1.もっちゃん
誰もが「もっちゃん」の呪いだと思った。
誰もが、いずれ犯人たちは報いを受けるに違いないと思っていた。
犯人──正確には犯人と思われる者たちが次々に死に見舞われていったとき、誰もが因果応報を思った。正直に言えば、誰も死んだ犯人に同情しなかったのだ。
──いささか唐突だった。
順をおって語ろう。
最近は報道されることが少なくなったような気がするが、俗に言う「少年犯罪」は相変わらず多い。
私──榊真理子の周辺でも、事件の話をしばしば耳にした。
たいていはひったくりなどだが、傷害そのものを目的とした事件もけっこうあった。いわゆる「おやじ狩り」である。
で、ある夜「もっちゃん」がそのターゲットになったわけだ。
「もっちゃん」は浮浪者──ホームレスであった。「もっちゃん」というのは仲間内での通称で、本名は誰も知らなかった。
瓶や空き缶、段ボールなどを回収して日々の糧を得ていたらしい。
比較的こぎれいな身なりをしていたので、住民も特に迷惑がってはいなかったようだ。
ホームレスの人にはよくあることだが、「もっちゃん」は一匹の犬を飼っていた。
中型の雑種で、老犬と言ってもいい年だったらしい。
事件を目撃した人はいない。
加害者(であろうと思われる)がはしゃいでいる声を聞いた人が何人かいる程度であった。
真夜中に悪ガキが騒ぐのは毎度のことなので、誰も気にしなかったらしい。
住宅街の中にある公園、そこの公衆便所の中で「もっちゃん」の死体が発見されたのは、明け方のことだった。
発見したのは、公園を散歩コースにしている、近所の老人。
もっちゃんの死体は、ボコボコ状態だったらしい。
蹴られたか殴られたか、あるいは凶器を使ったか……
もちろん、事件はTVニュースに流れ、新聞にも載った。
近所で起こった殺人事件であるだけに、私も含め、近郊の住人は大騒ぎであった。
──が、正直に言おう。
いくら多少見知っていたとは言え、死んだのはホームレスの人であり、やはり他人事なのであった。
日頃自分たちが歩いている公園で殺人が起こったという興奮が冷めると、次はお決まりの「うわさ話」である。
「あいつらがやったんじゃない?」というヤツだ。
「あいつら」というのが、このあたりをなわばりにしている悪ガキであるのは、言うまでもない。
事件以後、もっちゃんが飼っていた犬を見かけた人はいない。
2.K医大法医学部/剖検室
公園で発見された浮浪者の遺体は、解剖のためK医大法医学部に搬送された。
剖検室に向かいながら、遺体に付き添ってきた刑事が解剖を担当する女医に説明する。
「ガイシャは50歳ぐらいの浮浪者で、数人から殴打されたようです。
今朝発見されたときにはすでに死亡。──ホームレス狩りってヤツですかね」
「遊び気分で人を殺すんだもんねえ。人の命をなんだと思ってるのかしらね」
憤慨しつつ、名取裕子似の女医は剖検室の扉を開いた。
「あら?」
女医がひょうきんな声を上げた。
「遺体はまだ到着していないの?」
「いーえー。俺、ガイシャと一緒に来たんすから」
刑事は首を振って答える。
「じゃ、遺体はどこ行ったってのよ。なんにもないじゃない」
「はあ……そうっすねえ」
剖検台の上に寝かされているはずの浮浪者の遺体は、しかし、そこにはなかった。
もともと、そこになかったわけではないようだった。
剖検台の上には、被害者の物らしき血痕が付着していた。
3.事件その1
家のドアを開けて玄関で靴を脱いでいると、待っていたように母親が台所から飛び出してきた。
というか、実際に私が帰ってくるのを待っていたらしい。
「ねえねえねえ、真理子真理子真理子、知ってる? 知ってる?」
「なーにー。どうしたの。着替えぐらいさせてよー」
「それどころじゃないって。まあ聞きなさいな。ほらほら。2丁目の佐々木って家に、今日、警察が来、た、の、よ。大騒ぎだったんだから」
「2丁目の佐々木……?」
私は首をかしげた。
「もう、にぶいわね。ほら。こないだ公園で人殺しがあったじゃない。あれの犯人じゃないかって言われてる、悪ガキの家よ」
「あっ」と私は声を上げた。「──捕まったの?」
ところが母親は首を激しく横に振った。
「そーれーがー、違うのよ。死んだんだってよ。どう。驚いたでしょ」
「死んだ……なんで?」
