黒神由貴シリーズ

冥婚 2


4.ママに相談

 翌日、琴美は早めに店に出た。
 そろそろ店の準備をしようとしていたママが、目をむいた。

「どうしたの、琴美ちゃん。こんな時間に。まだ4時半よ」

 「アフロディーテ」の開店時間は6時である。

「ママ。実は相談したいことがあって──」

「相談? いいわよ。お金のこと以外なら、なんでもOKよ」

「ちゃかさないでくださいよー。お金のことじゃなくて、実は最近……」

 と、琴美は例のストーカーのことをママに話した。
 ママの眉間に、かすかにしわが寄る。

「気のせいってわけじゃ……ないわけね?」

「そう思うんですけど、でも見直してみたら、もういないんです。
それに、もしかしたら昨日の加藤さんの事故だって、ひょっとしたら何かそいつと関係があるんじゃないかって思えて……」

 そう言って、琴美は加藤氏と入ったラブホテルでのことも話した。

「ちょっとお待ちなさいな。じゃあなに? ホテルの部屋に、そのストーカーもいたって言うの?」

「そんなわけないし、実際部屋にはあたしと加藤さん以外誰もいなかったんですけど、その日に加藤さんがあんなことになっちゃって、怖くて……」

 琴美が身を震わせたとき、「おはようございまぁす」と明るい声で、「アフロディーテ」従業員の小松美智子が入ってきた。
 小松美智子はホステスではなく、カウンターの中で、ちょっとした料理を作ったりする、厨房担当のスタッフだ。
 味の評判も良く、美智子が作る一品料理目当ての客もいるほどであった。

「あらっ、琴美さん早いんですねー」

 言いながら、大きな買い物袋をカウンターの上に置く。
 途中で仕入れてきた、料理の材料であろう。

「ママ、昨日はすごかったですねー。目の前でしたもん。わたし、気を失いそうになっちゃいましたー」

 美智子が入ってきたため、自然と話を中断していたママと琴美だったが、美智子のその言葉で、二人同時に美智子を見た。

「みっちゃん。昨日の事故、見たの?」

 ママが訊く。

「はい。ちょうど生ゴミを出しに1階に下りたところだったので。死ぬかと思いました」

「何か変なことなかった? たとえばその──誰かが加藤さんを突き飛ばしたとか」

「そんなことはなかったですけど……そう言えば、加藤さん、誰かに手を引かれてましたねー。タクシーでも拾うのかなって思ってたら、そのまま道路に出て行って。でも、轢かれたのは加藤さんだけなんですよねー。不思議ですねー」

