4.兄貴の話
というわけで次の日曜日の昼前、私と兄貴は黒神由貴の自宅最寄りの駅で、黒神由貴と待ち合わせた。相談事があるのにこちらの方に来てもらうのは失礼に当たるだろう。
約束した時間通りに黒神由貴が現れ、挨拶もそこそこに、席にゆとりのある、割と大きめのカフェに入った。
「……で、今日はいったいどういう……」
黒神由貴が話の口火を切った。
「えー、今ネット上で話題になっている『黄泉への扉』というサイトなんだけど、あれはどうも、うちの大学と関係があるかも知れなくて」
「おにいが犯人かよ!!」
思わず私は大声を上げ、店内にいた人たちが一斉に私たちを見た。
「おいばか違うって、そうじゃねーって。早とちりすんなよ」
「ちょっと真理子、お兄さんにそんな」
まわりの客の反応を気にしつつ、兄貴がうろたえ気味に言い、黒神由貴もあわてて言った。
「……じゃあどういう意味なのよ。おにいは直接関係ないにしても、何か事情を知ってるってことなんでしょ」
私がそう言うと、兄貴はしぶしぶうなずいた。
「まあ順を追って説明するよ。できることなら我関せずの立場でいたかったんだけど、お前の友だちもやられたんじゃ、そうもいかなくなってきた」
「『やられた』って。じゃあなに。あれは何かのトラップみたいな、人為的なものなの?」
「そのあたりがよくわからなくってさ。……黒神さんも聞いて下さい」
以下、兄貴の話。
どこもそうだが、大学の研究室というのは、研究をおこなう教授と、助手となって研究の手助けなどをする大学生で構成されている。兄貴は大学院生だから、立場的には教授と大学生の間、ということになる。
そんな研究室の一つに、マン-マシン・インターフェイスを研究しているゼミがあるという。よくわからないが、マン-マシン、つまり人間とコンピューターの間でいかに効率よく情報のやりとりをするか、という研究なんだそうだ。
兄貴自身はそこには関わっていないらしいが、同級の人がそこにいるそうで、たまに研究室をのぞいたりもしていたという。
そこにいた大学生の一人が、どうも今回の件にからんでいるのかも知れない、と兄貴は言った。
「なんでその人が関わっていると思うわけ?」
私が訊くと、兄貴は言葉を選びつつ、言った。何を言いにくそうにしているのかと思ったが、その内容を聞いて、黒神由貴に気を遣っているのだとわかった。
「そいつは、そういう研究室にいるぐらいだからパソコンヲタの傾向はもちろんあるんだけど、その他に、その、オカルトや心霊ヲタでもあったんだ」
ははあ。
「そりゃあな、理系の人間でも、心霊系の話が好きとかホラーが好きとか怪談が好きとか、そんなのはいくらでもいるけど、──というか、俺もそういうのは嫌いじゃないしな。でも秋山の場合は──あ、秋山っていうのはそいつの名前な。秋山の場合はそういうレベルをちょっと超えていて、うっかりするとビョーキなんじゃないかと思うような」
「ビョーキって、どういう風に。自分は神の声が聴ける、とか?」
「微妙に違うな」
兄貴は言った。
「秋山は、あの世──霊界に興味を持っていて、コンピューターで霊界と通信する方法を見つけようとしていたみたいで」
「霊界と通信って……バッカじゃない?」
私がバカにしたように言うと、意外にも兄貴は手をぱたぱたと振って言った。
「いやいやいや。それがそうでもないんだ。お前はそういうけどな、昔からそういうことにチャレンジしている人は、頭が残念な人でなくても、いないわけじゃないんだ。たとえば、晩年のエジソンも、霊界との通信を考えていたらしいぐらいで」
「へー。じゃ、その人が『黄泉への扉』のサイトを造ったってこと? だったら、その人を問いただせばいいじゃん」
私が当然の疑問を口にすると、兄貴は首を横に振った。
「いやそれは無理なんだ。秋山は1ヶ月前に死んでる」
「え。……じゃあ無理じゃん」
秋山という学生がすでに死んでいると聞いて、私は一瞬絶句した。
「それがそうとも言い切れなくて……えっと、ここから先はちょっと気味が悪い話になるけど、かまいませんか」
兄貴は黒神由貴に顔を向けて言った。私には気味が悪い話をしてもいいってことか。ふん。
秋山という学生は、研究室での作業そのものはまじめに取り組んでいたらしいが、作業の合間やオフのときなどは、霊界との通信方法について、いつも話していたという。そのうち、通信方法の確立のみならず、「霊界へアクセスする方法」も考えるようになっていたという。
