黒神由貴シリーズ

邪眼の玻璃面 2


5.首都高にて

 9月1日。
 深夜0時、首都高速。
 広域暴力団の下部組織、新妙会構成員の大西鉄二こと朴永天(パク ヨンジュン)はベンツを走らせていた。
 助手席に座っているのは、十代に見える年格好の娘だ。
 30分ほど前、吉原のソープで遊んだあと、駐車場の車に乗り込んだところで、この娘が声をかけてきたのだ。

「新妙会の朴さんですね?」

 娘はいきなりそう言い、大西は一瞬絶句した。
 大西の本名である「朴」を知る者は少ない。組の中でも通名で通している。
 それを、この高校生ぐらいの娘は、いきなり大西の本名を言った。

「誰だ、おめえ」

「喜屋武千波の妹です」

 あまりの驚きに大西が二の句を継げずにいると、喜屋武千波の妹と名乗る娘は、続けて言った。

「乗ってもいいですか?」

 ベンツの助手席に乗り込んで、娘は大西へ顔を向けた。
 娘の顔を見た大西は目をむいて、一瞬身を引いた。
 いつの間にか、娘は仮面を着けていた。
 顔の上半分が隠れて、目の部分に穴が開いている。
 その穴からのぞく目で、娘は大西を見つめた。

「首都高に乗ってもらえます?」

 娘が言った。
 「なんだと?」──そう言おうとした大西だったが、ベンツのエンジンを始動させると、首都高速6号線向島入口へ向かった



 ──なんなんだ、このアマは。

 首都高を走りながら、大西は考えていた。

 この娘は本当に千波の妹なのか。
 俺が千波にやったことを知っているのか。
 目的はなんだ。

 なにより奇妙なのは、新妙会の大西ともあろう者が、娘に言われるがままに車を走らせていることだ。いや、そもそも、逆らう気にもならなかった。
 仮面からのぞく目に見つめられてから、逆らうことができなくなった。

 ──まあいい。
 面倒なことになりそうだったら、このまま事務所に連れ込んで、若い連中4、5人にでも輪姦(まわ)させればいい。
 そのあと、風呂にでも沈めればいい話だ。
 それでまだ面倒が収まりそうになければ──千波のように。

「スピードを上げて」

 娘が言った。
 大西はすなおに右足を踏み込んだ。
 パワフルなエンジンは、ベンツの車体をたちまち200キロ近くまで加速させる。

 待て。冗談じゃねえ。こんな速度は命取りだ。

 大西の理性が言う。
 だが、身体が言うことを聞かない。
 右足はアクセルを床まで踏みつけたままだ。

「おい、こんなスピード出せるか。やべえって」

 大西は言い、助手席の娘を見た。
 娘は相変わらず仮面を着けたままだが、──穴からのぞく目が違っていた。
 真っ赤に充血している。
 それだけではなく、黒目までもが深紅だ。
 大西は突然理解した。
 仮面を着けた娘の、血走った、この真っ赤な目が、自分を操っているのだ。
 この娘の目は、化け物の目だ。

「ちょっと失礼」

 ニヤリと笑った娘はそう言ってハンドルに手を添え、ほんの少し動かした。
 ベンツは右にそれ、中央分離帯に激突した。
 反動ではね返ったベンツは反対側の側壁を突き破り、下の一般道に転落していった。


6.渋谷のラブホテルにて

 9月3日。
 渋谷、午後3時。

「こんにちは。新妙会の早見さんですね?」

 繁華街をぶらぶらと歩きながら、ヘルスに行くか、デリヘルでも呼ぶかと考えていた新妙会下っぱの早見達夫は、突然声をかけられた。
 声をかけてきたのは、どう見ても十代としか思えない娘だった。このあたりで見かける頭の空っぽな女たちのような派手な服装でもなく、援交目的という雰囲気でもない。
 そんな、ごく普通の娘が、「新妙会の早見」と言った。自分のことを知っていて、声をかけてきたのだ。
 驚いて声を出せずにいた早見に、娘はニコリと笑って言った。

「どこかでお話ししません?」

 そして今、早見と娘は、繁華街の路地から入ったラブホテルの一室にいる。
 娘の方が先に立って、スタスタとここへ入ったのだ。

 なんのつもりで、こんなところに連れ込んだのだ。
 大して上等でもない頭で、早見は考えていた。
 新妙会の人間とわかっている相手に、美人局でもあるまい。
 援交目的とは見えなかったが、やはり金が目当てか。
 新妙会の人間であれば、その辺を歩いているサラリーマン相手よりもいい小遣いになると思ったか。
 あるいは、クスリ。
 ついこの間、大西の兄貴が首都高で事故って死んだばかりなので、あまり目立つことはできないが、少しぐらいなら分けてやってもいい。クスリの味を覚えさせれば、後々金づるにもなる。

