8.留置所
後藤篤志の惨殺死体が自宅自室で発見された。
田中英樹が地元の警察署に出頭してきたのは、その日の夕刻であった。
警察は色めき立ち、これまでの殺人と田中英樹との関わりを調べようとしたが、田中のアリバイは完璧であった。
というより──そもそも田中は自首してきたわけではなかった。
自首ではなく、「保護」を求めてきたのであった。
出頭してきたときの田中は、明らかに常軌を逸していた。
「殺される」「次は俺の番だ」──そんなことばかりを繰り返し、時折パニックに襲われて、暴れ回る。
現状では取り調べも不可能なため、とりあえず落ち着くまで、田中を留置場に入れておくことにした。
その警察署に留置室は3部屋あった。
そのうちの1室に、田中は一人で入れられた。
通常は数人が1室に入れられるのだが、田中が精神的に落ち着くまでの暫定措置であった。
夜になり、ざわついていた留置室も静かになった。
田中は留置室の隅で、身体を丸め、膝をかかえて座り込んでいた。
入れられたときから、ずっとその状態であった。
出頭してきたときに比べると、少し、──ほんの少しだけ落ち着いてきた。
もう大丈夫だ。
なんたって、ここは警察なんだから。
あいつだって、ここには来られない。
助かった。
もっと早く来ればよかった。
だって俺、未成年だもんな。
15だもんな。
死刑になるわけでもないしな。
膝をかかえる腕の中に顔をうずめて、田中はブツブツとつぶやいた。
あんなホームレス一人殺したぐらいで殺されたんじゃ、割に合わねえよな。
どうだっていいじゃんかよ、あんなゴミの一人や二人。
「……お兄さん。そういう了見はいけねえなあ」
唐突であった。
田中ははじかれたように顔を起こした。
留置室の真ん中あたり、田中から数メートルも離れていない所に、そいつがいた。
──犬? 全身を真っ黒い毛に覆われた犬が、そこにいた。
そいつは犬のように見えた。だが、大きさが普通ではない。形はよくいるタイプの雑種風だが、大人の人間と同じぐらいのサイズなのだ。
ちょうど人間が四つん這いになれば、それぐらいの大きさになるだろう。
だが、人間ではない。明らかに、動物の、犬だ。
どこかで、こんなのを見た……。そうだ、アニメ映画で、あったよな……
そうだ、確か「もののけ……」
そいつが口を開いた。真っ赤な舌がだらりと垂れて、人間の言葉をしゃべった。
「自分だけ助かろうなんていうのはいけねえ。それは人の道に外れてるってもんだ」
言葉の間に、ハアハアという獣の息がもれる。
「『おいた』をしたら、ちゃんと償わないとなあ」
「……ば、化けて出たのかよ」
田中はやっと、それだけを言った。
股間は気味悪く濡れていた。いつの間にか失禁したのだ。
「……化けて出る?」
そいつは、笑ったように見えた。
「今どきのガキでも、そういうことを考えるのかね。そういうことを気にするのなら、そもそも人を殺したりしないのが筋ってもんじゃないかね?」
そいつは続けた。
「ま、ホームレスが何人死のうと、拙僧には関わりないことだったがね。……この『もっちゃん』という男を殺したことが、あんたたちの身の不運だったのさね」
どういうことなんだ……あんたが「もっちゃん」じゃないのか……「せっそう」ってなんなんだ……
田中がそう思ったとき、そいつはすでに目の前に近づいていた。
田中の理性が消し飛んでいた。
留置場中に響き渡る叫び声を上げた。
なんの反応もなかった。
ここに入ったときは、ちょっと声を上げたら、すぐに係員がとんできたのに。
「無駄だよ」
そいつが言って、口を大きく開けた。
長々と続く田中の叫び声が、唐突に、途切れる。
9.事件はすべて終わった……か?
