「さてここで問題です。東京都心ど真ん中のラブホテルに、ワニやサメはいるでしょうか」
K医大法医学部、准教授室。女優の名取裕子似の監察医が言い、相手をしている所轄刑事がうんざりした顔で答えた。
「またお得意の謎かけですかー。勘弁してくださいよ。いるわけないでしょう。いくらガイシャがあんなだからと言って」
「上野のラブホテルでは頭部を全部、新宿のラブホテルでは股間と下腹をごっそり。どうやったらそんな殺し方できるのかねー。ガブッと一発でそんなことできるのって、ワニかサメぐらいよ」
「新宿の街中をサメが泳ぎ回っていたという目撃談はありませんねえ」
「ネタにマジレスしないでよ」
監察医がぶすっとした顔で言う。
「刃物とか何かの道具を使った痕跡はない。何かに噛みちぎられたのは間違いないんだけど、むろんワニやサメではない。もちろん人間でもない。頭や下腹をひと噛みでごっそり持っていけるほど、人間の口は大きくない。でも」
監察医は続ける。
「傷の形状は人間の歯形に近く、唾液らしき成分も検出された。でもこんなことは普通の人間にはできない。逃げた女が化け物みたいな口を持ってたら話は別だけど」
1.大阪から来た女
10月。
東京で妖しがらみの仕事をしている高野山の僧・幻丞の携帯に、ファッション・ヘルス「ザ・インペリアル」の店長から連絡が入ったのは、夜の7時を回った頃であった。
「どうしました店長。営業の電話ですか?」
珍しいこともあるものだと、幻丞は軽口を叩いた。
幻丞に頼み事がある場合でも、通常ならば店長は幻丞のオキニであるコンパニオンのミカを通じて連絡を取る。
『夜分にもうしわけありません。今、よろしいでしょうか』
口調から、単にひまつぶしの雑談でかけてきたわけではないとわかった。
「大丈夫です。どうされました?」
『もしよろしければ、今からうちの店に来ていただけないでしょうか』
「それはかまいませんが、何かお困りごとでも?」
『はあ、うちの店に、先生にお会いしたいという女性が尋ねて来られまして』
瞬間、幻丞の脳裏に何人かの風俗嬢の顔がよぎった。いやいやいや。だったら自分に直接連絡を取ろうとするはず。
「私にというと、それはもしかして」
『はい。先生の得意分野に関わることで、ご相談したいことがあると』
なるほどそういうことだったか。どこからか幻丞のうわさを耳にして、伝手をたどって「ザ・インペリアル」の店長にたどり着いたのだろう。
了解した幻丞は、電話を切ると、自宅マンションを出た。
1時間後、幻丞は自分を訪ねてきた女性と、「ザ・インペリアル」店内の応接室で顔を合わせていた。
相沢純子と名乗った二十代後半ほどの女性は、先日まで大阪のT新地で働いていたと語った。店を辞める際、店の「おばちゃん」から幻丞のことを聞いたのだという。
女性がT新地で働いていたと聞いて、幻丞と店長は女性を二度見した。
中肉中背、高級ブランドではないが、きちんとしたスーツを着用した清楚な雰囲気で、風俗業それも本番ありの「ちょんの間」で身体を売るようなタイプには、到底思えなかった。
どこぞのちょっといいところの若奥様、と言われれば、誰もが納得するであろう。
とはいえ、幻丞も店長も、風俗業については見た目が当てにならないことは、よくわかっている。
この女は共依存体質だ。幻丞は直観した。おそらく店長も同じ意見であろう。
「……で、私に相談というのは、どういう」
幻丞が口火を切った。
「私に取り憑いているモノをなんとかしていただけないかと」
ソファに座り、うつむいて幻丞や店長の顔を見ずに、相沢純子は言った。
「T新地を辞めるときに店のおばちゃんに相談しましたら、こちらの幻丞さんに見てもらったらどうかと言われまして」
「先生の名声は西の方まで響いていると見えますね」
幻丞の横に座る店長が、小声で茶化す。それをさらっと流して、幻丞は相沢純子に言った。
「取り憑いているというのは、いささか物騒ですね。何が貴女に取り憑いているとおっしゃるのですか」
相沢純子は固まったようにじっとしていたが、やがて立ち上がった。
無言で服を脱ぎ始める。
「ちょっ、いきなり何を」
思わぬことに、店長がうろたえた声をあげる。
相沢純子はスーツの上、ブラウス、スカートと、次々と脱いでいき、ショーツ一枚の姿になって、幻丞と店長に背を向けた。
相沢純子の背中一面、肩のすぐ下あたりから尻の上あたりまで、刺青が彫られていた。
絵柄は真正面から描かれたドクロであった。頭蓋骨と言うよりも、若干デフォルメされた妖怪画に近い。
背中の中央にドクロが大きく描かれ、その背後にはおどろおどろしい色合いの模様が描かれている。ドクロの眼窩には眼球が入っていて、刺青を見る者をギョロリとにらみつけていた。
参照:ドクロを背負う女
「もうけっこうですから。服を着てください」
呆然と刺青を見ていた店長が、我に返って言った。
「昔つきあっていたタチの悪い男に、彫らされまして」
