黒神由貴シリーズ

常世の誘い ~ビギニング神代冴子~ 2


3.萬燈供養会の出来事

 8月13日、高野町では萬燈供養会(まんとうくようえ)が行われる。
 夕刻、壇上伽藍/金堂前に巨大な松明が準備され、点火された松明を町内の消防団員がかかえ、メインストリートを奥の院入り口まで運んでゆく。
 その道々で、町民が松明の火を提灯のろうそくに移してもらったりもする。
 午後7時から、一の橋から燈籠堂までの参道両側に、無数のろうそくが立てられる。ろうそくを立てるのは、もっぱら観光客や信者たちだ。
 やがてすき間なくびっしりとろうそくが並び、参道は光の帯に彩られて、幻想的な雰囲気に包まれる。萬燈供養会がろうそく祭りとも呼ばれるゆえんだ。

 萬燈供養会当日。
 金堂前の大松明はすでに点火され、出発を待つばかりの状態になっている。
 やがて5人ほどの町内消防団の男たちが、かけ声と共に大松明を抱え上げた。
 見物人たちが拍手する中、大松明はメインストリートへと歩き出した。
 壇上伽藍からメインストリートへ出る門の脇に、拓実が立っていた。
 昨日、神代冴子が萬燈供養会見物に誘ったのだった。
 意外にも拓実は、その誘いを断らなかった。
 二人の僧侶の後に続いて大松明が奥の院へ向けて行進する姿を、拓実は無表情に眺めていた。
 大松明が壇上伽藍を出発して数分後、神代冴子がやってきた。
 いつも通りの作務衣姿だ。急いで走ってきたのか、軽く息を切らしている。

「悪い。遅れた」

「何かいろいろと用事があるんじゃねーの」

「大丈夫。だいたい済ませてきた。今日はもう何もない」

「ならいいんだけどさ……」

 大松明が歩き去った先に目をやりながら、拓実は言った。
 その語尾の濁し方が、神代冴子は気になった。

「なに。なんかあった?」

「大松明の上に、誰か立ってたんだよなあ。……いや、誰かというか、あれは人間じゃないんじゃねーかな。黒タイツ着たみたいに全身真っ黒で、なんか輪郭がぼやっとして、大松明の上に突っ立ってんの」

 神代冴子は目をむいた。

「それが、見えたの?」

 拓実はうなずいた。

「見えちゃった。──それってひょっとして、やばくね?」

 神代冴子は一瞬考え、そして言った。

「それ、ちょっとじいさまに聞いてみるわ。ごめん、萬燈供養会には行けなくなった」

「俺はいいから、早く行けって」

「ごめん」

 もう一度言って、神代冴子は壇上伽藍を飛び出していった。

 実家の寺院には、祖父の幻妙師も幻丞もいるはずであった。
 二人とも、たいていの行事には顔を出さない。
 深い理由があるわけではなく、単に二人とも不精だからにすぎない。
 二人とも、本堂にいた。のんびりと、将棋を指している。
 本堂に飛び込んできた神代冴子を見て、二人は目を丸くした。
 行事に参加するつもりもないので、二人とも作務衣姿だ。

「どうした冴子」

 幻妙師が訊いたが、全力で走ってきたため、すぐには答えられない。

「萬燈、供養会の、大松明の、上に、何か、妖しげな、ものが、いるらしい。すぐに来て」

「妖しげなもの?」

 幻丞が首をかしげた。

「どんなものだ?」

 幻妙師が訊いた。

「全身真っ黒の、人間のような姿をしたものが、大松明の上に乗っているらしい」

「らしい、とは?」

「あたしが見たわけじゃなくて。拓実が見たって」

「拓実が?」

 幻妙師と幻丞は不思議そうな顔をした。
 力を付けつつある神代冴子ならともかく、なぜ拓実にわかったのか? という顔であった。

「まあよい。幻丞。とりあえず様子を見に行ってくれるか」

「承知しました。──お嬢。大松明はもうかなり先に行ったでしょうね?」

「たぶん。でも、小走りで行けば充分追いつくと思う」

「では行きますか」



 二人が追いついたとき、大松明はすでに一の橋入り口近く、刈萱堂前までやってきていた。
 拓実が言ったとおりであった。
 大松明の上に直立して立つ、黒い人影がいる。

「幻丞。見える?」

「なるほど。確かに生きた人間じゃないですね。あまりタチがいいものではなさそうだ」

「どうする?」

「大松明を足止めするわけにも行きませんし。ここはひとつ、このままで片付けましょう。──私は向こうに回りますので、お嬢はこちら側で、大松明を両側からはさむ形にして。いいですか?」

