5.駅前にて
黒神由貴が言っていた時間に間に合うよう、早めに家を出た。
そう何度も試験勉強という言い訳が通用するとも思えないが、とりあえずOKであった。
仮に早めに行ったとしても、黒神由貴と神代先生の二人が私より早く来ていたらアウトだ。
それでも、行ってみるしかない。
駅の改札を出る。
通勤帰りの人も、そろそろまばらになりかけている時間だ。
どこで待ち合わせているんだろう。
大して大きな駅ではないにしても、人を捜すとなると、ちょっとやっかいだ。まして、どこにいるかもわからないのだから。
まず駅前のロータリー、一般車が車を停めるあたりを探すことにした。
──ビンゴ!
送迎のための停車エリア前の歩道に、黒神由貴は立っていた。
もちろん今は星龍学園の制服姿ではない。
シンプルなデザインのシャツに、コットンのパンツ、それに小さなリュックを背負っていた。
私は黒神由貴に近づき、声をかけた。
「くろかみ」
「わ」
大声こそ上げなかったものの、黒神由貴はかなり驚いたようだった。
目を丸くして、私に質問する。
「真理子、こんなところで何してるのよ」
「あんたを助けようと思って」
「助けるって……」
黒神由貴がとまどったような顔をした。
この前「メリーさんの館」について行くと言ったときと違って、困惑したような様子だった。
そのとき、軽快だが力強い、しかしバイクとは明らかに違うエンジン音が聞こえてきた。
そのエンジン音を発する車が、私たちの目の前で停まった。
屋根のないオープンカー──いかにもスポーツカー然とした銀色の車に乗っていたのは、神代先生だった。
「黒神さん、お待たせ。さ、行きましょうか──って、ええっ!?」
黒神由貴の横に立つ私を見て、神代先生が声を上げた。
「榊さん……どうしてあなたがここにいるの」
言いながら、車から降りて、私たちの前に立つ。
学校のときとは違って、明らかに高級なデザイナーズ・ブランドっぽいパンツスーツ姿だ。
「黒神さん、いったいどういう……」
言いかけた途中で気づいたらしい。
「黒神さん……あなた、言っちゃったわね?」
「はあ、つい……」
「まいったなあ……。ねえ榊さん、あなた、どうしたいの?」
神代先生は腕組みして、私を見た。
「いっしょに行きます!」
私は言い切った。
「いっしょにったって……」
神代先生は困ったような顔になって、黒神由貴と顔を見合わせた。
黒神由貴も、同じような顔をしている。
あれ……
もしかして私、来ちゃまずかったのかな……?
でももう、後に引けないし。
「いっしょに行くって言っても榊さん、このS2000は2シーターの二人乗りなのよ? どうしようもないじゃないの」
「うぐ……」
一瞬絶句した私だったが、次の瞬間、車の助手席に乗り込んでいた。
シートに深々と腰かけ、膝をがばっと大きく開く。
(Gパン履いて来て良かったー)
「くろかみっ、ここに座ってっ」
私は、自分の膝の間の空間を指さした。
黒神由貴と神代先生は、再び困った顔を見合わせた。
やがて、神代先生がため息をついて言った。
「ま、ここで押し問答している暇はないし、黒神さん、榊さんの言うとおりにしなさいな」
神代先生にうながされ、黒神由貴は私の膝の間に座った。
さすがに窮屈だ──と言うか、やっぱり黒神由貴は見た目よりもナイスバディだとわかった。
神代先生も運転席に乗り込んだ。
「わかったわ。来てもいいけど、榊さん」
神代先生は、私を見た。
「ちょっと怖い思いするかもしれないけど、覚悟しなさい。──いいわね?」
そして、S2000をスタートさせた。
6.山之辺スカイウェイへ
神代先生は、S2000を郊外へ走らせた。
おそらく山之辺スカイウェイに行くのだろう、そう思った私は、神代先生に訊いた。
「正解。よくわかったわね」
「何しに行くんですか。マチャミの事故現場を見に?」
「ちょっと違うな。仇討ちよ。鹿本さんの」
「仇討ち……?」
どういう意味なんだろう。
だが神代先生はそれ以上何も言わず、ただ山之辺ハイウェイに向けてS2000を走らせた。
走り始めて30分ほど。道がゆるい上りになり、カーブを描くようになってきた。
「さあて。このあたりから山之辺よ。気合い入れて走るから、注意なさい」
言うと同時に、神代先生はチェンジレバーを操作した。
急加速で、身体がのけぞる。
急激にスピードを上げたその先に──道がなかった。
いや違う。そうではない。左に曲がった急カーブ──ヘアピンカーブだった。
「先生っ、カーブカーブカーブぅ!」
「わかってる。ビビりなさんな」
再び、先生はチェンジレバーを操作した。
足下のペダルもあわただしく操作しているようだったが、私にはどういう操作をしているのか、わからなかった。
タイヤがものすごい音を立て、S2000がお尻を振った。
と言うか、横を向いて走っていた。
そしてまた、フル加速する。
ものすごいエンジン音&排気音だ。
「いやあ、久しぶりに走るけど、やっぱりいい道だわあ。
仕事じゃなきゃ、もっと楽しめるんだけどねー」
神代先生は言った。
目がキラキラして、口元に笑いが浮かんでいる。乗ってる車でうすうす察しは付いていたが、どうやら神代先生はけっこう走り屋らしい。
でも「仕事」ってなんだろ。
急カーブを二つ三つほどクリアして、ゆるいカーブになった。
少しほっとする。
ん?
