黒神由貴シリーズ

邪眼の玻璃面 3


9.目撃談その他

 おどれえたぜえ。ラーメン食ってたら、でかい音がして、上から車が降ってきたんだぜ。
 そうそう。あの首都高の事故よ。
 もう何メートルかずれてたら、ラーメン屋に直撃してたところだ。命拾いよ。
 中央分離帯にぶつかったときにエアバッグが出たんだろうけどな。
 側壁を突き破って10メートルも下に落ちたら、助からんわなあ。
 即死だったんだってな、運転してた男。
 助手席にいた女の子は大丈夫かなあ。助かったのかなあ。
 何って。
 いや、女の子だよ。横に乗ってた。
 いやいやいや! いたって。
 ぐしゃぐしゃになった車から這いだしてきて。
 ケガ……。
 どこもケガしていないように見えたなあ。
 平気な顔して歩いてったから、なんかあっけにとられてさ、馬鹿面して見てるだけだった。
 警察にも言ったけどな、信じてくんなかったよ。
 そりゃそうだわなあ。



 えらい大騒ぎだったよな。
 ラブホが火事だもんな。
 いやもう、カップルが何組も、裸同然で、出てくるわ出てくるわ。
 見ものだった。笑っちゃいかんけどな。死人が出てるんだから。
 あとでニュースで見たけど、なんか、ベッドに縛られた状態で焼け死んでたんだって?
 なんか変なプレイしてたんだろうなあ。デリのSM嬢かなんか呼んでさ。
 ロウソクの火がシーツか何かに燃え移ったんじゃねえの?
 女も薄情だよなあ。気持ちはわかるけど。
 ……でも、女王様スタイルで出てきた女はいなかったなあ。
 いたらそいつが犯人なんだろうけどな。
 あ。
 女王様じゃないけど、妙な女がいたな。
 女つーか、女の子。援交でもしてたのかな。
 オッサンやらオバハンやら、ババアやらジジィやら、いろんなカップルが泡食って飛び出したあと、しばらくしてから、ちゃんと服着て、余裕ぶっこいて出てきてな。おいおいおいって思ったよ。
 高校生みたいな感じだったけど……そのままどっか行っちまったよ。
 知らねえよ、どこ行ったかなんてよ。
 そこまでポリに言う義理はねえよ。



「またソープ嬢ですよ、先生。しかも同じ店の。なんか関係あるんすかね」

「どうだかね。それはあんたたちの仕事でしょ。私がやるのは、遺体の検死」

「状況に疑問があるんですって?」

「あんたさあ。ここにタラバガニのでかいのがあるとするでしょ。──どうやって食べる?」

「カニっすか。ここ数年食ってませんねえ。お偉いさんはそんなところに連れてってくれませんし。ま、普通に考えれば、足をむしって、がっつりと」

「足、どうやってむしる?」

「さっきから先生、何を言ってるんすか。……えっと、関節部分をバキッと折って、そこでちぎって」

「そう。それよ」

「は?」

「被害者の女性も、そうやって両手両足をちぎられていたのよ。カニみたいに」

「うぶ」

「誰がどういう方法でやったのかなんて訊かないで。まるで見当もつかないから。ただ、カニの足をむしるように手足をちぎったとしか思えない状況。そういうことなの。死因は出血性ショック死」

「え。つまり手や足をちぎられているときは、まだ」

「うん。どの時点で死んだかまではわからないけど、生きながら手足をちぎられたのは間違いない」

「先生。俺、吐きそうす」

「吐くならトイレでね。ここ出た右。──こんなシチュエーション、ネットのホラー漫画では見たことあるけどねえ……」






10.旧知の仲

 午後10時、銀座。
 中央通りから1本裏の通りにあるこじゃれたパブレストランに、神代冴子は入っていった。
 奥の席から作務衣姿の男が手を振っているのを認め、神代冴子はその席へ歩いた。