さすがに研究室の他の学生たちもそういう話題について行けなくなり、次第に秋山という学生は孤立していった。
そんなある日、秋山が研究室にも大学にも来なくなり、携帯でも連絡がつかなくなって、秋山が住むアパートに様子を見に行ったのだそうだ。
管理人に事情を話し、部屋に入って見つけたのは、パソコンデスクの前で椅子に座ったまま死んでいる秋山の姿だった。
秋山の死に様は、異様であった。
頭部に釘のような物が何本も突き刺さっていたのだ。「釘」には電線が接続されていて、その線はパソコンデスクのパソコンに接続されていた。「釘」の先端は頭蓋骨を貫通し、脳にまで達していたという。
そのあまりの異様さに、警察は当初、他殺だと考えたらしく、大学関係者はいろいろと訊かれた。
が、死亡した秋山の最近の言動が普通ではなかったこと、アパートの戸が施錠されていたこと、「釘」に付いていた指紋が秋山の物だけであったことなどから、最終的には自殺と判断されたという。
実は大学関係者で秋山をよく知る者は、ある事実を警察には話していなかった。
それは、秋山が自分の脳とパソコンを電線で接続し、霊界にアクセスしようと試みたのではないか、ということであった。
なぜ誰もそれを話さなかったか。警察がそれを信じるはずもなく、逆に、話した人間の正気が疑われかねないからであった。
「おにい、やけに詳しいじゃん」
「そりゃまあ、発見者の一人だからな」
「ぶっ」
私は飲みかけていたコーラを噴いた。そんなこと、家で一言も言わなかったじゃないか。なるほど、家に帰るのが遅かったことが何日かあったのは、そういうわけか。
秋山の死後から数日して、オカルトマニアの間でとあるサイトが話題になり始めた。それが「黄泉への扉」であった。
兄貴たちはすでにそのサイトの存在を知っていた。
秋山のパソコン内データに、「黄泉への扉」の作成データらしきものがあったからだ。
ただ、それらは言わば「残りかす」のようなもので、完成データは見当たらなかったという。
サイトのURLはわかったので、兄貴たちはすぐにそこへアクセスしたが、やはりエンターはできなかった。
兄貴たちはエンターできない理由を考えて一つの結論に達し、エンターに成功した。
「えっ、エンターできたの?」
私は思わず声を上げた。
「できた。エンターする方法はわかった」
兄貴はうなずいて、続けた。
5.エンターの方法
「『黄泉への扉』のエンターを判断する内部クロックが微妙に変化するようになっていてな。アクセスした人間がどんなに正確な時刻にエンターキーをクリックしても、サイトの内部クロックと一致しないとエンターできないようになっていたんだ。しかも、何秒とか十何秒とか、進んでいるとか遅れているとかじゃなくて、クロックのずれがコロコロ変わるんだ。だから、十何秒か早くエンターキーを押してエンターできたからと言って、次の日に同じタイミングでエンターキーを押してもエンターできないようになってた」
「じゃあ、どうやってエンターできるようになったの? 当たるも八卦でクリックするわけじゃないんでしょ?」
「こっち側の、つまりアクセスする側のコンピューターと、向こう側のコンピューターのタイミングが同期するようにプログラムを組んでな、そのときにエンターキーをクリックすれば、エンターできるようになった。だからまあ、普通に何も対策していないパソコンからアクセスするのとは違って、ほぼ確実にエンターできるようになった。──ただ、それでもまだ問題があって」
「問題って」
「昏睡だよ。そのサイトにエンターできた人間は、昏睡状態に陥るんだ」
「ああ」
そうだったのか。エンターできた人間が昏睡状態になっていたわけか。そりゃあ、エンターできたという報告がネットに出ないわけだわ。
つまり酒井美佳も、エンターできたということなのだな。
「んで、エンターして、昏睡状態にならない方法はわかったの?」
「わかった。苦労したけど、まあなんとか。──レム睡眠とノンレム睡眠って、聞いたことあるだろ」
「なんか……夢を見てるか爆睡状態か、そんな違いだったかな」
「当たり。レム睡眠の間、要するに夢を見てる状態の間にログアウトすれば、昏睡せずに戻ってこられることがわかった。ただ、『黄泉の世界』にいられるのは数分間、せいぜい5分ぐらい。それを過ぎると昏睡状態に陥って、戻ってこられなくなる」
