黒神由貴シリーズ

黄泉と電脳空間の間(はざま)で 5


11.復帰そして炎上

 私は目を開いて、がばっと身体を起こした。
 目の前に突然コンピューターの画面が現れて、一瞬、パニック状態になった。

 ──あ、そうか、ディスプレイ。

 私はヘッド・マウンティング・ディスプレイを両手でつかんで強引に脱ぎ、放り出した。
 となりの椅子にいた黒神由貴も、身体を起こしたところだった。

「黒神さん、大丈夫?」

 兄貴が黒神由貴の身体を支えてやりながら、ヘッド・マウンティング・ディスプレイを脱がす手伝いをした。
 こら、妹のこともちょっとは心配しろよ、と文句の一つも言おうとしたとき、兄貴が振り向いて私を見た。

「真理子、何があった。エンターできなかったのか?」

「え?」

 覚醒してすぐでまだ頭がはっきりしていないのか、兄貴の言葉の意味が理解できなかった。

「いや……エンターできたよ。んで、いろいろあって、いま、戻ってきたんだけど」

「だってお前」

 と、兄貴は黒神由貴と私を交互に見ながら、あせったように言った。

「二人とも身体の力が抜けたんでエンターできたと思ったら、10秒もしないうちに起き上がったから、何かトラブルがあったのかって」

「10秒!?」

 私は思わず声を上げ、研究室の壁掛け時計を見た。アナログ式の電波時計は、2時を指していた。秒針は20秒のあたりを過ぎるところだった。

「え……ええ?」

 私がやっと驚いたとき、黒神由貴が叫んだ。

「お兄さん! 助手の秋山さんのアパートはわかりますか?」

 私、兄貴、後藤教授、みんな黒神由貴を見た。

「わかるけど、なんで?」

 とまどいつつ、兄貴が当然の疑問を口にした。

「今すぐ連れて行って下さい!」

 いつになく必死に、黒神由貴は言った。

「あ……うん、わかった。あの、教授、よくわかりませんが、彼女と秋山のアパートに行ってきます。もうしわけないですけど、こちらの方は、あとをお願いします。詳しい報告は、また後ほどしますんで」

「あ、ああ、わかった。こっちは大丈夫だから、その、よくわからんが、気をつけて」

 事情がよくわからないまま、黒神由貴の勢いに押されて兄貴と後藤教授は言い、私と黒神由貴の三人は、研究室を出た。



 秋山のアパートは、大学から20分あまりということだが、もう間もなく到着というあたりで、やけにあたりが騒がしくなってきた。
 何台かの消防車が私たちの車を追い越してゆき、それ以外にも、サイレンの音が鳴り響いているのに気づいた。
 さらに、車に入ってくる外気が、焦げ臭かった。

「どっか火事だな」

 兄貴があたりに目をやりつつ、言った。

「もしかしたら、アパートまでは車で行けないかも知れません」

「ん? なんで? 車を停めるスペースはあるよ?」

 黒神由貴が言って、兄貴が答えた。

「火事になっているのは、たぶん秋山さんのアパートです」

「え、なんでそんなことが──」

 わかるのか、と兄貴は言おうとしたのだろうが、そこまで言う前に、前方の道に警察官が立って、通行規制していた。

「この先で火事です。迂回して下さい」

 警察官は言った。
 私たちは、警察官の背後の空が真っ赤になっているのに気づいた。
 ここで「行かせろ」と押し問答できる身分でもない私たちは、警察官の言葉に素直に従い、通行規制している場所から少し離れたところに車を停めた。
 小走りで、火災現場へ向かう。客観的に見れば、単なる火事場の野次馬だ。
 火災現場から二、三十メートルほどのところに黄色いテープが張られ、それ以上は近づけなくなっていた。その距離でも、顔が熱くなるほどの熱気が届いた。

「間違いないな。燃えてるのは秋山のアパートだ。こりゃ全焼だろうな」

 兄貴は言って、そばに立つ黒神由貴を見た。

「──で、黒神さん、なんで秋山のアパートが火事だってわかったの」

 黒神由貴は一瞬、困ったような顔をして、

「……えー、のちほど説明します。一件落着してから」

「一件落着って」

 兄貴は不思議そうな顔をした。そりゃそうだ。兄貴は、秋山が作った電脳空間で私たちが何をしたか、知らないのだから。

「あ、たぶん、昏睡状態になった人たちは、今頃、目覚めてるはずですから」

「え!」

 黒神由貴が言うと、兄貴は声を上げた。



 黒神由貴を自宅まで送り届け、私と兄貴はそのまま家に戻った。

 電脳空間で、黒神由貴は秋山に何をしたのか。
 なぜ黒神由貴は現実世界における秋山のアパートが火事になっているとわかったのか。

 訊きたいことはいろいろと山ほどあったが、車の中、兄貴もいるところでそういう話はやりにくかったので、別れ際に「あとでメールするから」と言っておいた。
 以下、黒神由貴とのやりとり。

私→黒神由貴
『お疲れ。……でさ、電脳空間で、くろかみ、あいつに何をしたわけ? くろかみがあいつのアパートを燃やしたの?』

黒神由貴→私
『そんなわけないじゃない。アパートを燃やしたのは、あの人自身よ。あの人が、どこかに隠したパソコンをショートさせて、火事を起こしたの』

 ここで、私はしばらくの間考え込んでいて、返信するまで時間がかかっている。

私→黒神由貴
『ごめん。意味わかんない』

黒神由貴→私
『あそこの中では、自分が思ったことは現実となるの。ほら、あっという間に離れた場所まで行けたじゃない。真理子は、何かのゲームの技を実際に使えたじゃない。あれでわかったの』