「法具を持ってきてないけど」

 神代冴子が言うと、幻丞は作務衣のふところから独鈷杵を取り出した。

「和尚様の物を借りてきました。私は自分のが。──合図をしますので、同時に九字を切って、独鈷杵を突き出してください。では」

 神代冴子に独鈷杵を手渡すと、幻丞は大松明の向こう側へ走った。
 大松明と並んで歩きながら、幻丞が左手を振って合図する。右手には独鈷杵が握られている。
 振った左手をいったん握り、すぐに指を3本立てた。
 カウントダウンということらしい。
 3本指を強く振った。

 3。
 2。
 1。
 GO!

 臨
 兵
 闘
 者
 皆
 陣
 列
 在
 前

 観光客や町民の前で大きなアクションはとれない。手元で小さく九字を切る。
 大松明の黒い人影が、うねるように身もだえした。
 再び幻丞が左手を振った。
 手に持った独鈷杵をナイフのように持ち、ぐいと前に突き出すジェスチャーをする。再び左手の指を3本立てた。

 3。
 2。
 1。
 GO!

 身もだえする黒い影に向け、独鈷杵を突き出す。

「破っ!」

 身体の中から、まず肩に、何か強い力が集中するのがわかった。その力は腕から独鈷杵へと突き抜けた。
 神代冴子の身体がぶるっと震え、黒い人影が消し飛んだ。
 同時に、漏れたガスに引火したように、大松明の炎が一瞬、数倍の大きさにふくれあがり、すぐに元の大きさに戻った。
 見物人たちが「おおう」とどよめく。

 神代冴子は、独鈷杵を握った自分の右手をまじまじと見つめた。
 自分の中を突き抜けてゆく強大な力を、はっきりと感じた。
 力が突き抜ける瞬間、性的快感に近いものすら感じた。

 幻丞が神代冴子のそばに戻ってきた。

「お見事でした、お嬢」

「消えた?」

「ま、とりあえずは。ここには何やかやと妖しがおりますからね。いつまた出るやも知れませんが。──お疲れ様でした。戻りましょう」

 寺へ戻ろうとした神代冴子と幻丞に、いつの間にかやってきていた拓実が声をかけた。

「すごかったじゃん」

「おっと」

「お知らせ感謝します。おかげさまで、萬燈供養会はとどこおりなく進むでしょう」

 神代冴子が驚きの声を上げ、幻丞が礼を述べた。

「サエ坊、すごいことできるんだなあ。びっくりした」

「……見てたの?」

「そのうち戻ると思ったから、大松明について歩いてたんだ。目の前で見たよ。すごかったなあ」

 拓実はひどく感心した。



「ご苦労だった。──冴子もよくやったな。怖くなかったか?」

 寺に戻った神代冴子と幻丞に、幻妙師はねぎらいの言葉をかけた。

「怖くはなかったけど……あんなことするのは初めてだから、少しとまどった」

「いやいや、なかなか堂に入った退魔行っぷりでしたよ。頼もしいですな」

 神代冴子が言い、幻丞が続けた。

「それにしても、拓実がよく気づいたものだな」

「まわりにも僧侶が何人もいましたが、誰一人気づく気配もありませんでしたね」

「……拓実にも才能があるのかな」

 神代冴子が言った。

「あんなことがあったから、見えるようになったのかな」

「あんなこと……拓実の父親のことか?」

 幻妙師が言い、神代冴子はうなずいた。

「さて。身内が殺されたというだけで妖しが見えるようになるとは限らんでな。──冴子。何か心当たりがあるのか?」

 幻妙師にそう訊かれて、神代冴子は稲荷神社で見たことを思い出した。
 拓実の周囲を取り囲んでいた黒い影。
 あれと、今回の拓実の「気づき」とは、関連があるのだろうか。
 だが、以前訊かれたときと同様、今回もまた、神代冴子は否定した。

