12.あなたは喜屋武美咲さんのお友達ですか?
新学期が始まって10日過ぎたが、キャミは来ていない。
以前聞いていたキャミの携帯アドレスに何度かメールを送ってみたが、返事はない。
たぶん携帯もメールアドレスも生きているはずだ。でなければ、携帯の会社からなんらかのメッセージが返ってくるはずだから。
思い切って神代先生にも訊いてみたが、首を振るだけだった。
神代先生もキャミにメールを何回か送ったが、なしのつぶてということだった。
他の生徒には言えないことでも、もしかしたら私だったら何か情報を聞かせてもらえるかも、と思ったのは、私の思い上がりなのか、それとも本当に神代先生も情報を持っていないのか。
今日も、キャミは来ないまま1日が終わった。
帰り支度を整え、黒神由貴と二人、学園を出る。
寄り道したい気分にはほど遠かったが、駅近くのファースト・フード店に立ちよった。
いつもだったらどうでもいいような女子高校生の無駄話に花を咲かせるところだが、さすがに今日は盛り上がらない。席に座ってドリンクを飲みながら、ただ時間だけがダラダラと過ぎてゆく。
「ねえ。神代先生から、何かキャミの情報って入ってないの?」
私は言った。
私には言えなくても、もしかして黒神由貴にだったら、と思ったのだ。
だが、黒神由貴は首を力なく横に振った。
私はため息をついて携帯を取りだし、無駄とわかってはいたが、キャミにメールを送った。
キャミどこにいる? みんな心配してるよ? 連絡ちょうだい。
送信。
しばらく画面を見つめていたが、送信エラーにもサーバーエラーにもならなかった。
でも、返事も返ってこない。
私は再びため息をついた。
「……やっぱり返事ない?」
私のメール操作を見ていた黒神由貴が、シュンとした顔で言った。
ただ座っていてもしかたないので、店を出た。腕時計を見ると、5時近くになっていた。思っていたよりも店で長居をしていたようだ。
店を出たところで、スーツ姿の男性がうちの生徒と何か話しているのが目に入った。
男性はメモ帳とペンを持ち、何か訊いているように見えた。
訊かれていた生徒はやがて首を横に振り、男性は軽く頭を下げた。その頭を上げて──近くまで来ていた私と目が合った。
男性の顔がぱっと輝く。
──うわ。ロックオンされちまったぜ。
「失礼。星龍学園の生徒さんですね?」
私にそう訊いてきた男性は、二十代後半ぐらい、そこそこ仕立てのいいスーツを着て、まあまあの顔立ちだ。ただ──妙に安っぽい。何がどう安っぽく感じられるのかはわからなかったが、こういうスーツ姿ではなく、ブルゾンとかジーパンとか、そういうラフなスタイルの方が、この男性には似合うような気がした。
まあ要するに、スーツ姿が今ひとつ板についていないように思えたのだ。
「はい、まあ」
男性の意図がわからず、私はあいまいに返事した。制服を着ているから、私が星龍学園高等部の生徒であるというのは男性もわかっているはずであった。
「実は私、喜屋武美咲さんについて調べておりまして。学校のそばですと先生方の目についてしまいますので、こんな場所でおたずねしている次第でして。──あなたは喜屋武美咲さんのお友達ですか?」
突然、心臓がバクバクしだした。
「じゃ、やっぱりキャミに何かあったんですか?」
「ではあなたは」
「クラスメートです。あの、キャミが何か事件に巻き込まれたとか、その──」
「それを私たちも調べているところです。立ち話もなんですので、こちらへどうぞ」
男性はそう言って、そばに停まっていたワゴン車のスライドドアを開けた。
私は男性に指示されるまま、車に乗り込んだ。黒神由貴も、「どうぞあなたも」と言われ、私の後に続いた。
「あ、恐れ入ります。後部席へ」