悪ガキがまた一人自宅で死に、警察に自首した一人も、留置場で死亡したという。
もちろん詳細は分からない。
新聞やニュースで、さらっと報じられただけだ。
そのうち朝や昼のワイドショーなどでセンセーショナルに報じられるだろうが、結局はすでに報じられた以上のことは分からないような気はする。
せいぜいが悪ガキたちのこれまでの行動や「もっちゃん」の事件との関連ぐらいだろう。
とりあえず、うちの近所では、犯人だろうと思われていた悪ガキがすべて死んだことで、なんとなく気が抜けたようになっていた。
いずれ「祟り」だの「呪い」だのといった視点で実話怪談系の本のネタにはなるかも知れないが、逆に言えば、それ止まりだろう。
「……なんかね、最近は誰もうわさしてないみたい。ひところは『次は誰それだ』なんてばかり言ってたんだけどね」
星龍学園からの帰り道、私は黒神由貴に言った。
「ネットではまだまだ呪いだの祟りだのってうわさが飛び回ってるけど、それもまあ、時間の問題で消えていくんじゃないかなあ。みんな、これで終わったと思ってるみたい」
「……終わっていないっていうの?」
黒神由貴が言った。
「あー、ううん。私もこれで終わりだろーなーって思うのよ。でもなんかね。気味悪いじゃない。結局、悪ガキたちを殺したのが誰なのか、わかってないんだもんね」
「なるほどねー」
「あ、そう言えば、今日9時からテレビで心霊特集あるよ。見る?」
ふと、朝見た新聞のテレビ欄を思い出し、私は話題を変えた。
何が「そう言えば」なのか、よくわからない。
黒神由貴が好きそうな番組だと思ったのだ。──だが。
「9時か……。たぶん、ちょっと無理っぽいな。出かけるから」
「あらま。家族で食事とか?」
「ううん。ちょっと遅くに出かける用があって」
「すみに置けないなー。深夜デートだな?」
「んなわけないじゃない。……えっと、もしかして真理子は知ってるかなあ。
『メリーさんの館』って所に行くんだけど……」
「メリーさんの館」……なんか、どこかで聞いたことがあるな……って、
( ゜▽ ゜;) えっ!?
「『メリーさんの館』って、最近話題になってる心霊スポットじゃないの。
そんなところに何の用があるってのよ。しかも深夜にっ!」
「んー、まあ、いろいろと。……だから心霊特集、見られないわ」
黒神由貴のことだ。単なる心霊スポット探検というわけではないはずだ。何か目的があるはず。
……で、私は思わず言っていた。
「私も行く!」
「……。ええ?」
めったに見られない黒神由貴のびっくり顔を見られただけでも、そう言った価値はあったというものだ。
10.メリーさんの館へ
出かけるにあたって、うちの親をごまかすのには苦労した。
黒神由貴の家でテスト勉強するとか何とか、ありがちな嘘っぱちで通した。
午後10時、待ち合わせた黒神由貴と二人、拾ったタクシーに乗り込んだ。
行き先は、黒神由貴が運転手に告げた。
「……えっと。そこにその……あるわけ?」
「うん。……らしい」
「誰からそんなこと聞いたの」
「お祖母様から」
何で黒神由貴のおばあさんがそんなことを知っているのか、はなはだ疑問ではあったが、この際それはあとまわしだ。
……と、タクシーの運転手がルームミラーで私たちをチラチラと見ながら言った。
「お嬢ちゃん。あんたの言った場所はこの辺だけど……ここでいいのかい?」
言われて、黒神由貴は辺りを見回して、答えた。
「……あ。はい。ここでけっこうです。停めて下さい」
走り去ったタクシーを見送りながら、私は言った。
「あの運転手さん、ちょっとビビってたわよ。
……そりゃそうよね。女の子二人がこんな時間にこんな場所に行けってんだから」
そこは郊外の国道だった。
片側1車線の太さで、道の両側にはガードレールがあり、幅1メートル程度の歩道がある。
もとはこのあたりの幹線道路だったが、バイパスができてからは、交通量が激減した……そんな道路だ。
