黒神由貴シリーズ

黒神ンちへお泊まり (前編)


1.お泊まりって、どうよ?

 現在、星龍学園高等部は1学期の期末試験中である。
 んで、明日が最終日で、それが終わると、夏休みに突入する終業日までの5日間、テスト休みになる。
 さあ。今日の荒行も終わった。結果はだいたい想像が付くが。
_| ̄|○
 帰り支度をしていると、黒神由貴が近づいてきて、何かもじもじしている。

「なに?」

 黒神由貴がこんな態度を取るのは珍しい。

「あの、真理子さ、テスト終わったら、何か予定ある?」

 黒神由貴が言い、私は首を横に振った。

「ううん、何も。夏休みに入ったら、お盆にお墓参りには行くだろうけど」

 私が言うと、もじもじしていた黒神由貴の表情が一瞬明るくなった。が、もじもじして何か言いたげなのはそのままだ。

「なに。どうしたのよ。もじもじしてないで、ちゃんと言いなさいってば」

「明日から、うちの両親が旅行で出かけるの。……で、うちに泊まりに来ない? ……って誘おうかな、って。あの、真理子の都合がよければ、なんだけど」

 もじもじしながら、黒神由貴はようやくそう言った。
 その言葉を聞いた瞬間、私は即答していた。

「行く行く行く行く! 絶対行く! いつ行けばいい? 何持ってけばいい?」

 私が矢継ぎ早に言ったので、黒神由貴は目を丸くした。

「……OK?」

 私の顔色をうかがうように、黒神由貴はおずおずと言った。

「OKOKOKOK。絶対行く」

 細かい打ち合わせは帰りにどこかでお茶しながら、ということになった。


2.くろかみの家って、どうよ?

 翌日。
 無事、期末テスト終了。
 テストが終わってから一度帰宅してから出直すか、そのまま黒神由貴の家に行くか、どちらにすべきか決めかねたが、結局、黒神由貴の家に直行することになった。
 夕食の買い出しだのなんだのは、一度黒神由貴の家に入って、バッグなんかの荷物を置いてから、ということになった。

 黒神由貴の家って、どんなだろう?
 ってか、そもそも黒神由貴の家族のことも、ほとんど知らない。一人っ子だということぐらいだ。
 どんな家なんだろう?
 ドキドキワクワク。
 黒神由貴も私同様に電車通学だが、途中で乗り換え、私とは帰宅方向が変わる。
 今までだって、そのまま黒神由貴について行って家に行く機会もあったはずだが、そうならなかった。まあ、たまたま、だ。
 黒神由貴宅の最寄り駅に到着した。
 ここから歩いて5分ほどだと言う。
 この駅で降りるのは初めてだが、確かこのあたりはけっこう高級な住宅地だったはずだ。現に駅前には、高級そうなマンションがいくつか建っている。
 やがて黒神由貴は、5階建ての小ぶりなマンションを指さした。

「あそこ」

 小ぶりだし、いわゆる「億ション」ではないとわかるが、それなりにこじゃれたマンションであるのは、外観からもわかった。
 大きなマンションだと1階がテナントだったりするが、ここはすべて普通の住居のようだ。建物の大きさから見て、ワンフロアに2世帯か3世帯というところだろう。

「へえ……いいとこねえ」

 マンションを見上げ、私は言った。

「各階に2世帯ずつ、うちはここの5階なの」

「ペントハウスじゃん」



 1階玄関には、テンキーによる暗証番号と、ごていねいに指紋認証まであった。
 すっげ。
 5階までエレベーターで上がる。
 途中、4階で止まった。
 止まって、扉がほとんど開かないうちに、黒神由貴が「閉」ボタンを押した。
 扉が、閉まる方向に動きを変えて閉まり、エレベーターは再び上へ動き出した。

「誰かいたんじゃないの」

「いいの」

 黒神由貴は短く言った。
 黒神由貴がこういう風に短く返答するときは、たいてい言葉とは裏腹に何かある。だがまあ、今日はあえて訊くまい。
 エレベーターを出て見渡すと、右と左にそれぞれ扉がある。
 黒神家はどっちかな? と思っていると、黒神由貴は左に動いた。黒神由貴について左に行く前に、ちらっと右側の家に目をやった。
 表札を見ると、何も書かれていない。

「あっちは空き部屋?」

「空き部屋というか……予備の部屋」

「予備?」

「あっちも我が家なんだけど、お客様がたくさん来たときとか、そういうときの、予備」

 私は絶句した。

 もしかして、黒神ンちって、すっげえお金持ちなんじゃね?