 ママと琴美は、思わず顔を見合わせた。

「あいつだ……」

 琴美は言った。

「やっぱりあいつよ、ママ。あいつが加藤さんを車道まで引っ張って行って、トラックに轢かせたんだわ」

「そんなにあわてて結論を出さないの。──みっちゃん。加藤さんの手を引っ張っていた人って、どんな感じの人だった?」

「どんなって言われても困るんですけど……。普通の人でしたよ」

 続いて美智子が言った言葉は、驚愕的であった。

「普通の女の人。中年のおばさんって感じの人でした」

「おば……!」

 琴美は目をむいた。

「うっそ! ほだな(そんな)はずないわよ!」

「ほだなはずないって言われてもぉ……」

 琴美の剣幕に、美智子は身を縮めた。
 そこに、何か考えている風だったママが割り込んだ。

「ねえ琴美ちゃん。さっきから気になっているんだけど、そのストーカー、どんな感じだって?」

「ですから、おとなしそうな感じで、一月ぐらい前まで、週に1回ぐらい来ていた──」

 と、琴美はストーカーの風貌をもう1度詳しく説明した。

「名前は『百済』って言う人です」

「……琴美ちゃん」

 琴美の話の途中からいぶかしげな表情になっていたママが、その表情のまま、言った。

「そのお客さん、百済さんね、──亡くなったわよ」


5.でんじゃら姉さん

「……琴美ちゃん。琴美ちゃん」

 一瞬気を失っていたらしい。
 気が付くとボックスの椅子に座らされていた。

「大丈夫? おどかしちゃったみたいね」

 冷たい水を琴美に飲ませつつ、ママが言った。

「で、本当なんですか? そのお客さんが亡くなっているのって」

 美智子が言った。

「私も聞いただけなんだけどね。琴美ちゃんがちょうど何日か休みを取っていたときじゃなかったかな。交通事故で死んだって。変わった名字だから覚えてたの」

「だって、そんな……じゃああたしが見たのって、なんだったの? お化けに恨まれる覚えなんてないもん」

 琴美はぐったりとして言った。

「ふう……こんなときにサエちゃんがいたら、力になってくれたかも知れなかったのにねえ」

 ため息をつきながら、ママが言った。

「サエちゃん?」

 美智子が首をかしげた。
 一方、琴美はその名に覚えがあった。

「サエちゃんって……『月山』にいた『でん姉さん』?」

「ああ。あんたたちはそう呼んでたわよね。あの子、ちょっと変わってたって言うか、霊感が強いって言うか、なんかそんなだったじゃない?」

 ママがサエちゃんと呼び、琴美たちがでん姉さんと呼んでいたのは、「アフロディーテ」と同じフロアにある「月山」というスナックにいた女性だった。
 でん姉さんというのは、正確には「でんじゃら姉さん」と言い、危険(デンジャラス)なお姉さんの意らしい。
 変わった女性であった。
 二十代半ばぐらい、長身でナイスボディ、誰もが振り向くような美貌だがぶっきらぼうで、客の誘いには絶対に乗らなかった。
 しつこい客には、鉄拳を飛ばしたこともある。
 そんなところから「でんじゃら姉さん」という名が付いたのであろう。
 一方、ビル内にある飲み屋の女の子たちからは慕われていた。
 相手が女だからといって、ぶっきらぼうであることに変わりはなかったが、何かと相談に乗ることが多かった。
 ただ、その相談事は、よくある男女関係の悩みではなく、オカルティックな内容が多かった。

「あの子がいたら何かわかるかもって思ったけど……もう何年か前に『月山』辞めたのよねえ」

 ママは再びため息をついた。

「ママ……あたし、でん姉さんの携帯番号、知ってます」

 琴美が言った。
 琴美もまた、でんじゃら姉さんを慕っていた一人であった。

「まだ通じる?」

「でも……もうこれだけが頼みの綱だし」

 琴美は携帯電話を取り出し、コールした。



 東京。

 S2000のシートに座り、イグニッション・ボタンを押そうとしたときに、携帯が鳴った。
 バッグから携帯を取り出す。
 表示されているナンバーに、かすかに記憶があった。

「……もしもし?」


6.山形に来た女性

 山形駅新幹線出口、12時すぎ。
 「つばさ」185号が到着し、客がわらわらと出てくる。
 その中の、ひときわ目立つ美貌の女性に、琴美は駆け寄った。

「でん姉さん。ごぶさたしています」

「……その呼ばれ方、何年ぶりかしらねえ。なんか妙な気分ね。『畜生衣』の気持ちがわかるわ」

 デザイナーズ・ブランドのスーツに身を包んだ女性は言った。

「は?」

「いや、こっちの話。……で? なんかやっかいなことなんだって?」

「ええまあ。……お店にどうぞ。ママも待ってますので」

 琴美は駅前駐車場に停めた車にでん姉を乗せ、「アフロディーテ」に向かった。



「いらっしゃいサエちゃん。わざわざごめんなさいねえ」

 「アフロディーテ」に入ると、ママが声をかけた。
 ママとでん姉が挨拶をしている間、琴美は如才なく飲み物の準備を始める。
 それをめざとく見つけたでん姉が言った。

「ちょっと待って。山形まで来てリザーブでもないでしょ。出羽桜の純米大吟醸をちょうだい」

「さすがによくわかってるわね」

 ママがにやりと笑って言い、でん姉は応えた。

「このあたりの店で日本酒の品揃えが充実してるのは、ここぐらいでしたから」

 ほどなくして、キリリと冷えた出羽桜の純米大吟醸と、ぐい飲みが出された。
 添えられている小鉢は、山形名産の食用菊「もってのほか」を甘酢で和えたものである。
 でん姉は待ちかねたように出羽桜を注いだぐい飲みを口に運んだ。

「はあ……やっぱ美味しいなあ」

 でん姉はしみじみと言った。

「ところでサエちゃん、今東京で何してるの? 銀座かどこかの店に勤めてるの?」

 ママがでん姉に訊いた。
 でん姉は「もってのほか」をつまみながら答えた。

「私立の女子高で国語教えてるの」

 それを聞くと同時に、ママと琴美は吹き出した。

「サエちゃん、悪い冗談はやめてよ。あなた、いたいけな女子高生に何を教えるつもり」

「……本当なんだけどなー」

 爆笑する二人を横目で見ながら、でん姉はつぶやいた。
 そして、ぐい飲みをくいっと空けると、言った。

「で。車の中でさわりだけは聞いたんだけど、もう少し詳しく教えてもらえる?」


7.怪異の正体

「ふぅ~ん」

 一通り、琴美とママから話を聞いたでん姉は、腕組みをして言った。

「琴美ちゃん、これだけは確かめておきたいんだけど、あんた、その彼をだますようなことはしてないでしょうね? 結婚するとか、一緒になるとか言って、結納金だけもらっといてあっさり振ったとか。だとすると、ちょっと話はやっかいになるわよ」