私と黒神由貴が後部のベンチシートに座ると、男性も乗り込んで、中央のシートに座り、スライドドアを閉じた。
運転席には、パンチパーマの中年男性がいた。
この暑いのに長袖のシャツで、よく見ると襟元と袖口から、カラフルな色がのぞいていた。
──ちょ。思いっきり「や」のつく仕事の人じゃん。
「ビンゴです、安田さん」
スーツの男性が、運転席のパンチ男に向かって言った。
「15人目でやっとか。歌舞伎町のスカウトにしては、時間がかかったな。じゃ、行くぞ」
運転席のパンチ男が言い、あれ、と思う間もなく、車がスタートした。
「あ、あの」
状況が理解できず、私は男性に声をかけた。
「悪いね、お嬢ちゃん」
男性の口調がガラリと変わった。
「喜屋武美咲を呼び出すのを手伝ってもらおうかな」
拉致られた。今さらながら、気づいた。しかも黒神由貴もろとも。
ばかばかばか。
私たちを使って、キャミを呼び出そうというのだ。
こいつらがどういう目的でキャミを呼び出そうとしているのかはわからない。でも、よからぬ目的であるのは間違いないだろう。
「で、でも、キャミには何回もメール送ってるけど、返事ないし」
我ながら情けないが、声が震えた。
「大丈夫だって」
スーツ野郎(スーツの男性なんて言ってやるもんか)がいやらしい笑いを浮かべて言った。
「『来てくれないと殺される』って送信すれば、返事来るって。──友達ならな」
ひゃひゃひゃと笑う。知性のかけらも感じられない笑いだ。
「さ、メール送りな。新妙会って名前を出せば、ばっちりよ。新しい妙の会な」
私はポケットから携帯を取り出し、しぶしぶメールを作成した。
キャミ。なんかよくわかんないけど、くろかみと二人、新妙会って言うのに拉致られた。キャミを呼び出さないと殺すって言われてる。どういうことかわかる?
送信。
1分もしないうちにメール着信音が鳴り、私は座席の上で飛び上がった。
液晶ディスプレイにはキャミの名が表示されていた。
メール本文を表示させる。
わかった。どこに行けばいいか、そばのヤツに訊いて。
本当につながった……
呆然とディスプレイを眺めていた私は、それをスーツ野郎に示した。
「よーし。んじゃあ、次は地図の画像を送ってもらおうか」
私は従うしかなかった。
スーツ野郎から地図データを受け取り、添付画像にしてキャミにメールを送ろうとしたとき、またキャミからメールが入った。
メール作成を中断し、受信したメールを開く。
二人とも絶対に助けるから。待ってて。
13.喜屋武美咲のアパートにて
午後5時すぎ。
喜屋武美咲が住んでいたアパートに、神代冴子はいた。
管理人に言って、入室したのだ。
姉が殺され、本人も所在不明ということで、警察も調べに来たはずである。
だが室内には争ったような形跡はなく、事件性も感じられない。
おそらく、通り一遍の調べ方しかしなかったであろう。
室内はよく整頓されていて、喜屋武美咲の几帳面さが見て取れた。
部屋の中を見渡す。
何か、警察が見落としたものはないか。
部屋の片隅に、段ボール箱が置かれていた。ティッシュ・ペーパーの箱をいくつか重ねたぐらいの大きさで、宅配便の荷物のようだ。
宅配伝票はすでに剥がされている。中には、緩衝材代わりの丸めた新聞紙が入っていた。何が送られてきたのかはわからない。
喜屋武千波からの荷物ではないか。
神代冴子は直感した。
この荷を受け取ってすぐに、喜屋武美咲は消息を絶ったのだ。おそらくは、自らの意思で。
この中には、喜屋武千波の手による依代(よりしろ)が入っていたのだろう。その依代を用いて、喜屋武千波は娘である喜屋武美咲を「かかいムン」にしたのだ。
「かかいムン」とはなんなのか──さすがの神代冴子も、概念の知識しかない。喜屋武美咲はかかいムンとなって、いかなるものに変貌したのか。