 私は思ったが、ひがんでいると思われそうで、あえて訊かなかった。そういう発想が、すでにビンボー人なのだが。

 黒神由貴がドアに鍵を差し込もうとすると、その前にドアが勝手に開いた。驚いたらしい黒神由貴が小さく声を上げたので、そういう仕掛けというわけではないとわかった。
 ドアを開けて出てきたのは、中年の女性だった。おしゃれなスーツを着て、旅行用の、キャスター付きのスーツケースを持っている。
 あ、この人が黒神由貴のお母さん? 私は思った。

「……ママ!」

 黒神由貴が驚いた顔で言った。

「もう出発したかと思ってた」

「まだ時間は大丈夫よ。お友達がせっかく来てくださるんだから、挨拶ぐらいはしないと失礼じゃないの」

 中年の女性──黒神由貴のお母さんは、そう言った。
 一部訂正。中年と言ったら失礼だ。黒神由貴ぐらいの子供がいるようには見えない。若く見えるし、実際、かなり若いんじゃないだろうか。
 黒神由貴のお母さんは、私を見て、続けた。

「榊さんですね。はじめましてー。由貴の母親です。榊さんのことは、由貴から聞いています。この子ったら、榊さんのことばかり話すんですよー。いつも仲良くしていただいて、本当にありがとうございます」

 おっとりと、だが口をはさむ間もなく、黒神由貴のお母さんは言った。

「もっといろいろお話をうかがいたいんですけど、これから出かけるものですから、失礼します。ゆっくりしていってくださいね」

「ちょっと。ママ。もういいから。早く行って」

 小声で、早口で、黒神由貴はお母さんをうながした。照れているのが丸わかりだ。

「なに。いいじゃないの。ごあいさつぐらい、ちゃんとしないと。──あ、そうだ」

 突然、黒神由貴のお母さんの口調が変わった。

「さっき、お祖母様から電話があってね。頼んでいたこと、今夜やってもらえるかって」

 黒神由貴が顔をしかめるのがわかった。小声で、お母さんに言う。

「だって、あれはしばらくはいいんじゃなかったの? 何も今日じゃなくても」

「ママもそう言ったんだけど、ほら、お祖母様はああいう人じゃない。だから、ほら」

「……」

 しばらく下を向いていた黒神由貴は、突然、お母さんのスーツケースを持ち、エレベーターへ歩いていった。強引に出発させる気なのだ。

「あ。ちょっと由貴。お待ちなさいってば。まだ。──ごめんなさいねー、ああいう子だから」

 ぺこぺこと頭を下げながら、お母さんは黒神由貴のあとを追った。エレベーター入り口でスーツケースを受け取り、エレベーターに乗り込む。
 エレベーターのドアが完全に閉じるまで、お母さんは箱の中で何度も何度も頭を下げていた。
 お母さんを見送り、憮然とした顔で、黒神由貴が戻ってきた。

「……ママ?」(*^m^*)

 私が言うと、黒神由貴は少し赤面し、口を尖らせて言った。

「別にいいじゃない」

 照れているのだった。


3.黒神由貴の部屋って、どうよ?

 黒神家に入る。
 玄関からして、広い。うちとは大違いだ。

「広いなあ」

 思わず私は言った。

「そうでもないよー。4DKだもん。真理子ンち、一戸建てで5DKって言ってたじゃない。そっちの方がすごいでしょ」

 おめ、知ってて言ってるだろ。と嫌みの一つも言いたくなるぐらい、黒神由貴はさらっと言った。
 5DKって言ったって、うちなんか、それぞれの部屋は6畳あるかないかなのに。予備にもう一軒マンションを所有しているところが言うセリフじゃねーだろ。
 玄関からアプローチを抜けると、広大なリビング。隣はキッチンで、対面式になっている。