「そんなことわかるわけないじゃないのよー。お母さんをなんだと思ってるのかしらねー。この子はもう」
いきなり逆ギレだ。やってらんない。
「甘味堂のおまんじゅうがあるから、着替えたら降りてらっしゃい」
という母親の声を背中で聞きながら、私は2階の自室へ入った。
もっちゃんを殺した(かも知れない)とうわさされていた「悪ガキ」は、この近所の中学生だった。
いつも4~5人のグループで行動し、たちの悪いいたずらを繰り返していた。
私の母親も含め、この界隈の住民はほとほと困り果てていた。
もっちゃんが殺されたとき、誰もがこの悪ガキたちがやったのではないかと思った。
この近所ではオヤジ狩りやホームレス狩りは起こっていなかった。
それでも、あいつらならやりかねないと、誰もが思ったのだ。
普段着に着替えてリビングに降りていくと、お茶が入っていた。
しばらくは母親と向かい合って無言でおまんじゅうをぱくついていたのだが、ふと、母親が言った。
「ねえ……これってもしかして、『もっちゃん』の呪いじゃないかしら」
「まさか……」
私はそう言ったが、母親の目はマジであった。
4.事件その2
「ねえ真理子。なんか近所で事件があったんだって?」
昼休み、なんとなくしゃべっていたときに、黒神由貴が言った。
「そーそーそー。まあ、聞いてよ。ホームレスの人が公園で殺されて。
でね。うちの近所の悪ガキ連中が犯人なんじゃないかってうわさされてるんだけど、おととい、その悪ガキの一人が死んじゃってね。
でね、でね、それがさ、『もっちゃんの呪いじゃないか』って、うちのお母さんなんか言うんだけど」
とまあ、私が知っている範囲の情報を話した。
一瞬、母親と同じことをやっているような気がしたが、そんなことはどうでもいい。
「『もっちゃん』って?」
「あーごめん。殺されたホームレスの人の名前。……通称だけど」
黒神由貴はうなずきながら聞いていた。
それなりに興味があるらしい。
話の途中、黒神由貴の目がほんの一瞬鋭くなり、元に戻った。
その日の帰り道。
駅の改札を出ると(私の家がある方の駅ね)、サイレンの音が耳に飛び込んできた。
パトカーのサイレンである。
そんなに遠くの方ではない。
何があったんだろうと思いながら、私は家へと歩いた。
家まであと数メートルというところで、玄関から誰か飛び出してきた。
誰かということもない。──私の母親だ。
「お母さん、どうしたの」
声をかけると、私に気づいて、振り向いた。
「あ、真理子。ちょうど良かった、早くいらっしゃい」
そう言って、どこかへ走ろうとする。
私もつられて小走りしながら、母親に言った。
「なに、どうしたの、どこ行くのよー」
「いいからー」
わけがわからん。
仕方なく、着替えもせず鞄を持ったまま、母親の後を追った。
数分ほど行くと、パトカーが何台か停まっているのが目に入ってきた。
赤色灯がグルグルと回っている。
そのまわりをぐるりと囲むように、大勢の人がたむろしていた。
母親もその人たちの近くで立ち止まり、そこで私も追いついた。
「……なんなの……?」
小声で、母親に訊く。
「例の。悪ガキの家……っ」
「逮捕しに来たのかな……?」
「それだけで、こんなに何台もパトカーが来るはずないじゃないのっ」
ここで母親は一瞬、間を置いた。業界用語で「ため」という。
「……殺されたのよっ」
「……また?」
そのとき、問題の家の玄関から、担架が運び出されてきた。
担架には白いシーツが掛けられていて、それが誰なのかは見えない。
ただ、サスペンスドラマでけっこう目にする光景なので、それが何なのかは想像がつく。
遺体だ。
担架に付き添って、中年の男女が出てきた。
たぶん、悪ガキの両親なんだろう。
担架と一緒に警察車両に乗り込み、「現場」を去って行った。
事情聴取とか、色々あるんだろうなー。
去って行く車をなんとなく目で追っていた私の耳に、周りのあちこちから、ひそひそ声が聞こえてきた。
ひそひそ声は、「祟り」とか「呪い」とか言っていた。
そう。
私の母親だけではなかった。
この近在の人たちは、みんな感じているのだ。
あの「もっちゃん殺し」と、これらの事件とに、何か関わりがあるということを。
……みんな、何かに怯えていた。
私もまた、ようやくではあるが、「もっちゃんの呪い」を実感し始めていた。