「お嬢、お久しぶりです」

 高野山の僧、幻丞は言った。

「うちの生徒のことで訊きたいことがあるって? ──あ、クアーズちょうだい」

 席に着き、オーダーを取りに来たウエイターにビールを注文する。

「まあとりあえず、これどうぞ」

 幻丞が手土産らしき紙袋を差し出した。

「あら、柿の葉寿司。高野に行ってたの?」

「とんぼ返りですよ。調べたいことがあったもので」

「その調べ物と、私の受け持ち生徒が、関係あるわけ?」

「おそらく。──喜屋武美咲という生徒は、お嬢のクラスの生徒ですね?」

 神代冴子はうなずき、口を開きかけた。

「そう、ただ──」

「──行方不明。ですね?」

「そう」

「喜屋武美咲の姉、喜屋武千波が少し前に殺害されたというのはご存じですか?」

「知ってるわ。連絡がつかないのと、お姉さんの死が関係なければいいと思ってるんだけどね」

「姉がどういう稼業で生計を立てていたかというのは……?」

 一瞬、神代冴子の顔が曇った。

「新宿でソープ嬢していたのはわかってる。生徒の家庭環境はある程度は把握する必要があるからね。うちの学校は私立だから、普通のOLじゃ学費がしんどいはずだし。──そういうことを訊きに来たわけ?」

「まあ、順を追ってお話しします」

 幻丞はお冷やを一口飲み、話を続けた。

「──まず、喜屋武千波の死亡状況ですが、大量のヘロインを投与され、数人にレイプ。これは体内に残った体液の血液型からわかっています。続いて、股間部分を拳銃で数発撃たれています。使用拳銃はマカロフ。最後に顔面を数発撃たれていまして、これが致命傷です。
 拳銃と麻薬から、警察は暴力団関係を調べています。新宿に勢力を伸ばしている新妙会がらみらしいと。喜屋武千波が何か事件にからんでいると見られています。
 ──これがまあ、警察だのマスコミだので公式に発表している情報です」

 神代冴子は顔をしかめて聞いていたが、ビールを一口飲んであごを動かし、先をうながした。

「──次に、まだあまり公式には知られていない情報。
 先日、首都高で自動車事故がありました。側壁をぶち破って、ドライバーが即死。
 別の日に、渋谷のラブホテルで火災。ほとんどの客は脱出しましたが、室内から男性の焼死体が。
 さらに別の日に、都内のマンションで、そこに住む女性が手足を切断されて、死亡。
 首都高の死亡者は新妙会の構成員、大西鉄二。ラブホテルの焼死は同じく新妙会の構成員、早見達夫。マンションで殺された女は、新宿のソープランド『田園』のコンパニオン、高見繁子。
 この三人はおそらく、喜屋武千波の死になんらかの関係があるかと」

 死者の名前を聞いて、神代冴子の眉がぴくりと動いた。

「──次に、喜屋武千波自身の情報。
 出身は沖縄県那覇市。両親と、妹一人。──ということになっていますが」

「違うの?」

「いえ、事実は事実です。家庭環境は良好とは言えなかったようですね。お嬢にはあまりお聞かせしたくありませんが、喜屋武千波は小学生の頃から父親から虐待を受けていたようです」

「……どんな」

「性的虐待。手っ取り早く言えばレイプです。小学5年頃から連日のようにレイプされていたらしいです。で、喜屋武千波が中学1年の頃、妹の喜屋武美咲が生まれています」

 うつむいて幻丞の話を聞いていた神代冴子が、顔を上げた。

「ちょっと待って。まさか──」

 幻丞はかすかに顔をしかめて言った。

「そのまさかです。喜屋武千波は中学1年の春に女児を出産しています。それが喜屋武美咲。むろん、戸籍上は母親の喜屋武景子の次女となっていますが。その母親の景子は、その数年後に死亡。
 その後、千波は17歳の時に地元の高校を中退、美咲を連れて家を出て、宜野湾市の真栄原社交街で働き始めます」

 神代冴子がもの問いたげな表情をしているのに気づき、幻丞は注釈を加えた。

「真栄原というのは、沖縄では有名な『ちょんの間』街です。年齢を詐称して、そこで働いていたそうです。蛇足ながら、引く手あまたの人気だったそうで」

「父親は?」

「千波と美咲姉妹が家を出るのとほぼ同じ頃に失踪しています。父親の行方に関しては、あとでお話しします。
 千波は真栄原で働いて金を貯め、美咲が小学校を卒業する頃に、上京しています」

「それで、喜屋武さんを星龍学園中等部に入学させて、自分は新宿のソープに入店したわけか」

「そういうことです。ソープ『田園』でもすぐに、なかなか予約が取れないほどのトップコンパニオンになったようで。業界でも有名だったそうです」

「喜屋武千波に入ったんじゃねーだろな」

「ちゃかさないでください。まあ、まれに見る美貌とプロポーション、加えて絶妙なテクニックと来れば、有名にならないはずがない。『田園』のナンバーワンになってしばらくした頃に、新妙会の幹部の『オキニ』になったようです」

