山形県/天童市に出かけた。
この地方に古くから伝わる奇妙な風習があるという話をたまたま知り、以前から取材したいと思っていたのである。
その風習の名を「冥婚(めいこん)」という。
伴侶を得ることなくこの世を去った者を哀れみ、花嫁人形または花婿人形を伴侶に見立て、奉納するのである。
青森県津軽地方の弘法寺では、千体にも及ぶ人形が納められているという。
東北地方では、思いの外広い範囲で知られている風習であるらしい。
青森県金木町/川倉地蔵尊
果てしなく並ぶ冥婚人形
ただ、山形での「冥婚」が一風変わっているのは、奉納されるのが人形ではなく一幅の絵であるという点だ。花嫁花婿の婚礼写真のような、しかし、「絵」なのである。
これを、この地方では「ムカサリ絵馬」と呼ぶ。
絵馬には、婚礼衣装のカップルが二人並んで描かれ、片隅には人物の名前と享年などが記されている。
つまりその名前の人物が、伴侶を持つことなく亡くなった人というわけだ。
これがもっともポピュラーな「ムカサリ絵馬」の形である。
伴侶を得ることなくこの世を去った者を哀れんで奉納するというのは前述の津軽地方などにおける人形と同様であるが、山形地方の場合、そもそもは親族自らが絵馬を描く習わしであったという。
それが、いつの頃からか「ムカサリ絵馬」を専門に描く絵師が現れ、現在はその絵師に描いてもらうことがもっぱらである。
山形県天童市/若松寺
代表的なムカサリ絵馬
ムカサリ絵馬が奉納されている寺は、山形市や天童市内にいくつかある。
その中でよく知られているのは、天童市にある若松寺(じゃくしょうじ)だ。
「めでためでたの若松様よ」の、あの若松である。
そこを含めてムカサリ絵馬が多く奉納されていると聞いた寺をいくつかまわり、宿泊予定の天童温泉に向かったのは、日が少し傾きかけた頃だった。
冥婚/ムカサリ絵馬という、話に聞いたことはあったが詳しくは知らなかった風習を取材できたことで、気分は上々であった。
国道13号線は山形市や天童市を貫く主要道であるが、この際町並みを眺めつつ走ろうと、脇道を通ることにした。道路地図を持参しているので、道に迷う心配はない。
交通量の少ない道をてれてれと走っていたとき、細い脇道と小さな案内板が、視界の隅をよぎった。
数メートルすぎたところで急停車し、車をバックさせる。
こういうことができるのも、交通量の少ない脇道だからこそだ。
改めて見た案内板は、木の板に直接書かれた物であった。
かなり古い物なのだろう、腐食が進んでいるようであった。
「**寺」──と、寺への案内であったのだろうが、すでに塗料がはがれ、寺の名前は読みとれなかった。車1台が通れるぐらいの道の脇に立っているので、その方向に行けば何か寺があるのだろうと、かろうじて判断できる。
ちょっと、好奇心がうずいた。
案外めっけものかも。
実りある取材で気をよくしていたことと、時間的にあわてる必要がなかったことで、その寺に行ってみることにした。
なに、つまらなければ、さっさと引き返せばすむ話だ。
ハンドルを切り、車を脇道に入れた。
対向車が来たらどうしようと気をもみながら10分ほど走らせていると、寺の門が見えてきた。
ああいう案内板であるからある程度は予想していたが、ああやっぱりなと思えるような、小さな寺であった。
隣は墓地だった。けっこう多くの墓があるようだが、さすがにわざわざ数える気にはならない。
門の脇のスペースに車を停め、門をくぐる。
中にあるのは、ざっと6メートル四方ぐらいのお堂──観音堂であった。
入り口が開放されたままになっているので、数段ある階段を昇り、お堂の中に足を踏み入れた。
「おおー。こりゃあ……」
正面にあるのは、黒ずんだ木造の観音像だった。
その前に立ってまわりを見渡すと、壁一面にムカサリ絵馬が掛けられていた。どうやって取り付けたものか、天井にまで掛けられている。
数こそ、これまで取材した寺と比べると少ないが、ほとんど人が訪れないであろう寺だけに、そくそくとくる怖さはこちらの方が上であった。
さっそく壁に掛けられた絵馬を1点1点見てゆく。
