので、『ミッシング・リンク』の線はないだろうと」
この店長、実はけっこうミステリーマニアだな、と幻丞は内心で笑った。
「うちは店舗型ですからいいんですが、ホテヘルやデリヘルやってる同業者は、客が警戒して客足がばったり途絶えてしまって、別の意味で血の気が引いていますよ」
「でしょうねえ。どういう方法かは不明ながら、その女と関わると死ぬ、そして女の正体はわからないとなると、禍々しい連想が働いても無理ありませんし、その女を仲嶋氏がたまたま目撃して、それが従姉妹さんで、でも実際は従姉妹さんはすでに亡くなっているとなると、話はややこしいですねえ」
「その女が仲嶋の従姉妹の、若いときの姿をしているというのは、私と仲嶋だけが知っていることなんですが、どうしましょう。一度、仲嶋にも話をさせましょうか」
「いや、それは今はまだけっこうです」
何か思うところがあるのか、幻丞は店長の提案を即座に断った。
「それよりも、今度仲嶋氏と連絡がついたら、従姉妹さんのことをできるだけ詳しく聞いておいていただけませんか。姓名、出身地や実家の住所などなど。私の方でも調べてみますので。で、ですね。くれぐれもお願いしておきたいのですが、この件について私が関わっていると、仲嶋氏には伝えないようにしていただけますか。それと、もし必要が生じたときは、店長にもお手伝い願うことがあるやもしれませんが、よろしいでしょうか」
「それはもう、なんなりと。それと、御礼の方はちゃんとさせていただきますので」
「承知しました。ただ、ことがことですから、すっきりと解決するとお約束できませんし、そもそも何一つわからないままということもありえるとご承知おきください。こういう奇妙な事件というのは、えてしてあやふやに終わることがままありますので」
それにも了解してもらい、幻丞は立ち上がった。
立ち上がった幻丞に、店長が言った。
「ミカちゃん、どうします? 今ちょうど待機中ですが」
「でしたら上がらせていただきましょうか」
目尻を下げて、幻丞は即答した。