街灯も、ポツンポツンとある程度で、人家の灯りさえ、かなり離れた所にしか見えない。
夜の10時にこんな所に行けといわれれば、そりゃ誰だってビビるってもんだ。
国道は川に沿っていて、その反対側は、森と言ってもいいようなうっそうとした木々であった。
それ以外、何もない。
目の前に立っている黒神由貴さえ、顔がはっきりとは見えないくらいだ。
私たちは持参した懐中電灯を点けた。
「……で、これからどうするの? 何もないじゃん」
「えっとね……ちょっと待って。ええっと……あっちよ」
黒神由貴は言って、10メートルほど先を指さした。
そこまで行ってみると、そこだけガードレールが切れていて、道があった。
無理すれば車2台がすれ違うことができる程度の、細い道だ。
ゆるい登りになっていて、木々の中に入ってゆく。
「この先に『メリーさんの館』があるの?」
黒神由貴はうなずいて、その道を歩き出した。
「あのー、くろかみ?」
「なに?」
「えっと、そのー、悪いけど、手──つないでくれない?」
なんのことはない。実は私もビビっているのであった。
懐中電灯の頼りない灯りを頼りに、黒神由貴に手をつながれて歩くこと、十数分。
……何か、おかしい。
迷路庭園じゃあるまいし、分かれ道が多すぎる。と言うか……
「くろかみー。いくらなんでも、遠くない? なんか、同じ所を何回も通ってるような気がするんだけど」
「……結界みたいね」
樹海と見まごうばかりに深い木々を見上げ、黒神由貴は言った。
「真理子。ちょっと目をつぶってくれる?」
「あ? う、うん」
私は素直に従った。黒神由貴はつないでいた私の手を放し、どうするのかと思っていると、
パン!
と手を打つ音が響いた。
再び手を握られる。
「行こっか。たぶん、もう大丈夫だから」
数m進むと、また分かれ道になっていた。
そこを右に進むと、夜空に黒く浮かぶ建物があった。
窓に明かりは見えない。うわさ通り、廃墟ということなのだろうか。
「ええー? くろかみー。ここって……これって……」
建物のそばまで行き、あちこちを照らした私は、思わず言った。
「ラブホじゃん!」
「メリーさんの館」と言うぐらいだから洋風建築だろうとは思っていたが、──いや、確かに洋風建築なんだけどさ。
「そうみたいね」
こともなげに黒神由貴は言って、敷地内に入って行った。
入り口を抜けると、中は思いの外広くなっていた。
暗くてよくわからないが、ガレージがいくつも並んでいて、どうやら車で直接入り、そこから部屋へと入る構造らしい。
黒神由貴はあたりを懐中電灯で照らしながら、まわりを見回した。
ここまでは来たものの、黒神由貴もどの部屋に入ればいいものか決めかねているらしい。
「くろかみー、ここに何があるって ひゃあああああ!」
恥も外聞もなく、私は悲鳴を上げた。
今、犬の鳴き声が聞こえたのだ。
黒神由貴が鳴き声の方向へ懐中電灯の光を向けた。
光の中に、中型の茶色い犬がいた。
犬は、甘えるように、くんくんと鳴いた。
「真理子……来いって言ってるみたいよ」
「え……マジ?」
犬はUターンし、私たちはその後をついて行った。
並んだガレージの一つに入って行った。そのガレージだけ、シャッターが1mほど開いていた。
何かを燃やしているような臭いが、その中から漂っていた。
身体をかがめて、中に入る。
ガレージの中央に、人がいた。
灯油缶のフタを抜いて造った簡易ストーブで廃木材を燃やし、暖を取っている。
その人物を見た瞬間、私は黒神由貴とつないでいた手に、思いっきり力を込めていた。
私は「もっちゃん」と話したりしたことはない。
それでも、空き缶や段ボールを回収している姿を見たことは、何度かあった。
だから、顔を見ればそれが「もっちゃん」かどうかぐらいは、わかる。
ガレージの中にいたのは、確かに「もっちゃん」であった。
「やあ、いらっしゃい」
「もっちゃん」は言った。