 ママが琴美を見つめる。
 琴美はフルフルと首を横に振った。

「……でしょうね。要するにあんたに心を残したまま死んだ、その百済って人が問題なわけだけど、メモの『もうすぐ一緒になれますね』ってのと、中年のおばさんの存在ってのが気にかかるわね。どういうことなんだろ」

「一緒になることが決まったような書き方だものねえ……死んでから一緒になるなんて、ねえ? ムカサリ絵馬じゃあるまいし……」

 ママのつぶやきを聞いて、うつむいていたでん姉が顔を上げた。

「ママ、今なんて言った?」

「え? あの、『ムカサリ絵馬じゃあるまいし』って……」

「それだあ」

 でん姉が額をぴしゃっと叩いて言った。

「うっかりしてたわ。ここはムカサリ絵馬の本場じゃないの。それよそれ。ママ、大当たり」

「え……何が? 琴美ちゃんのことと、ムカサリ絵馬と、何か関係があるの?」

 自分が言ったことの何が大当たりだったのかわからず、ママはうろたえ気味にでん姉に訊いた。
 その横で、琴美もぽかんとした顔をしている。

「ママはムカサリ絵馬がどういう物か、知ってるでしょ?」

「ええ……。一般に言われているのは、結婚することなく死んだ人を哀れに思って、花嫁とか花婿とかの絵を描いて架空の婚約をするという……」

 そこまで言って、ママははっとした顔をした。

「え? まさかその百済って人のムカサリ婚の相手に琴美ちゃんを?」

「普通、そんなことできるわけがないんだけどね。『百済』って言う名も、なんとなく引っかかってはいたのよね、ちょっと失礼」

 そう言うとでん姉は携帯を取り出した。
 どこかにコールする。

「ああ、もしもし。神代だけど。ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど、いいかな?
百済雄一郎という人物の親戚筋か関係者で、ムカサリ絵馬の絵馬師はいないかな。
高野山のデータベースだったら、その程度チョロいでしょ?
そう、今山形なんだけど。そう、天台宗。頼むわ。わかったら電話ちょうだい。急いでね」

 電話を切る。

「……ムカサリ絵馬の相手に、まだ生きている琴美ちゃんを選んだってこと? そんなことして、いいの? 聞いたことないわ」

 気味悪そうな顔で、ママが言った。

「いいも悪いも、普通そんなことしたって、何も起こるはずがないのよ。ただ今回の場合、かなり力を持った人物が絡んでいると思うのね。そうでなければ……」

 そのとき、でん姉の携帯が鳴った。

「もしもし。わかった? うん。うん。……ああ、やっぱりねえ。じゃあそれと、百済雄一郎の菩提寺はわかる? そこに外法絵馬が奉納されていると思うんだわ。あ、ちょっと待って」

 でん姉は琴美を呼ぶと、相手が言う住所をメモに書き取らせた。

「ん。わかった。ありがと。それじゃ」

 でん姉が電話を切ると、琴美とママが物問いたげな顔で見つめていた。

「……百済雄一郎って人の母親が、ムカサリ絵馬の絵馬師だったらしいの。もう引退していたらしいんだけどね。その人が、息子が死んでから、琴美ちゃんの存在を何かで知ったんじゃないかな。日記とかメモとか……それはわからないけど。それでたぶん、ムカサリ婚の相手に琴美ちゃんを選んだんでしょうね」

「だって、でん姉さん、今『普通そんなことしたって、何も起こるはずがない』って……」

 琴美が言うと、でん姉は大きくうなずいた。

「百済家っていうのが、元々渡来系の血筋らしいのよ。そもそもムカサリ婚の風習が大陸から来たものだと言うしね。その母親が、先祖の血を濃く引いたんじゃないかな。……にしても、話を聞く限り、かなり強い呪がかかっているから、ひょっとすると……」

 でん姉はふっと語尾を濁した。

「ああ、いや、なんでもない。あたしの思い過ごしかも知れないし。──で、ママ、今日明日は琴美ちゃんを休ませたいんだけど、いい? 今の状態じゃ、仕事できる気分じゃないだろうし、あたしも道案内が欲しいので」

 もちろん、ママに異存はない。
 その日、でん姉は琴美のマンションに泊まることになった。



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