「いいえ。……とくに、何も」

「そうか。まあよい。なんにせよ、今回は拓実の大手柄だ。よろしく言っておいてくれ」


4.補陀洛渡海(ふだらくとかい)

 翌朝。
 稲荷神社の鳥居を抜けると、今朝も拓実がベンチに座っていた。

「よおサエ坊。昨日はお疲れ」

 やってきた神代冴子に気づき、声をかける。

「おはよ」

 言いながら、神代冴子は拓実の隣に腰掛けた。

「うちのじいさまが、礼を言っといてくれってさ。大手柄だって」

「何か変なのがいたから、そう言っただけなのにな」

 拓実は笑いつつも、こともなげに言った。

「拓実。あれ、なんでわかった? ……というか、いつからわかるようになった?」

 口調を変え、神代冴子が訊いた。

「親父がやられて一週間か二週間ぐらいだったっけか。……なんかぼやっとしたもんが目の前を横切ったりしてさあ。最初はなんだかよくわからなかったけど、人間っぽいのやら、わけのわかんないかたちしたのやら。……なんでかはわかんね。別に修行したわけでもないしさ。……やっぱ変?」

「いや、変ってわけじゃないんだけど」

 神代冴子は口ごもった。
 実際、拓実が言わなければ、誰一人として大松明の上にいた妖しには気づかなかっただろう。
 結果として何ごともなかったが、観光客など、「無防備」な人々に影響を与えたかも知れなかったのだ。

「……あの、本格的に修行するつもりはない、かな?」

 言いにくそうに神代冴子が訊くと、拓実は目をむいた。

「ちょっと待て。おめーがそれを言うか? いっつも坊主なんてまっぴらって言ってるじゃん」

「いやあの、あたしじゃなくてさ、じいさまが言ってるんだってば。惜しいんだってさ」

「勘弁してくれよー。俺、坊主って柄じゃねーよ。じいさま、ぼけたんじゃねーか?」

「……だから、言いたくなかったのにな。絶対突っ込まれると思ったから」

 ベンチの上で、神代冴子は身を縮めた。

「あのさあサエ坊。ちょっと訊きたいことがあんだけど」

 珍しく、拓実が質問してきた。

「ん。何」

「……『ふだらくとかい』って、知ってっか?」

「ふだらく……なんでそんなこと」

「知らね?」

「いやそりゃ、知ってるけどさ……仏教関係の言葉だし」

 とまどいつつ、神代冴子は「ふだらくとかい」について説明を始めた。
 ふだらくとかい。補陀洛渡海と書き、南方海上にあるとされた補陀洛浄土を目指して船出する行である。
 高知県の室戸岬、足摺岬、九州の有明海などから渡海したが、もっとも著名なのは和歌山県の那智勝浦であった。
 那智駅にほど近い場所にある補陀洛山寺には、渡海した上人たちの名を刻んだ墓碑銘がある。
 補陀洛浄土を目指すとはいえ、わずかな水や食料を積んだだけの小船で船出し、しかも船室は外から釘で打ち付けられる。つまり、脱出不可能な、実質的には死出の旅なのだ。






補陀洛渡海 墓碑銘

「東北のどっかで、地下に埋まってミイラになる坊さんがいたじゃん。あれと似たようなもん?」

 拓実が言った。
 山形などで多く見られる、即身仏のことを言っているのだろう。どこからそんな知識を仕入れたのかと舌を巻きつつ、神代冴子は答えた。

「ああ。山形の湯殿山なんかにある即身仏ね。うん、言われてみれば、似てるかも知れない。どちらも、生き延びる望みはほとんどないもんね」

「ミイラの方は生き埋めになるんだから、助かるとは思えないけど、ふだらくとかいの方は、建て前としては、『補陀洛浄土』へ行くための手段ってことなんだろ? 実際にそこへ行った坊さんもいたってことはねーの?」