これまで取材した寺で見かけた、専門の絵師が描いた絵馬もあったが、数は少ない。
それ以外のほとんどの絵馬は、近親者が自ら描いた物や、合成写真で作られた物であった。
ある意味では、この寺の方が本来のムカサリ絵馬としての意味は大きいかも知れない。
写真に納めるのも忘れ、夢中で絵馬に見入っていたとき、ふいに声がかけられた。
「ムカサリ絵馬に興味がおありですの?」
ぎょっとして振り向くと、いつの間に堂内に入っていたのか、20代半ばと思える女性が後ろに立っていた。
今どき珍しく、和服を着込んでいる。ほっそりとした古風な感じの美人であった。
「あ、いえ、なんと言うか……珍しい風習と思いまして……」
うろたえつつも、なんとかそれらしい返事をすることはできた。
「確かに珍しいかも知れませんわね。でも、村山や最上ではよく知られていますし、韓国や中国でも、似たような風習があるそうですわ。──何かの取材ですか?」
「ええ、まあ──」
「でもね」
そこで女性はいったん言葉を切り、いたずらっぽく笑った。
「こうした方が、もっとよくムカサリ絵馬のことがわかりますわ」
そう言うと、女性はつ、と手を伸ばし、腕にからませてきた。
そのまま、横に立つ。
「ご一緒していただけませんこと?」
女性が言った言葉の意味をつかみかねて、「え」と口ごもった瞬間、眼に映る風景が変わっていた。
場所はさっきと同じらしい堂内であるが、視点の位置が違っていた。
どこか、高い所から、堂内を見下ろしている。
「あの、これっていったい……」
わけがわからなくて、横の女性を見ると、彼女は婚礼衣装を身に着け、頭は文金高島田になっていた。
「ありがとうございます。これで、思い残すことはございません」
女性が頭を下げた。
ちょっと待ってくれ。
それってどういうことなんだ?
もしかして、冥婚の相方にされたのか?
冗談じゃないと抗議しようとしたが、すでに身体は動かなくなり、言葉を出すこともできなくなっていた。
……なんてね。
妙な妄想をしてしまった。
年がら年中、怖い話のネタばかり考えているから、ついつい妄想が広がってしまったのだろう。
それだけ、この観音堂内のムカサリ絵馬に鬼気迫る物があったということだ。
いつの間にやら、夕刻の赤い光が堂内に差し込んでいた。
目の前、少し高い位置に掛けられているムカサリ絵馬をながめる。
婚礼衣装を着た男女が描かれている。
ごく一般的なムカサリ絵馬だ。
花嫁の横に、女性の名前や享年、没日などが書かれていた。
つまり亡くなったのは女性側ということだ。
気のせいか、女性の顔はさっきの妄想内の女性に似ているような気がした。
没日は昭和の初め頃。道理で古風な雰囲気だったはずだ。
さあ、早く宿に行こう。
苦笑いとも何とも言いがたい笑いを浮かべながら堂を出ようとしたとき、入り口の真上に掛けられたムカサリ絵馬が目に入った。
何か、奇妙な感じがした。
何がおかしかったのか確認するため、戻って見直す。
おそらく、専門の絵師が描いた物だ。
これまで取材した寺でも見かけたような記憶がある。
絵そのものには、何もおかしい所はない。
じゃあ何がおかしいんだろう?
絵馬を見つめながらしばらく考えて、ようやく気づいた。
花婿にも花嫁にも、名前が記されている。
それって、おかしいだろう。
伴侶を得ることなく亡くなった人のために架空の相手と婚礼させるのが冥婚であり、そのためのムカサリ絵馬であるはずだ。
さらによく見ると、男性の側には没日が記されていた。
最近の日付だ。
一方、女性側には没日の記入がない。名前だけだ。
これって、まさか、女性はまだ生きている人ではないだろうな。
そんなことして、いいのだろうか。
冥婚の習慣でも、そういう話は聞いたことはない。
絵馬の左隅に、「百」と書かれた署名があった。
たぶん、絵馬を描いた人の名か雅号であろう。
故人の名前や没日を入れるのも絵馬を描く人が行うはずだが、この人は納得した上で記入したのだろうか。
何か薄気味の悪い物を感じつつ、あたりには誰も尋ねる人もいないので、車に乗り込んだ。
今でも、不思議である。
あれはなんだったんだろう。