私→黒神由貴
『んー、よくわかんないけど、まあいい、わかった。つまり、どういうことをしたわけ?』

黒神由貴→私
『あの世界の中では、「できると思ったことは、できる」ということは、「ひょっとして起きるかもしれない」と思ったことは現実になるの』

私→黒神由貴
『あ。つまり、あいつのパソコンについて何やかやと言っていたのは、あいつにそう思い込ませていたわけ?』

黒神由貴→私
『そうそう。私がもっともらしいことを言ったから、あの人は信じ込んじゃったの。で、それが現実の世界で本当になって、火事が起こったの。でも大丈夫かな。アパートの人、怪我したりしてないかな』

私→黒神由貴
『あ、それは大丈夫。あれから兄貴から聞いたんだけど、あのアパート、おんぼろでね、あいつしか住んでなかったんだって。最後の一人のあいつも死んだんで、近いうちに建て替える予定だったんだって』

黒神由貴→私
『あー、よかった。それだけが気になってて』

私→黒神由貴
『じゃ、詳しいことは、また学校で。おやすみ』

黒神由貴→私
『おやすみー♪』


12.こまごまとしたことなど

 秋山のアパートは、ほぼ全焼した。近隣の住宅に延焼しなかったのは奇跡と言えた。
 以下、後藤教授が関係各所に手を回して得た情報を、兄貴を通して知ったこと。

 秋山がスーパーコンピューターに匹敵するほどの性能を持つと言っていたパソコンは、秋山の部屋からかなり離れた部屋の屋根裏に隠されていて、ブレーカーを通さずに直接電気を引かれていたという。ぶっちゃけて言えば「盗電」だ。
 火事の原因は、黒神由貴が言ったとおり、秋山のパソコンがショートし、パソコンの電源が発火したためだった。
 秋山曰くのスーパーコンピューターは、確かにそれなりの高スペックであったらしいが、普通のパソコンパーツショップでそろえられるレベルの部品で組まれていて、スーパーコンピューターとはほど遠いものだったという。

「だから正直、今回のことをあいつが一人でやれたって、ちょっと信じられないんだけどな。……その辺のこと、黒神さんに訊いたらわかるのか?」

 兄貴は首をかしげて言った。
 実はその件に関しては、すでに黒神由貴に質問していた。
 当事者である秋山が「消滅」した以上、推測でしかないのだが、あの電脳空間は秋山の手になる未知のテクノロジーによって造られたものではなく、秋山の妄念が生み出したものではないだろうか、ということであった。
 従って、あの電脳空間が崩壊したのは、秋山が隠していたパソコンが破壊されたためではなく、パソコンが破壊されたと思い込んだ秋山自身の意識によって、パソコンによって仲介されていた秋山と電脳空間とのつながりが切れたためではないか、というのが黒神由貴の意見だった。
 黒神由貴自身、こういう体験は初めてらしく、確証はない、ということであった。

「これ、真理子のお兄さんには黙っててね。変な子だと思われるし」

 黒神由貴は変なところで念を押した。黙っておく、と約束したが、すでに「ちょっと変わった子」とは思われていると思う。
 もう一つ。
 これも黒神由貴が火災現場で言ったとおり、「黄泉への扉」にエンターして昏睡状態になった人たちは、あの夜のうちに目覚めていた。酒井美佳も、数日後に登校してきた。
 ただ、これは残念なことなのだが、エンターして昏睡状態になった人たちが、すべて復帰できたのかどうかは、不明だ。まず、どれだけの人が「黄泉への扉」のせいで昏睡状態になったのかわからないし、電脳空間で秋山が「デリート」した人たちが、本当に現実の世界で死んだのかもわからないのだ。

 そして。
 あれから、私は「黄泉への扉」へアクセスしてみた。
 ブックマークから飛ぶと、「404 not Found」と出た。
 サイト名を検索してヒットしたURLをクリックしても同様だった。
 ネット上では「『黄泉への扉』消えた?」「どっかに移転したの?」「本当にヤバいんで、抹殺された?」などと適当なうわさが飛び交っていたが、そのうち話題にもならなくなるのだろう。


エピローグ.だからなんでそうなる

 そんなこんなで、我が家も普通の日常に戻った、とある日。
 兄貴がこんなことを訊いてきた。

「なあ。例の秋山の一件でお世話になったんで、黒神さんに何かお礼がしたいんだけど、彼女って、何が好きなのかな」

「あー、神社仏閣巡りが好きって言ってたな、確か。それと、食べ物だったら、和菓子系が好きなんじゃないかな。アンコが好きらしいし。──って、おにい。くろかみに手を付けようったって、そうはいかねーぞ。私はあの子の携帯番号もメルアドも教えねーからな」

 私は釘を刺した。私がガードしないでどうする。

「いや、携帯番号もメルアドも、もう聞いてある。一応、好きな物を聞いておこうと思ってな」

 ちょちょちょちょちょ! いつの間に! てか、黒神由貴も教えるなよ! 危機感なさ過ぎだろ!


黒神由貴がデートした翌日の話はこちら


黄泉への扉


Tweet

黒神由貴シリーズ