1.峠道
山之辺スカイウェイと呼ばれる峠道があった。
その峠道は、走り慣れていないドライバーには不評であった。
タイトなコーナーや高速コーナーが連続しているため、常にドライバーに緊張を強いることになるのだ。
元々は東京と隣県とを結ぶ主要道路だったのだが、はるかに走りやすい別のバイパス道路ができたため、利用者が一気に減った。
だが、この走りにくい峠道を好む者もいた。
俗に「走り屋」と呼ばれるタイプのドライバー/ライダーである。
サンデードライバーが苦手とするタイトなコーナー群も、走り屋たちにとっては腕を見せる絶好の舞台であった。
もちろん、利用者が激減したと言っても、休日の日中などはそれなりに車も多く、走り屋たちもさすがにその時間帯は避ける。
彼らが好むのは、早朝や深夜である。
この時間帯であれば、「トロい」初心者ドライバーはまずいない。長距離トラックも、走りやすいバイパスを選ぶ。
つまり、その峠道を早朝や深夜に走るのは、走り屋たちだけと言っても過言ではなかった。
ある休日の午後10時を回った頃、その峠を1台の観光バスが走っていた。
有名温泉への1泊ツアーで、夕刻には都内に戻れるはずだったのだが、スケジュールの遅れに加え、休日ということもあって、渋滞している道路が多かったのだ。
午後10時。
深夜とは言いがたいが、気の早い走り屋たちが現れる時間であった。
バスは峠を越えた下り道──赤く塗装された長い橋にさしかかろうとしていた。
橋は通称「赤橋」と呼ばれ、ゆるい右コーナーになっていた。
山之辺スカイウェイ屈指の高速コーナーだ。
バスが橋の半ばまで来たとき、対向車が現れた。NSXである。走り屋であるのは間違いない。
NSXはわずかに「突っ込み」スピードが速すぎた。
そのため、コーナーの中程でタイヤ1本分ほどアウト側にふくらんだ。
──そこにバスがいた。
バスの運転手にしても、通常ならば問題なくやり過ごせる状況であった。
しかし、途中の渋滞とそれによる遅れと疲労のため、判断ミスが生じた。
アウト側、すなわちバス側にふくらんだNSXを見て、運転手はバスに突っ込んでくると錯覚し、思わずハンドルを左に切っていた。
バスは橋の欄干を突き破り、数十メートル下の崖下に転落していった。
2.クラスの雑談
星龍学園の昼休み。
「……でね。その道路では、いろいろ怖いことが起こるんだって。
首のないライダーが乗ったオートバイが追い抜いていくとか、
道の真ん中に血まみれの女の人が立っているとか、
血まみれのドライバーが乗った車が追っかけてきて、崖に落とされるとか……」
「どうよどうよ?」と言わんばかりの顔で、クラスメートの菜穂子が言った。
「うわあ、こわあい。今日は眠れなくなっちゃうぅ」
握りこぶしを胸元に持ってきて、おびえたような顔で私は言った。
「なによう。そのいかにも心のこもってないおびえ方わあ」
奈穂子がむくれた。
「だってさあ、それ昨日『ジャリンズのうっそぴょん!』でやってたネタじゃん。
そんなのをここで自慢げに話す方がどうかと思うけど、どうよ?」
奈穂子が「あ」という顔をして、舌を出した。
「やっぱ知ってた?」
「知ってるも何も、ここにいる全員、毎週『ジャリンズのうっそぴょん!』見てるもん」
「だからさ、いかにも重要情報と言わんばかりに話し出すからさ、みんなあっけにとられてたんだよ」
「あたしら全員、突っ込むに突っ込めなかったんだ」
奈穂子の話を聞いていたみんなが、口々に言った。
「でもさ」
と、奈穂子に突っ込んでいた一人が、ふと言った。
「幽霊が出るって、本当なんでしょ? 昨日言ってた、えっと……山之辺スカイウェイ? 事故もしょっちゅう起きるって聞いたことあるし……」
「だってあそこを走るのって、『頭文字D』気取りの走り屋ばかりなんでしょ? 事故だって起きるわよ」
「でも、『ジャリンズのうっそぴょん!』以外でも聞いたことあるよ、その話。けっこうあちこちでうわさされてるみたいでさあ。そのあたりはどうなん?」
「えーと……はーい」
それまで特にこれといって何も言っていなかった鹿本真紗美が、手を挙げた。
「なになに。授業中じゃあるまいし。──はい、マチャミさん」
「えと、あたしねー、明日そこへ行く予定なんだー」
何を好きこのんでそんなところへ、車も持ってないくせに……
と言いかけて、私は鹿本真紗美──通称「マチャミ」が笑っているのに気づいた。
ニヤニヤと言うかニタニタと言うか、とにかく、期待にわくわくしている、うれしくてしょうがないといった表情だ。
「そっか……デートか……。あんた、最近彼氏ができたって言ってたよな?」
無意識に、ドスの効いた声になっていた私だった。(なんでだ)
マチャミは小柄でちょっとふっくらしてはいるが、なかなか可愛い子だ。
「えへへへへ」
マチャミの顔がとろけた。
「ちえっ、いーなあ。ドライブ? 彼氏、大学生だっけ?」
「うん。あちこちドライブしてね、その道路にも行ってみようかって。
あたしは、ちょっち怖いんだけどね」
「山之辺スカイウェイはともかくさあ。その『あちこち』が問題だよなあ」
「変なところに寄るんじゃねーぞ」
そこで、昼休み終了5分前の予鈴が鳴った。
「じゃあーねー」
校門を出て、マチャミが手を振った。
デートは明日だ。今夜は絶対眠れないだろう。
「ちゃんと避妊しろよー」
「勝負パンツはいて行けよー」
「親泣かすなー」
