7.第二の対決:榊真理子対かまいたち
「う……うわわあっ」
私は思わず叫んでいた。
刀を握った部分から、いや刀そのものから、何か異様な「感覚」が私の身体に流れ込んできたのだ。強いて言うなら電気がビリビリの感電に近いかも知れないが、そんなものの比ではない。
考えてどうなるような感覚ではなかった。
身体は硬直してその場に立ったままだが、精神は、まるで濁流の川に流されていくような、どうにもならない感覚だ。
自分が自分でなくなっていくような感覚ではあったが、一方で、自分の中に力がみなぎってくるのも感じていた。これもまた強いて例えるなら、充電器にセットされたカラッポのバッテリーが、どんどん充電されていくような。
やがて、「満充電」が近くなったことを自覚した私は、左手に持っていた刀の鞘を投げ捨てた。刀を両手でしっかりと構える。
何かがしっくり来た。
そう、これはこう構えるものなのだ。
そして、これは斬るためのものなのだ。
何を斬るか。
私は自分の左側に立つ二人の人物を見た。黒神由貴と神代先生だ。
誰であるかはこの際どうでもいい。斬るべきなのは、この二人なのか。
黒神由貴と神代先生、二人は刀を構える私を見て、えらくあせっていた。
「真理子。その刀、私に貸して。真理子にはちょっと使いこなせないから」
黒神由貴が私に手を伸ばして言った。
そんなことより、私は黒神由貴と神代先生を、この刀で斬ってみたくて仕方ないのだが。
「……どういうことかな、くろかみ。なんか私、くろかみや先生を斬りたくて仕方ないんだけど」
私はようやくそれだけを言った。言葉だけはなんとか自分の意志で話せる。
「ねえ。そんな刀で、あたしに勝てるつもりでいるわけ?」
「かまいたち」が口元に笑いを浮かべながら言った。
「背の高いお姉さん、じゃ、がんばってみてね」
そう言うと同時に、「かまいたち」は私に向かってきた。動きが速かったので、黒神由貴も神代先生も動けなかった。
剣道で言えば「面打ち」の動きで、右腕を振り上げて「かまいたち」が突っ込んでくる。
私は「かまいたち」の右腕の刃を斜め上に払った。そのまま右足を踏ん張って、払い上げた刀を切り返し、「かまいたち」の左を袈裟切りした。今度は「かまいたち」が左腕の刃で私の斬撃を払った。
「ちいっ」
お互いの斬撃が失敗したので、私と「かまいたち」はそれぞれ後方へ飛びすさった。
「……やるじゃん」
「かまいたち」が、ちょっとびっくりしたような顔で言った。私の反撃がよほど意外だったらしい。
私はと言えば、実はそれどころではなかった。
私が構えている刀、それが、私の目の前にいる「かまいたち」を斬りたがっているのがわかるからだ。
今の立ち合いで、やり合うべき相手が誰かわかったという感じだった。
もちろん、刀が言葉とかテレパシーとかで「かまいたち」を斬れなどと言うわけではない。だが、刀の「意思」ははっきりとわかるのだ。
「OK。わかった。思う存分にやっちゃいな。でも、私は剣術なんてからっきしなんだから、その辺はよろしく頼むわよ。あんたプロなんでしょ」
私は「刀」に語りかけた。さっきの「かまいたち」との立ち合いなど、私にできるはずもない。実際に私を動かしたのは「刀」だった。一方、「刀」単体でもどうにもできるはずもない。「かまいたち」とやり合うためには、私と「刀」が協力する以外に方法はないのだ。
「いい? 遊んでる余裕はないの。私の身体はどんな動きをさせてもいいから、とにかくあいつをやっつけて。……でもケガするのは無しの方向で」
私は「刀」に言った。私だって痛い思いをするのはいやだ。
「じゃ、も一度行くわよ」
「かまいたち」が言った。
私は「刀」を構えなおした。
「かまいたち」は両手が刃になっているが、改めて見ると、カマキリのようになっているわけではない。ひじのあたりから先が日本刀のような刃物になっている。日本刀と違うのは、反っているどちらの方にも刃が付いているらしいことだ。刃の長さは指をそろえて腕を伸ばしたよりも少し長いぐらい。
だから「どろろ」の百鬼丸よりも刃の部分が長い。
黒神由貴も神代先生も手出しをする様子はなかった。
本当にまずくなったら加勢するかも知れないが、今は「刀」にまかせるつもりなのだろう。私が私の意思でこうしているわけではないのは、二人もわかっているはずだ。
「かまいたち」は左腕を私の方に突き出す感じで構え、右腕は腰のあたりで水平に構えている。
「かまいたち」が一歩前に出た。それに合わせ、私は一歩後ろに下がった。
また「かまいたち」が踏み出す。私は一歩下がる。
踏み出す。下がる。
踏み出す。
下がる──下がれなかった。
足を後ろに引いて続いて身体を後退させると、背中に固いものが当たった。
目の前に立つ「かまいたち」から極力目をそらさないようにして、私は後ろにあるものを見た。
すべり台だった。「かまいたち」は私が後ろに逃げられないように追い詰めていたのだった。
「おしまーい♪」
満面の笑みを浮かべ、「かまいたち」が左腕を突き出してきた。
私はそれを右上に払った。
私の「左」がガラ空きになった。「かまいたち」はそれを待っていたのだった。
「いただきぃ!」
「かまいたち」はそう叫ぶと、右腕を振り下ろした。
がいぃん!