「こっちが私の部屋」

 言いながら、黒神由貴が部屋の一つに入った。
 どんな部屋だろう?
 人の部屋ってプライベートな領域なので、初めて入るときはなんとなくドキドキする。
 あー、やっぱ広いわ。
 10畳ぐらいかな? フローリングの洋室だ。
 壁にくっつけてベッドが置かれ、そのそばにきれいに整理された勉強机。その隣には、勉強机とは別に、パソコンデスクがある。
 それだけでも十分に私は圧倒されていたのだが、そんなものは問題にならないぐらいすごいものが、黒神由貴の部屋の中にあった。
 本棚。
 身長よりも高い、デザインよりも収納量重視の、本屋さん用みたいな本棚。
 その本棚に、ぴっちりと、私には理解不能な本が並んでいた。
 「本」というよりも、「書籍」あるいは「書物」と言う方がふさわしいような、むずかしそうな本。タイトルもまともに読めないものばかりだが、「呪」とか「神」とかいう文字が見える。つまりはそういう関係の本なのだろう。安っぽいムック本などは、1冊もない。
 率直に言って、女子高校生が読む本ではない。どこかの学者とか教授とか、そういう人が読むような研究書だ。もちろん、本棚に並んだ本のどの1冊も、私は手に取ってページを開く気にはなれなかった。
 私が本に圧倒されている間に、黒神由貴は手早く普段着に着替え終えていた。

「真理子、服どうする? 制服のままでいいの?」

 黒神由貴が言った。

「大丈夫」

 私は言って、お泊まりセットの入ったバッグから、Tシャツとコットンのパンツを取り出した。それを見た黒神由貴が、感心した顔で拍手する。

「道理で大きいバッグと思った」

 着替えたら、夕食の買い出しだ。



 メニューは、パスタと、サラダとかパンとか、あとはスイーツなどを適当に。女子高校生が二人で作る夕食なんざ、そんなものだ。
 駅前のスーパーで買い物を済ませ、マンションに戻る。
 さっきと同様に、暗証番号を打ち込んで、指紋を認証させる。

「便利で、セキュリティ的にはいいんだろうけど、ちょっと面倒だね」

 操作している黒神由貴を見ながら、私は言った。

「まあね。もう習慣になっちゃってるけど」

「部屋も広いし、いやらしいこと訊くようだけど、ここって高いんでしょ?」

「え? マンションの値段?」

 私がうなずくと、黒神由貴は首をかしげた。

「よく知らないんだ……」

 購入金額とかローンとかについてはよく知らないのかなと思ったら、そうではなかった。黒神由貴は、続けて、とんでもないことを言った。

「全体の管理はうちがやってるんだけど」

 なんか話が噛み合わないと思ったが、詳しく聞くと、黒神由貴のお祖母さんがこのマンションのオーナーで、日常の細かい管理などは黒神家が引き受けているということなのだった。
 黒神家ってのは、どこまで金持ちなんだよ。

 マンション5階の、黒神家に戻る。黒神由貴に続いて中に入りながら、私は、この話はうちのお父さんにはできないなと思っていた。お父さん、立ち直れないよ、きっと。
 格差社会反対。

 買ってきたものをキッチンの調理台に並べて、さて準備と思ったとき、携帯の着信メロディが鳴った。
 私のではない。何度か聞いたことのある、黒神由貴の携帯の着信メロディだ。
 ポケットから携帯を取りだして液晶ディスプレイを見た黒神由貴は、一瞬顔をしかめた。通話ボタンを押し、電話に出る。

「はい由貴です。──はい。さっきママから聞きました。でもお祖母様。今日じゃないとだめですか? 私、今夜はちょっと──はい。はい」

 話しながら、黒神由貴が次第に不機嫌な顔になってゆくのがわかった。

「はい。……わかりました」

 そう言って、黒神由貴は電話を切った。ほっぺたがふくらんでいる。

「なんか急用が入ったの? 出かけなくちゃいけないとか?」

 私が訊くと、黒神由貴は首を横に振った。

「そうじゃないの。出かける必要はないんだけど……前から言われていた用事で……食事しながら話すわ。──もう。なんで今日なのかな、お祖母様って」

 最後の方は独り言になっていた。
 お祖母様の用事って、なんなんだろう。
 それはともかく、その疑問とは別に、私は妙に感心していた。
 黒神由貴も、ふてくされたりするんだなあ。やっぱ人の子だ。
 今まで知らなかった黒神由貴の一面がうかがえて、私は内心ちょっと喜んでいた。


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