「んで、その幹部の愛人にでもなった?」

「それはなかったようです。その後も普通に店に出ていたようで。──さて」

 幻丞が居住まいを正した。

「ここからが、我々に関係してくる部分です。高野に戻って調べましたが、手間取りました」


11.旧知の仲2

 幻丞の話は続く。

「喜屋武千波の出自ですが……結論から言うと、ノロ(沖縄の巫女)の血筋と思われます」

 神代冴子が目を見開いた。

「話がどうつながるかと思っていたけど……そこにつながるわけか」

「本人にどの程度の自覚があったのか、今となってはわかりませんが、なにがしかの予感があったのでしょう。殺される直前に、呪法を用いたと思われます」

「それで、怨みのある人間が次々と死んでいるということか。──いやちょっと待って。喜屋武千波は死んでいるんだろ。それは間違いないんだろ。どうやったんだ」

「──かかいムン」

 幻丞が短く言って、神代冴子は思わず「ああ」と声を上げた。

「またやっかいなものが。──『ムン』が死霊みたいなもので、それが人に取り憑いたのが『かかいムン』……だったっけ。喜屋武千波が『ムン』になったとすると、じゃ、誰が『かかいムン』になってるって言うのよ」

 幻丞は一瞬、言うのをためらった。

「状況から考えて……喜屋武千波が娘の喜屋武美咲に取り憑いて『かかいムン』になっていると判断するのがもっとも自然ではないかと」

「……なんてこった」

 神代冴子は頭を抱えた。

「喜屋武さんには関わりあいのないことなのに。とばっちりもいいところじゃないの」

「……呪法に自らの身体の一部分を使うのは、よくある話です。まして、今回は自分の娘を『かかいムン』にしていますからね。その呪の強さは並の呪法の比ではないでしょう。なんだかんだ言って、もっとも強力な呪の動機は、怨みです。……で、喜屋武姉妹の父親の行方ですが」

「失踪したんだわね」

「もともと素行不良だったので、失踪しても誰も気にしなかったようなのですが、つい先日、那覇市の漫湖公園で、白骨死体が見つかりまして」

「もしかして、それが父親?」

「その可能性はかなり高いです。ついでに、さらにいやな可能性を言いますと」

「喜屋武千波が父親を殺した疑いがある」

 幻丞が言いかけた言葉を神代冴子が引き取り、幻丞はうなずいた。

「……よくもまあ、これだけ気が滅入る材料がそろったものね」

 神代冴子はそう言って、大きくため息をついた。

「最後に一つ」

「まだあんの?」

「これは政界の裏事情に通じている知り合いから聞いた話なんですが、民民党の議員に麻薬を使用している者がいると」

「麻薬……喜屋武千波は大量のヘロインを打たれていた……それと関係あるのかな」

「推測の域を出ないのですが、新妙会から議員へのつながりがあって、その流れのどこかで喜屋武千波が関わったのではないかと」

「喜屋武千波の目的はなんだと思う? 恨みを晴らす?」

「そうだろうとは思いますが……違うとでも?」

「そうだったら、新妙会の関係者が何人か死ぬだけだから、ちょっとは社会浄化になるんだろうけどさ。誰彼かまわずに災厄をまき散らすことになったらちょっとヤバくない?」

「確かにそうですね」

「それで、私はどう動けばいい? 喜屋武さんを探すにしても、あてもないし」

「喜屋武美咲を探すよりも……お嬢の生徒さんに注意していただいた方がいいかも知れません。関係者が何人もやられているので、新妙会もピリピリしています。すでに動いていると思いますので、生徒さんに接触してくるかも知れないと。気をつけてください。
 私の方も引き続き新妙会の方面から追いますので、お嬢の方も喜屋武美咲サイドで調べられるようでしたら、お願いします。──あ、それと、黒神由貴さんにも話をしておいた方がいいかも知れませんね」

 そう言って、幻丞は立ち上がった。続いて立ち上がりながら、神代冴子は言った。

「今夜は柿の葉寿司で一杯やれると思ったけど、そんな気分は吹っ飛んだな」


邪眼の玻璃面4へ


黒神由貴シリーズ