ものすごい金属音がして、「かまいたち」は右腕を振り下ろす方向を変えた。
何が起こったかすぐにわかった。
神代先生が独鈷杵を「かまいたち」に向かって投げ、それを「かまいたち」が右腕で払ったのだ。
「かまいたち」の注意がそれたのは一瞬だった。「かまいたち」はすぐに、私を斬るために右腕を再び私に向けた。
私には、いや私と「刀」には、その一瞬で充分だった。
私は身体をかがめて、頭を下げた。
頭のすぐ上を「かまいたち」の刃が通り抜けるのがわかった。
かぁん
また金属音がした。
頭の上を通り過ぎた「かまいたち」の刃が、すべり台の鉄パイプを打った音だった。
私と「刀」はこのときを狙っていたのだった。
私は身体をひねりながら、「かまいたち」の左脇腹から右肩へ向けて刀を振り抜いた。
いわゆる「右切り上げ」という斬撃であった。
右肩へ抜けた刀を切り返し、「かまいたち」の右腕を切り落とした。
「ごがあっ」
ローティーンには似つかわしくない声を、「かまいたち」は上げた。
切り上げた胴の傷からも、切り落とした腕の切り口からも、血は一滴も出なかった。
私は安堵した。
これで、相手を化け物と割り切って斬ることができる。
「かまいたち」が、残った左腕を突き出して、向かってきた。
戦術も何もない、お粗末な突きだった。
私はさっきとは違って十分な余裕を持って突きを避け、胴を真横に斬った。
手応えがあった。
人体を斬った「手応え」ではなく、妖しの存在を断ち切ったという「手応え」であった。
私はすぐに振り返り、「かまいたち」を見た。
「かまいたち」は、切断された右腕を見つめて、呆然としていた。
「……うそよ。こんなのってうそ。だってあたしって『かまいたち』なんだもん。負けるはずないもん」
そこまで言ったところで、「かまいたち」は腹部を境に上下に分かれ、地面にくずおれた。やがて「かまいたち」の身体や腕からぶすぶすといぶされたような煙が立ち、ほんの少し小さな炎が燃え上がり、それが消えると、あとには何も残っていなかった。
やった。「かまいたち」をやっつけた。
私は成果に満足して、さっき投げ捨てた刀の鞘を拾い上げた。
刀を鞘に収める前に、私は「刀」に話しかけた。
「どう。手応えのあるヤツとやり合えて、勝って、満足した?」
私がそう言うと、刀の表面がふっと曇った。
抜いたときはもちろん、「かまいたち」を斬ったときも汚れひとつ付かなかったのに。
刃の曇りが、どんどん広がってゆく。
「え? え? なんで?」
うろたえている私の手の中で、今度は刃が茶色く、黒っぽく、変色してきた。
これは錆──というか、腐食だ。
刀が腐食してゆく。
刀がボロボロになっていって、ついには穴が空いた。鍔(つば)の近くで、ぽっきりと折れた。地面に落ちてからも腐食は続き、とうとう地面の土と見分けが付かなくなってしまった。
あとに残されたのは、刀の柄を握りしめて呆然としている私。
「くろかみー。先生ー。私、何かしたのかな。なんか変なことしちゃって、刀が腐っちゃった?」
私はおろおろと言った。
神代先生がそばに来て私の手から鞘と柄を取った。
「だいたい何が起こったか、どうなったかは想像がつく。……それよりも、榊さん、あなた大丈夫? あなたを動かしたのは妖刀の力だとわかってたけど、あなた自身の身体にもかなり負担がかかったと思うんだけど」
「大丈夫です。私はなんともな」
そこまで言ったのは覚えている。そこから先の記憶が、ぷつんと途切れていた。
8.再び黒神神社にて
「……で、そこで倒れて、次の日丸一日寝込んでいたと」
「はい」
お祖母様が言って、私はうなずいた。
ここは黒神神社の本殿、黒神家の拝殿の間だ。
集まっているのは前回と同様、黒神由貴のお祖母様、黒神由貴、神代先生、そして私である。
あの公園での決闘から数日が過ぎている。
「大変なご迷惑をおかけしたようで。しかし真理子さんのご活躍で、『かまいたち』を滅することができました。御礼申します」
「いえそんな。私なんて何も。実際に『かまいたち』をやっつけたのはあの妖刀ですし、くろかみや神代先生がいなかったら、どうなってたか。いえそれよりも、あのとき、私はどうなっていたんですか。何をしたかは覚えていますけど、私は剣道の有段者じゃありませんし、ましてや真剣なんて持ったこともないのに」