私たちのむちゃくちゃな声援も聞こえないかのように、マチャミはもう一度手を振って、小走りに去っていった。
その後ろ姿を見送りつつ、私たちは顔を見合わせ、そして深々とため息をついた。
「いーなー」
期せずしてハモッてしまい、私たちはさらにさらに落ち込んだ。
それが、生きているマチャミの姿を見た最後であった。
3.深夜のデート
深夜の国道を、1台の自動車が走っている。
スポーツタイプではないが、走行性能はそこそこある1500cc車である。
乗っているのは、鹿本真紗美と、その彼氏だ。
ちょっとおしゃれなレストランでディナーを取り、その後国道沿いのプチホテルでエッチして、今、午後の10時だ。
エッチしたのは今日で2回目だけど、今日はすっごく気持ちよかった。3回もしちゃった♪
で、今また国道を走っているんだけど……
「ねえ、本当にそこに行くのー?」
マチャミ──鹿本真紗美は言った。
「ちょっとよってみるだけだって。何もなくったって、話の種にはなるじゃん」
真紗美の彼氏は言った。
「やっぱ怖い?」
「ちょっとね」
「よーし、それじゃ行こー!」
「もうー!」
山之辺スカイウェイの中速コーナーを、車はスムーズにクリアしてゆく。
うわさのせいなのか、そもそもそうなのか、通行量は驚くほど少ない。
5分ほど前に2台の車とすれ違ったきり、対向車はなく、前にも後ろにも車はいない。
「車いないねー」
真紗美は言った。
「いねえなあ。──ん?」
真紗美に同意した彼氏であったが、そのとき、バックミラーに後続車を見つけた。
「1台後ろに来た。何かな……あー、なーんだ」
一瞬どきっとした二人であったが、彼氏が期待はずれな声を上げた。
「軽のワンボックスだ。家族連れが、帰りが遅れたんだろ」
彼氏はバックミラーとルームミラーを見ながら言った。
「めんどいから、ちぎっちゃうわ」
そう言うと、ギアを1段落とし、アクセルを踏み込んだ。
エンジンが咆哮をあげ、車は、ぐん、と加速した。
時折タイヤを鳴らしつつ、次々に峠のコーナーをクリアしてゆく。
限界ぎりぎりの走りではないが、彼氏にしてみれば、かなり「リキ」を入れた走りであった。
「どうだ」という表情でミラーに目をやった彼氏は、しかし、思わず声を上げていた。
「どうしたの?」
コーナーをクリアするGで身体を揺さぶられながら、真紗美が言った。
「嘘だろ……あの軽、まだついてきてる……というか、さっきより近づいてる……」
彼氏がそう言うのを聞いて、真紗美は後ろを振り返った。
ヘッドライトでよくわからないが、確かに商業車でよく見かけるような、真四角な形のワンボックス車であった。
それが、見る間に真紗美たちの車に近づいてくる。
「ありえねー」
彼氏は、自分の手のひらがぬるぬると汗ばんでいるのを自覚していた。
「なんなの、あれっ!」
ワンボックス車を見ていた真紗美が、悲鳴のような声を上げた。
「えっ、なにっ」
と彼氏が言ったとき、すぐ近くまで接近していたワンボックス車は、すっと車線をずらし、するすると真紗美たちの車に並んだ。
真紗美も彼氏も、思わずワンボックス車に目をやった。
二人同時に、絶叫していた。
真紗美と彼氏が乗った車はガードレールを突き破り、崖下へ転落していった。
そこはちょうど、「赤橋」であった。
4.葬儀
クラスメートの葬儀というのは、本当にいやだ。
たまにTVのニュースなどで目にすることもあるが、あれと全く同じだった。
声を上げる上げないの違いこそあれ、みんな泣いていた。
もちろん、私もそうだった。
先週まで、いっしょに馬鹿なことを言い合っていた仲間が、もういないのだ。
信じられなかった。
俗に「最後のお別れ」と言われる行為──お棺の中に花を入れたり──それは、真紗美の葬式の場合、無かった。
お棺の蓋は、閉じられたままだった。
「かなりひどい状態だったんだって……ぶつかっただけじゃなくて、何メートルも下の崖まで落ちたって……」
クラスメートの一人が、そう言った。
あの中の真紗美は、そういう状態なわけか……
お棺を遠目に見て、私は思った。
また、新たな涙があふれてくる。
やがてお館は霊柩車に載せられ、出棺となった。
クラクションが長く鳴らされ、霊柩車は斎場へ向かった。
我々クラスメートは、ここで解散である。
いっしょに帰ろうと、黒神由貴の姿を探した。
葬儀の参列者の群から少し離れたところに立つ黒神由貴を見つけ、近づこうとしたとき、黒神由貴に神代先生が近よった。
何か小声で話しかける。
黒神由貴も、何か答えている。
どちらも、ひそひそと話している風であった。
──なんなんだ?
やがて話が終わったのか、神代先生は黒神由貴から離れ、立ち去って行った。
それを見て、私は黒神由貴に駆け寄った。
「ね。神代先生と、何話してたの?」
よく考えるとよけいなお世話なのだが、何しろ相手はあの神代先生だ。
油断はできない。
「今晩、つきあって欲しいって。いっしょに行って欲しい所があるって」
「今晩って、何時に」
「10時に星龍学園前駅前に来てくれって」
黒神由貴は、星龍学園の最寄り駅名を口にした。
そんなところにそんな時間、なんの用があるというのだ。
「罠じゃないの」
私が言うと、黒神由貴は周囲を気にしつつ、かすかに笑った。
「なんなの、それ。そんなのじゃないわよ」
怪しい。怪しすぎる。
私は密かに、決意していた。
──ついてってやる。