そのとき、私は道の先に、何かいるのに気づいた。
何か──ではない。人間だった。
S2000がすごいスピードで走っているので、その姿がみるみる近づいてくる。
それは、腰の曲がった老婆だった。
老婆が、センターラインに立っているのだ。
私は横目で神代先生の様子をうかがった。
神代先生の目が険しくなっていた。もう笑ってはいない。
S2000は、老婆のすぐ横を通り過ぎた。
「あぶっ」
私が叫びかけたときには、もう老婆ははるか後方に消えていた。
あり得ないことだが、老婆の横を通り過ぎる瞬間、私は、老婆が笑っているのがはっきりわかった。
「ぼちぼち来るわね」
「はい」
神代先生が言って、黒神由貴が応えた。
二人とも、これからどういう状況になるのか、わかっているようであった。
わかっていないのは、私だけだ。
神代先生が、ルームミラーにチラリと目をやって、言った。
「来た」
私は身体をひねり、後ろを見た。
二つ並んだライトが見えた。車が接近してきているのだ。
すごいな。こっちもかなりスピードを出しているのに。
そんなに大きな車ではない。と言うか、はっきり言って小さい。
営業でよく使うような、真四角のワンボックス車のように思えた。
それが、ぐんぐん近づいてくる。
やがて、車の中の様子がわかる程度まで近づいてきた。
そこまで近づいて、ようやく私はその車の異様さに気づいた。
車の中に、びっちりと人がいた。
いや、それは正確な表現ではない。
車の中には、数え切れないほどの頭が──人間の首だけが、詰め込めるだけ詰め込んだように、いっぱいになっていた。
その首のすべてが、アワアワと薄い笑いを浮かべていた。
「なんなの、あれ!」
私は悲鳴を上げていた。
「黒神さん。この際、腹のさぐり合いは無しで行きましょ。あれに効くもの、何か持ってる?」
ちらちらとミラーを見ながら、神代先生が言った。
「呪符を何枚か」
「OK。じゃあお願い」
神代先生に言われ、黒神由貴は胸に抱えたバッグから、何か紙切れを取り出した。
後ろを振り返り、気味の悪い車に向け、その紙切れを投げつけた。
高速で走っているにもかかわらず、紙切れは車のフロントガラスめがけて飛んでゆき、ぺたりと貼り付いた。
紙が貼り付くと、車の中の顔が苦しげに歪み、次の瞬間、車は真っ黒な粉のようになって、飛び散った。
コーヒーを淹れた後の粉をぶちまけたような感じであった。
黒い粉はいくつかの固まりになって、道の先──峠の上の方に飛んでいった。
黒い人魂。
そういう言い方が、一番しっくり来る感じであった。
神代先生が、ふうっと息を吐いた。
「……やっつけたんですか?」
私が言うと、黒神由貴が首を横に振り、神代先生が言った。
「今のは斥候(せっこう)──見張りみたいなものよ。まさかこっちが反撃してくるとは思ってもいなかっただろうから、今度は本気で来るでしょうね」
「本気って……」
「次は、あんなものじゃすまないってことよ」
神代先生は、前を向いたまま言った。
「1ヶ月ぐらい前かな……。ここでバスの転落事故があったの知ってる?」
S2000のスピードを少しだけ落とし、神代先生が言った。
「ニュースで見たような気がしますけど……」
私は言った。
「あれがきっかけだったわね。それまで溜まっていたものが、一気に噴き出した」
「どういうことですか」
「それまでにも、ここは事故がしょっちゅう起きていて、あまりいい噂はなかったんだけどね。なんて言うか……堤防が決壊するみたいに、今までの事故の分まで、いろいろと出てきちゃったのよ。それが1体ずつならまだいいけど、ひとかたまりになってるから始末に悪いわね」
「事故で死んだ人の幽霊……ってことですか」
「もうちょっとたちが悪いな。俗に言うところの、『怨霊』ってヤツよ」
「怨霊……」
「コーナーを回りきれずに自爆した車」
「コーナーではらんだ車になぎ倒された野次馬のギャラリー」
「道路を挟んだ向かいの家に行こうと思って道路を渡っていて跳ね飛ばされた婆さん」
「よちよち歩きで道へ出て行ってトラックの車輪に巻き込まれた子供」
「コーナーではらんで対向車と正面衝突した車」
「走行中にドアが開いて外に転げ落ち、後続車に挽き潰された子供」
立て続けに、神代先生は事故例を挙げた。
「……とまあ、そんなのが一緒くたになって。加害者も被害者も関係無しってこと。
若干、語弊(ごへい)があるけど、ホラー映画によくあるゾンビとか吸血鬼みたいなもんかな。やられた方も、今度は襲う側に取り込まれる」
神代先生は視線を上げ、チラリと道の先を見た。
「この先に広いパーキングエリアがあるの。たぶんそこに集合してると思う」
神代先生が言った。
「何がですか?」
「さっきも言ったじゃない。『怨霊』よ」
加害者も被害者も関係ない……
神代先生が言ったことを、私はもっとちゃんと理解すべきであった。
いや、理解していたとしても同じだったかもしれない。
いずれにしても、私はこの後、恐ろしくて、しかも極めて不愉快な経験をすることになる。