「由貴や冴子さんの話から判断しますと、妖刀が真理子さんに憑依して真理子さんを操り、『かまいたち』と戦ったと。真剣を扱ったこともない真理子さんが日本刀を自在に操ることができたのは、妖刀が持っていた技能なのでしょう。もちろん、真理子さんの優れた身体能力があればこその話ですが」
いえいえいえ、とんでもございません、と私は心の中で謙遜する。
「じゃ、『かまいたち』をやっつけたあと、妖刀がぼろぼろになったのはどういうことなんでしょう」
私はもう一つの気がかりを訊いた。
「相打ちとか、力尽きたとか、いろいろと判断はできるでしょうが、これもまた由貴や冴子さんの話から判断するなら、満足して、あるいは納得して、滅したのではないかと思います」
「それよりも、私が気になるのはね」
と、ここで神代先生が割り込んだ。
「公園で最初に『かまいたち』が向かってきたとき。あのとき、横にいた榊さんを突き飛ばそうとしたんだけど、その前に榊さん、自分で飛びのいたでしょ。あれ、どうやったの。『かまいたち』が来るのがよくわかったわね」
「え……」
思いがけないことを言われて、私はとまどった。
「それはあの、あれじゃないですか。妖刀に乗り移られたせいで、こう、霊感が高まって」
「それは違うでしょ。よく考えてみなさいな。『かまいたち』が来たとき、あなたはまだ妖刀に触れてもいなかったのよ」
そう言われれば、そうだった。なぜあのとき、私は「かまいたち」の攻撃を避けることができたんだろう。
「……お祖母様。やっぱり私のせいなんでしょうか」
黒神由貴が言った。いきなり何を言い出すのかと黒神由貴の顔を見ると、心なしかシュンとしている。
「そう考えるのが妥当でしょうねえ。真理子さんは感受性の強いお嬢さんのようだから、考えられないことではありません」
「榊さんが、黒神さんの影響を受けて、『そっち方面』の能力が高まったってこと?」
神代先生が言った。
「そうではないかと思うのですが、冴子さんはどう思います?」
「いや、実は私もそうなんじゃないかと、うすうすは。もともとの素質があったところにもってきて、黒神さんと行動を共にする機会が多かったからね」
なんか、怖い話になってきていないか。
「あの、わたし、なんか変になったんでしょうか」
私がおろおろ気味に言うと、神代先生とお祖母様が笑った。
「真理子さんが心配することはありません。由貴のそばにいて由貴の力の影響を受けたのは確かですが、そのことによって真理子さんが困るようなことにはなりませんから安心なさい。由貴もそんなに心配そうな顔をするんじゃありません」
お祖母様が言った。
「第一、先日の『黄泉への扉』とやらの出来事が解決したのも、真理子さんのご活躍があればこそというではありませんか。真理子さんがいなければ由貴もどうしようもなかったと聞いております」
「『黄泉への扉』の出来事?」
お祖母様の言葉を聞きとがめ、神代先生が私をギロリとにらんだ。
「そんな話聞いてないけど。また私の知らないところでなんかやったのね。……あとでたっぷり聞かせてもらうし」
こええ。
「ともかく。真理子さんのような方がいらっしゃると、心強い限りです。由貴だけでは荷が重いときは、ぜひよろしくお願いいたします」
お祖母様が言った。
私に何ができるというのか。できるわけないじゃん。などと思いつつ、
「いえ、こちらこそよろしくお願いいたします」
と、さっきのように私は頭を下げた。ま、んなこと言ったって、たぶん社交辞令だろうしさ。
あとで、黒神由貴に確認してみた。
「それで、『かまいたち』って、やっぱりあのクリニックの患者だった女の子だったの?」
「そうみたい。写真を見せてもらったけど、同じ子っぽかった」
「なんで『かまいたち』になったのかな」
「自傷癖がこじれて、他者を切り刻みたいという妄想から、ついには妖しを呼び込んで、自分が妖しになってしまった……と、これは想像でしかないんだけど」
参考:かまいたち
「ふうん……でもお祖母様って、大げさだったよね。私によろしく頼むだって、そんな社交辞令、言わなくたっていいのにね」
「……お祖母様は社交辞令は絶対に言わない人なんだけど」
ちょ。
剣術アクション監修:純友良幸
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