救えるものなら救いたいが、はたして可能なのか。
携帯電話が着信音を発した。
ディスプレイには相手の番号しか表示されていない。
メモリー登録していない相手からの着信……しかし、どこかで見たようなナンバーであった。
「──もしもし?」
『……神代先生ですか?』
「喜屋武さん!?」
思わず声を上げる。
「あなた、今どこにいるの? いや、というか、その、大丈夫、なの?」
まさか喜屋武美咲から着信があるとは思わず、神代冴子は少なからず狼狽した。
『ご心配おかけしました。でも、私の方は、どうかご心配なく。それよりも、榊さんと黒神さんが、新妙会という暴力団にさらわれました。私に、今日の9時に郊外の工場に来るように言っています。私はともかく、榊さんと黒神さんを助けてもらえませんか』
「わかった。わかったから、あなたも早まったことはしないで。いい? すぐに行くから。くれぐれも気をつけて。いいわね?」
『先生。向こうはたぶん銃を持っているはずですから、注意してくださいね。密教の秘法でもピストルの弾丸は防げないと思いますし』
気が動転しているため、神代冴子は、なぜ喜屋武美咲が自分と密教が関係していることを知っているのか、気がつかなかった。
「危険なのはあなたも同じでしょう! 私にまかせなさい!」
『私は死にませんから。──それじゃ、メールで工場の地図を送ります』
一瞬、「知りません」と言ったかと聞き間違えた。
「死にません」──死なない、という意味なのか。
それが、かかいムンの特性なのだろうか。
メール着信音が鳴った。
添付されている画像を確認した神代冴子は、幻丞に連絡すべく、携帯を操作した。
メールを送り終え、二つ折りタイプの携帯電話を閉じる。
「……ねーねー。もうすぐ終わるんだよね」
喜屋武美咲は、ぽつりとつぶやいた。
14.郊外の工場
キャミに送信した地図画像は、一応は都内であった。
だが、けっこう長い間車で運ばれて、降ろされた場所は、ここが本当に東京かと思うような、人っ子一人いない工場だった。敷地はかなり広いらしく、道路を走る車の音も、それほど大きく聞こえない。
もう日も落ちて、街の明かりも遠くに見えるだけだ。
あ、と私は気づいた。
要するに、ちょっとやそっとの大声をあげたぐらいでは、誰にも気づかれないということなのだ、と。
車から降りた私と黒神由貴は、パンチ男とスーツ野郎に前後をはさまれ、体育館のように巨大な工場の建物に入った。トラックでも出入りするのか、大きなシャッターがあったがそれは閉じられ、その横のドアから入る。
入った建物は作業場らしく、内部には鉄のかたまりのような機械がいくつも並んでいる。
天井もものすごく高い。照明が点いているが、作業場内を照らすのに十分な光量とは言いがたい。
私たちが歩いてゆくその先に、キャンプで使うようなテーブルセットが置かれていて、その椅子に、一人の中年男が足を組んで座っていた。
中年男が座る椅子のすぐ後ろに、同じ年格好の男が、腕を腰の後ろで組んで立っている。絵に描いたようなボディガードだった。
「連れてきました」
スーツ野郎が言った。
「ご苦労。──ようこそ、お嬢さん。まあ、こちらへ」
テーブルセットの中年男が空いた椅子を示し、私たちはスーツ野郎とパンチに引っ張られ、その椅子に座らされた。
「おい、お前らは外で見張ってな」
中年男が言うと、スーツ野郎とパンチ男は作業場から出て行った。
「……ここの社長ってのが、借金で首が回らなくなったあげく、うちの息がかかった闇金に手を出してな。それで、タダ同然で買い叩いたもんなんだ。けっこう広いし、へんぴな場所にあるんでな。何かと重宝してるよ。……たとえば今みたいにな」