「なあおい。なんで俺を知ってんだ? 会ったことあるか? どっかのデリヘルかホテヘルにいたか?」

 早見は、ホテルの部屋に入ってからこちらに背中を向けたままでいる娘に声をかけた。
 娘が振り向いた。
 振り向いた娘の顔を見て、早見は思わず「ひえ」と声を上げた。
 娘はいつの間にか、顔に仮面を着けていた。
 外国の仮面舞踏会で着けるような、顔の上半分を隠す仮面だ。
 仮面の目の部分に開いた穴から、娘の目が見えた。

「初対面よ早見さん。でも、あたしはあんたのことをよく知ってる。自分を殺した相手のことを忘れるはずないでしょ」

「な……!」

 絶句した早見は、仮面の穴から見える娘の目が真っ赤なことに気づいた。
 それに気づいた瞬間、早見は娘に抗うことができなくなっていた。

「ベッドに来てもらえる?」

 娘が言った。早見はその言葉に従った。



「これでよし……と♪」

 最後のロープを縛り終えて、娘は楽しげに言った。
 早見はベッドの上で大の字になっていた。その四肢はロープでベッドの足に縛り付けられている。多少の身動きはともかく、起き上がるのはまったく不可能であった。

「おい。何するつもりなんだよ。ほどけよ」

 早見はまだ、自分が陥っている事態が何かの冗談である可能性を捨てきれないでいた。

「これはなんでしょう?」

 ベッドの横に立って早見を見下ろし、娘は手に持った500ミリリットルのペットボトルを振った。中には淡いオレンジ色の液体が入っている。

「ジュ、……ジュース」

「ブーッ。残念でした」

 娘は冗談めかして言い、早見の答えを否定した。

「ガ・ソ・リ・ンです」

 言いながら、娘はペットボトルのキャップを外した。ベッドの早見に、バシャバシャと振りかける。

「ちょっ! おまっ! 何すんだよっ! 馬鹿野郎っ! やめろっ!」

 早見はわめき散らした。娘は、自分の身体にガソリンがかかっても、まったく気に留めない。
 部屋にガソリンの臭いが立ちこめ始めた。
 ペットボトルが空になると、娘はテーブルに置かれた100円ライターを手に取った。

「早見さん、あたしが誰か、言うの忘れてたわね」

 ライターの着火ヤスリに親指をかけ、娘が言った。
 娘の表情はわからない。
 わかるのは、穴から見える真っ赤な目だけだ。

「あたし、喜屋武美咲。──喜屋武千波の妹なの。じゃあね」

 待て。お前、さっき、「自分を殺した相手」とかって言ってたじゃないか。どういうことだ。俺が殺ったのは、あのソープ嬢

 娘が、ライターの着火ヤスリを回した。

しぼっ。 


7.都内のマンションにて

 9月4日。
 午後1時。
 新宿のソープ「田園」のコンパニオン、リンダこと高見繁子は、突然の来訪者におびえていた。

 出勤の準備を整えかけていたとき、インターホンが来客を告げた。繁子が住むマンションは、マンション入り口で暗証番号を入力するか、インターホンで住民に連絡してロックを解除してもらわないと、入ることができない。
 カメラ付きインターホンのモニターに映ったのは、年端もいかない、十代らしき年配の娘だった。

「誰」

 問うた繁子に、娘は「喜屋武千波の妹です」とだけ言った。
 ずん、と腹の奥が気味悪く冷えた。
 入れないわけにはいかなかった。
 繁子はマンションエントランスのロックを開いた。
 数分後、玄関のチャイムが鳴った。
 おそるおそるドアを開けて来訪者の顔を見た繁子は、柄にもなく「ひいっ」と小さく声を上げた。
 ドアを開けたそこに立っていたのは、インターホンのモニターに映っていたのと同じ、十代ぐらいの年格好の娘であった。
 ただ、どういうつもりなのか、娘はその顔に、仮面を着けていた。
 顔の上半分を隠すもので、二つ開いた穴から、目が見える。
 その目が異様であった。
 充血したように真っ赤なのだ。黒目までもが、真っ赤だ。