「どうやって、それがわかったんですか?」
じっと聴いていた黒神由貴が言った。私もそれを疑問に思った。
「それはまあ、何人かで実験して試したんで」
微妙に口ごもりながら、兄貴は言った。その口調に引っかかるものを感じ、私は訊いてみた。
「実験して、何もなかったの?」
「えっと……まあ、ちょっと」
今度は、もごもごと言葉を濁した。
「なんかあったんだ。──何があったの」
私の口調が詰問調になったのはやむを得ないだろうと思う。
「エンターできるようになって、エンターすると昏睡状態になるのがわかり、レム睡眠の間にログアウトすれば昏睡状態にならずに戻ってこられるとわかるまで、四人が実験した」
「……全員戻ってきた?」
「四人実験して、戻ってこられたのは、一人だった」
「おにいは実験しなかったの」
「した。戻ってこられた四人目が、俺。それまでの三人は今、昏睡状態」
「なんてことすんだよ、馬鹿!」
「危ないじゃないですか! 戻ってこられなかったら、どうするんですか!」
私と黒神由貴は、同時に叫んだ。
店内にいた人たちが、再び私たちに一斉に注目した。
私はともかく、黒神由貴までが大声を上げたので、ちょっと驚いた。
お互いの声に驚き、私と黒神由貴は顔を見合わせた。
……と、黒神由貴がニヤニヤッと笑って、言った。
「いつもは邪魔なようなこと言ってて、やっぱりお兄さんのこと心配してるんじゃない」
「いや、そりゃ、だって、何かあったらこっちが迷惑じゃん」
しどもどといいわけしたが、黒神由貴はニヤニヤと笑ったままだ。
「……まあ、そういうわけなんで、早急になんとかしないと」
苦笑を浮かべ、兄貴が言う。
「あの。お兄さん、ちょっといいですか」
黒神由貴がニヤニヤ笑いをやめ、真顔になって、兄貴に向かって言った。
「はい」
何を訊かれるのかと、兄貴は背を伸ばして生真面目に返事した。
「一度、お兄さんの大学のマシンから、私に『黄泉への扉』へエンターさせてもらえませんか」
「いやそれは危険だって!」
「無茶言うなよ、くろかみ! なんかあったらどうすんだよ!」
今度は兄貴と私が同時に叫んだ。
「……あの、お客様」
いつの間にか私たちのテーブルのそばに立っていたウエイターさんが、言った。
「できましたら、もう少し小さなお声でご歓談していただきますよう……」
怒られちった……
6.兄貴の大学へ
一週間後の土曜の深夜、私と兄貴は黒神由貴の自宅前、兄貴の車の中で黒神由貴が出てくるのを待っていた。
黒神由貴が「黄泉への扉」へアクセスすると決めた以上、止めても無駄なのはわかっていた。ならば、私も同行して一緒にアクセスすることを条件に、兄貴の大学へ連れて行くことにしたのだった。
マンションのドアが開いて、黒神由貴が出てきた。見送るために黒神由貴のお母さんも一緒に出てくるかと思っていたが、黒神由貴一人だった。
そう言えば、これまでにも真夜中に家を出ることは結構あったのに、家を出るいいわけに苦労している様子はなかった。してみると、黒神由貴が真夜中に家を出ることは珍しくないのだろうか。
普通ならば、「この不良娘っ!」とどやしつけられるところだろうが、黒神由貴に限って言えば、夜遊びということはあり得ない。十中八九、いつかの山ノ辺スカイウェイや「もっちゃん」のときのような用事に出かけているのだろう。
「お待たせ」
私は助手席を出て後部ドアを開け、黒神由貴を乗せた。続いて私も後部座席に乗り込む。
「なんか準備してきた?」
私は黒神由貴にささやいた。
「準備って?」
「ほら。……なんかお札とか」
黒神由貴は首を横に振った。
「なんにも。……だってサイトの中に入って行くんでしょ? 何も持って行きようがないじゃない」
おっしゃるとおりだ。
「じゃ、行くよ」
兄貴は言って、車を発進させた。兄貴の大学までは、ここから車で30分弱である。
真夜中にもかかわらず、大学の門はあっさりと通してもらえた。
どういう風に連絡して許可を得ていたのか、たとえ兄貴の顔はわかったにしても、小娘二人乗せた車がよく警備員の人に止められなかったと思う。
車はキャンパスを少し走り、奥の建物の入り口前に停まった。
「まあこんな時間だし、駐車場に停めなくてもいいだろ」
兄貴は言って、車を降りた。私たちも続いて降りようとすると、兄貴は素早く建物側の後部ドアに回ってドアを開け、私たちを降ろした。
(私だけだったら絶対こんなことはしないくせに!)