周りを見回しながら、中年男は言った。どうやら、今ここにいる中では、この男がもっとも「偉いさん」らしい。
中年男は、私たちが入ってきた入り口を指さした。
「入り口はあそこだけだ。喜屋武美咲が来ればすぐにわかる」
「……キャミを、どうするの」
震える声で、私は言った。
「そうだなあ」
まるで世間話でもするように、中年男は笑った。
「喜屋武美咲が来るまで、もう少し時間があるからな。死ぬ前に、それぐらいは教えてやらないとなあ」
「──9月に入ってから、うちのモンが三人ほど冥土に行っちまってな。勝手に死ぬ分にはかまわないんだが、誰かに殺られたとなると、黙っちゃいられねえ。なめたことされたままじゃ面子が立たないってこった」
テーブルの上に置かれたウイスキーを飲みながら、中年男は言った。
「それをやってるのが、どうもあんたたちのお友達の、喜屋武美咲らしいって分かってな。呼び出すために、あんたたちに手伝ってもらってるわけだ」
「なんでキャミがそんなことするの」
「どうも、姉の仇討ちのつもりらしいな」
いきなり、普段の生活ではなじみのない単語が出てきて、私はとまどった。
「……仇討ち?」
「ああ。喜屋武美咲には千波って言う姉妹がいてな。新宿でソープ嬢やってたんだが、ちょっとしたトラブルで死んじまってな。どうやらそれを逆恨みして、うちの組のもんを殺して回ってるらしいな」
キャミのお姉さんは、そんな仕事をしていたのか。
だから、キャミはプライベートなことをほとんど話さなかったのか。
そのキャミが、仇討ちのために人を殺して歩いているって。
キャミが、あの、物静かでどちらかと言えば引っ込み思案なキャミが、そんなことできるのか。
「あんたたちが、キャミのお姉さんを殺したんでしょ!」
私は叫んだ。
「人聞きの悪いこと言わんでくれ。ちょいとヤキの一つも入れて、どこか遠いところに行って仕事してもらおうかと思っていただけさ。東南アジアか、中東か、そんなとこでな。──ところがそこにいた千波の同僚のソープ嬢が、頭に血が上ったのか、俺が持っていた銃をぶっ放してな。千波の股ぐらと顔のど真ん中に弾ぁぶち込んで、殺っちまいやがった」
中年男は、困ったもんだという顔をした。
「キャミのお姉さんは、どうしてそんなことをされたの」
「……あいつもバカな女でなあ」
中年男は困ったもんだという顔のまま、首を横に振った。
「普通にソープ嬢やってれば、そこそこ稼げていたのにな、欲をかきやがって、うちが流してるクスリで、強請(ゆすり)をかけて来やがった。うちの上客に、お偉い議員様がいるのを知ってな。それを新聞社か週刊誌に売るってぬかしやがった。チンポしゃぶって股開くだけの淫売ごときがな。一攫千金を狙ったんだろうが、バカな女だわな」
中年男は、キャミのお姉さんのことを、2度「バカな女」と言った。「淫売」とも言った。
──許せない。
そのとき。
外で、誰かがわめく声が聞こえた。
その場の全員が、ドアの方へ顔を向けた。
わめき声の主は、おそらく、スーツ野郎とパンチ男だ。
わめき声はすぐに悲鳴になり、プツッと途切れた。
私も、黒神由貴も、中年男も、そしてボディガードも、息を飲んで作業場入り口のドアを見つめた。
ほんの少し間を置いて、ドアが開けられた。
そして、キャミが入ってきた。
いや──キャミが入ってきたと、私は思った。
だが、入ってきたその人は、キャミであるとは思えない、あるいは信じたくないところが、いくつもあった。
その人は、頭からペンキをかぶったように、上半身が真っ赤であった。
その人は右手に、人の頭ぐらいの大きさの──違う。「人の頭」をぶら下げていた。
その人は、お腹に、刃物が刺さったままになっていた。