「あ、あんた、本当にシュリの妹なの」

 シュリというのは、喜屋武千波の源氏名であった。出身地にある首里城にかけていたのだ。

「ええ。──入りますね」

 娘は言って玄関に入り込み、二つある錠をかけ、チェーンロックもかけた。

「な、何すんのよ」

 震える声で繁子が言うと、娘は言った。

「だって、鍵をかけておかないと、不用心でしょ?」

 この娘は、なんの目的で自分のマンションに来たのか。
 まさか、仇でも取るつもりか。
 いや、あれに自分が関わっていたことなど、誰も知るはずがない。
 知っているのは、新妙会のごく一部の人間と、それと。

 ──シュリ自身ぐらいだ。

「奥の部屋に行って」

 娘が言った。
 繁子はその言葉に従った。
 娘の言葉に従うと自分にとって極めて不愉快なことになると予想できたが、逆らうことができなかった。
 仮面からのぞく真っ赤な目を見てから、逆らうことができなくなっていた。

「服をみんな脱いで」

 寝室に入った繁子に、娘は言った。
 言われるがままに部屋着を脱ぎ、下着もすべて脱ぎ去る。
 下腹部の肉がかすかにゆるんでいる以外は、まずまず均整のとれた裸身があらわになった。

「今脱いだランジェリー、口に詰め込んで」

「は?」

 繁子は思わず言った。このバカは何を言っているのだ。
 だが、繁子の思いとは関係なく、繁子の手は足下に散らばる下着を拾い、自らの口に押し込んだ。
 限界まで口が開き、両目から涙がこぼれる。
 下着がのどの奥を刺激し、嘔吐感で身体が震えた。

「ベッドに横になって」

 娘が言い、言葉のままに、繁子はベッドに身を横たえた。

「自分でお腹かっ切ってもらってもいいんだけどね、それじゃ面白くないから」

 横たわる繁子を見下ろし、娘は恐ろしいことを平然と言った。

「手足をむしることにするわ。騒がないでよね」

 やめて。助けて。
 繁子は叫ぼうとした。叫んだつもりであった。
 だが、口に詰め込んだ下着の奥で、かすかなうめき声にしかならなかった。
 娘が繁子の右腕のそばにかがみ込み、肘の両側をつかんだ。

 吐き気をもよおす音が、室内に響いた。


8.キャミの行方

 2学期が始まって1週間、いまだキャミは来ない。
 何かあったとしか思えないが、神代先生からも、むろん学校からも、キャミに関するアナウンスはないままだ。
 単純に不登校になっただけでは、警察も動かない。
 たとえばキャミが住むアパート内に大量の血痕でもあれば話は別だろうが、そういうものはなかったということだ。
 これは、神代先生から聞いた。
 私は、昼休みや放課後は視聴覚室のパソコンで、家に帰ってからは自分のパソコンで、ネット上に何か情報がないか、検索した。
 あまり気は進まなかったが、調べたのはもっぱら新聞社などのニュースサイトだ。
 何か、それらしい事件は起こっていないか。
 女子高校生が事件に巻き込まれたようなニュースはないか。
 そんなニュースを調べているつもりだったが、自宅のパソコンで見ているとき、ついブックマークに入れているサイトのURLをクリックしてしまった。習慣とは恐ろしいものだ。
 表示されたのは、「侮ログ」というサイトであった。
 ネット上の面白い画像、ニュース、動画などをピックアップして紹介しているサイトで、面白いのでいつも閲覧しているのだ。
 だが、さすがに今日はそんな気分にはなれない。
 最新の記事は、沖縄の公園で男性の遺体が見つかったという記事であった。


還れ故郷へ




 沖縄県那覇市のとある公園で、男性の白骨死体が発見された。
公園には湖があり、マングローブが繁っている。
 死体はマングローブの根元で、水に浸かった状態で発見された。
 沖縄県警は事故と自殺の両面から捜査中だが、問題はこの公園の名前だ。
 公園の名前は、「漫湖公園」と言う。
 しばしばシモネタ系ジョークのネタになる公園だ。
 事故であれ、自殺であれ、死に場所がそういう名称の場所であるというのは、感慨深いものがある。
 人間の故郷とも言える名称のここで死ぬのは、ある意味男として本望かも知れない。
 男性の冥福を祈りたい。

 この「侮ログ」以外でも、沖縄の漫湖公園の話題は見たことがある。
 その名称から、たいていお下品なネタとして、だが。
 いつもであれば、さっそくネタとして仕込んで、翌日、学校で黒神由貴あたりに披露するところだ。
 どうせ黒神由貴のことだから、しばらく首をかしげたあとで、「それって、どういう意味?」と訊くんだろう。
 んで、私は赤い顔でシモネタジョークを解説することになるのだ。
 ──そんなことはどうでもいい。
 私は再び、ニュースサイトの検索に戻った。


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黒神由貴シリーズ