入り口前に立った兄貴はポケットから何かカードを取り出し、入り口横に設置された小さな装置にそれを軽く接触させた。
ピッという電子音が鳴り、入り口のロックが解除された音がした。さすがにセキュリティはしっかりしているようだ。
建物内に入り、常夜灯しか灯っていない薄暗い廊下を歩く。
やがて兄貴はあるドアの前で立ち止まり、さっきと同じ装置にカードを接触させた。ドアのロックが解除され、私たちはその部屋に入った。
中は小さな会議室といった感じで、中央には作業台があり、ごちゃごちゃとした機械だの器具だのが置かれ、その左右、壁に向かう形で数台ずつパソコンが置かれている。ドアを入った正面の壁際に大きめのデスクがあり、そこに座っていた人物が私たちを認めて立ち上がった。
「こんな夜中にもうしわけありません、後藤教授」
「君こそ大変だね、榊君」
立ち上がった人物は五十代半ばぐらいの男性で、兄貴の言葉から、ここの教授とわかった。日頃はどうなのか知らないが、今はノータイのラフな姿であった。
「それで、こちらが榊君の妹さんとお友だちだね」
後藤教授が私たちを見て言ったので、私と黒神由貴は頭を下げた。
「榊真理子です」
「黒神由貴です」
「後藤です。こんな遅い時間に、すまないことです。……それはそうと、榊君」
私たちから兄貴に目を移し、後藤教授はかすかに眉間にしわを寄せた。
「例のことに関して協力してくれるということだが、こんなお嬢さんたちにもしものことがあったらまずいだろう?」
「はあ。俺もそう言ったんですが、どうしてもって聞かなくて。……それに、彼女らのクラスメートが一人、『黄泉への扉』にアクセスして昏睡状態になってまして」
兄貴の言葉を聞いて、後藤教授は「わちゃあ」という顔をした。
「それはまずいな。事情はわかった。わかったが、しかし……お嬢さんたちが、どう協力してくれるというんだね? 失礼ながら、情報工学に詳しいというわけでもなさそうだが……」
「彼女たち、というか正確にはこちらの黒神由貴さんがどういうつもりで『黄泉への扉』にアクセスするのか、実は俺もよくわからないんですが、教授、この一件は情報工学やインターネット関連からのアプローチでは解決しないんじゃないかと」
「……じゃあどういう方向からのアプローチがあると?」
後藤教授はとまどったような表情で言った。
「教授は秋山が何に興味を持っていたかご存じですよね?」
「あ、ああ。……霊界との交信とか、黄泉へ行き来するとか、何かそんなトンデモなことだった」
「その『トンデモ』なことが、どうも絡んでいるのではないか……と、黒神由貴さんは考えているようで」
後藤教授は首をかしげて複雑な表情だった。きっと頭の中には「?」マークが飛び交っていただろう。
「あの」
ここで心霊談義をするのも何なので、私は話題を変えるために挙手した。後藤教授と兄貴が私を見て、「?」という顔をする。
「兄貴の話では、ここってすっごいコンピューターがあるってことですけど、その、えっと」
あとの方は言葉を濁して、私は部屋の中を見回した。並んでいるパソコンや、後藤教授のデスクにあるパソコン、どれもそれなりにハイエンドっぽいが、「スーパー・コンピューター」というにはあまりにも普通のマシンに見えた。
私の疑問の意図がわかったのか、後藤教授と兄貴は破顔一笑した。
「あれはただの端末。本体はこっち」
兄貴は言って、後藤教授のデスクそばのもう一つのドアを指さした。
「教授。見せてやっていいですか」
後藤教授がうなずくのを受けて、兄貴はこの部屋に入るときに使ったカードを取り出した。同じようにドア横の装置に接触させ、ロックを開く。
部屋の中は空調が効きすぎているのかやけに寒く、そしてロッカーがずらりと並んでいた。
「なにここ。ロッカールームじゃないの?」
私が言うと、兄貴は哀れむような目で私を見て、言った。
「何言ってんだ。これみんなコンピューターだよ。うちの大学は、設備としては、けっこう高水準なんだぜ」
「スーパー・コンピューターって、2階建てのビルぐらいあって、ランプだのなんだのがピカピカ光ってんじゃないの? んでもってカタカナっぽい音声でしゃべったりして」
「バビル2世じゃねえって。おまえこないだレンタルDVDで見てただろ」
私は自分ののどを手刀でトントンと叩きながら、「でいじー、でいじー」と言った。
「HALでもない」
後藤教授が声を上げて笑った。