「あんまり考えたくはないけど、食べ物や水なんかもあまり積まずに出航してるし、船もそんなにしっかりした造りじゃなかったらしいから、たぶん、すぐに沈んじゃったんじゃないかなー」

 そこまで言って、神代冴子は拓実に向き直った。

「って、拓実。あんた何考えてんの。この時代に、補陀洛渡海をやらかそうってんじゃないだろな」

「……だめ?」

 不思議そうな顔で、拓実は言った。

「常世に行くのって、面白そうだと思ったんだけどな」

「ば」

 あまりのことに、神代冴子は言葉に詰まった。

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! 第一、お父さんを殺したやつも、まだ捕まってないっていうのに!」

「ああ。あいつなあ」

 興味なげに、拓実は言った。
 続いて拓実が言ったことは、神代冴子の想像を絶していた。

「あいつ、たぶんもう、この世にいないと思う」

 神代冴子はさっき以上に言葉に詰まり、目を見開いて拓実を見つめるしかできなかった。

「ほら、さっきさ、妙なものが見えるようになったって言ったじゃん。んで、周りをふわふわしてうるさく思ってたんだけど、何の気なしに、『あいつら』に頼んでみたんだ。親父を殺したやつを、殺してくれよってさ」

「あいつらって──あいつらって」

「だから、俺もよくわからねんだってば。山狩りしても見つからなかったぐらいだから、あいつら、殺したというか、食っちまったんじゃねーかな」

 神代冴子は自分の身体が小刻みに震えるのを自覚した。
 拓実は、狂気に駆られて言っているのではない。
 話の内容は常軌を逸しているが、まぎれもなく真実だと直感でわかる。

「あー、なんで言っちまったのかなあ。話すつもりなかったのに。サエ坊の誘導尋問に引っかかったなあ」

 拓実はのんびりとした口ぶりで言い、ベンチから立ち上がった。

「んじゃあ、俺帰るわ。午前のお勤め、ちゃんとやれよ」

 神代冴子はベンチから立ち上がれないでいた。
 ベンチに座ったまま、鳥居をくぐって出て行く拓実を見つめるしかなかった。
 拓実の周囲に、いつかと同様、黒いもやのようなものがまとわりついていた。
 拓実の言う「あいつら」であった。


5.拓実の家

 夕刻の高野町、三浦拓実の自宅。
 父親が死んだあとも家具などはそのままだが、がらんとした雰囲気は否めない。
 台所にもリビングにも灯りはなく、人の姿もない。
 灯りのない家の中、ときおり、輪郭のぼんやりとした黒い人影がゆらゆらと歩く姿がある。
 拓実は自分の部屋にいた。
 部屋に置かれたシングルサイズのベッドの上、あぐらをかいて座っていた。

「今朝、お前らのこと、うかっとサエ坊に言っちまったよ。補陀洛渡海のことだけ訊くつもりだったのにさ」

 ちょっと困ったような顔で、拓実は言った。
 拓実の前には、誰もいない。
 少なくとも、生きた人間の姿はない。
 いるのは、三つほどの、輪郭のぼんやりとした黒い人影だけだ。

「そうだなあ。やっぱり早めにした方がいいよなあ」

 拓実は黒い人影に向かって言った。
 返事はないが、拓実はうなずいた。

「だよなあ。明日になったら、サエ坊がじいさまに言うかも知れないもんなあ」

 黒い人影がゆらゆらと左右に揺れる。
 再び、拓実はうなずいた。

「やっぱり今晩出るか」

 そう言うと、拓実はベッドから立ち上がった。
 自室を出てリビングを抜け、玄関へ向かう。
 その後ろを、ゆらゆらと揺れながら、黒い影がついて行く。

 玄関を出た拓実は、カーポートに置かれたスクーターにまたがった。
 セル一発でエンジンがかかり、パルンパルンと軽快な音があがった。
 アクセルをぐいとひねり、拓実は暗い町を出発した。


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