元通りに着衣を整えた相沢純子が言った。さもありなん、といった風に、幻丞と店長がかすかにうなずく。
「嫉妬深い人でして、私が浮気していると思い込んで、包丁で相手を殺そうとして、逆に殺されてしまって」
そこで相沢純子は顔を上げ、はっきりと言った。
「それから、この骸骨の刺青に、あの男が取り憑いたんです」
「その刺青……ドクロは、何をするんですか。何かこう、貴女に対して、よくないことを」
確かにこれは自分の領分だ。そう思いながら、幻丞は相沢純子に質問した。
「私に対して直接は何もしないのですが……私に近づく男性に危害を加えるようになりました」
「危害と言いますと」
店長が口を挟む。
「始めの頃は、私に付いたお客にやきもちを焼いて、手を噛んだりする程度だったんですが、今は……」
そこで相沢純子は言いよどんだ。が、意を決して言葉を続けた。
「人を喰べるようになりました」
さすがに、幻丞と店長は絶句した。
2.人喰いドクロ
「ここに来るまでに、東京に着いてすぐに、上野と新宿で声をかけられまして、私も持ち合わせが十分とは言えない状態でしたので、誘われるままに」
幻丞と店長は息を呑み、相沢純子が話を続けるのを待つ。
「上野で声をかけてきたのは、会社員風の男の人でした。その時はまだ、骸骨が何かするとしても、せいぜい噛みつくぐらいだろうと思って、いくらかお金をもらってホテルに入りまして、部屋に入ったら当然服を脱ぎますから、この刺青のこともすぐにわかって、それを見た男の人が面白がって、その……後ろからつながるように求められまして」
話の内容が生々しくなってきたからか、ときおりつっかえながら、相沢純子は続けた。
「私もその、お金が必要だから誘いに乗ったとは言え、何かこう、自分が自分ではないように高まりまして、つい夢中に。それで、男の人が果てまして、私の背中にガクッと頭を乗せたと思いましたら、背中に熱いお湯をかけられたような感じがしまして、あわてて振り返りましたら」
自分を抱いた男が、首を失って、身体を痙攣させていたという。熱い湯と感じたのは、男の首の切断面から噴出する鮮血であった。
何が起こったのかよくわからない相沢純子が呆然としていると、背後でバキバキグチャグチャという音が聞こえてきた。音の方向を振り返っても、何もいない。何度かあたりを見回して、相沢純子はようやく、音の出所が自身の背中であると気づいた。
それで、背中の刺青が男の頭部を囓り取って、喰っているのだとわかった。
「あわててシャワーを浴びて服を着て、お金は先にいただいていましたので、フロントに連絡せずにホテルを出ました」
相沢純子の口から語られる話のすさまじさに、幻丞も店長も息を呑んでいた。幻丞は仕事柄、経験があるとは言え、目の前に座る女性が、その背に人を喰う妖しを抱えていると思うと、あまりいい気分ではない。
「幻丞先生は新宿に来ればお会いできると聞いていましたので、その足で新宿へ向かいまして、そこで声をかけてきたのが、風俗のスカウトでした。名前は……田村とか言っていましたか」
「田村を殺ったのは、あんたか!」
店長が声を上げた。
「お知り合いですか」
幻丞が訊く。
「ああ、いや、その、知り合いと言いますか、家出娘とか食い詰めたOLとかに声をかけては安風俗に入店させている、まあチンピラですわ。あまりいい評判は聞きませんでしたね。その田村が昨日、近くのラブホテルで死んでいるのが発見されて、大騒ぎでしたわ」
思わず声をあげたことに恥じ入りつつ、店長は幻丞に説明した。そして相沢純子に顔を向け、
「で、田村にうちの店のことを聞いたわけだね」
相沢純子はうなずいて、
「こちらにうかがえば、幻丞先生に会えるだろうと」
「その情報の礼として、田村はあんたを抱こうとしたわけか」
「それは……少し違います」
てっきりスカウト田村が相沢純子をラブホテルに誘ったのだろうと合点していた幻丞と店長は、「え」という表情で相沢純子を見る。
「私から、その……ホテルにお誘いしました。幻丞先生のことを教えていただいたお礼というよりも、その、私の方が、欲しくて欲しくて仕方がなくなっていまして」
ああ、もしやこれは。と、幻丞は内心で思った。
この女はすでに、すべてではないにしても、ある程度は背中の刺青の支配下にあるのだろう。刺青は、犠牲者を喰うために、女を撒き餌にしているのだ。
相沢純子は語る。
スカウト田村を連れて近くのラブホテルに入った相沢純子は、部屋に入るなり、田村のスラックスのファスナーを下ろして男の部分を引き出し、口にくわえた。
最初こそ奇妙な展開にとまどっていた田村であったが、女の口技の巧みさに、すぐに屹立した。それを見た相沢純子は目を輝かせ、フェラチオをいったん中止し、服を脱ぎ始めた。田村もあわてて服を脱ぐ。
お互い全裸になって、相沢純子は田村の唇をむさぼるように吸った。
粗相したかと思うほど、大量の愛液が太ももの内側を流れ落ちていくのがわかる。
相沢純子は、我を失うほどに欲情していた。
いや、この時点で、相沢純子は完全に刺青に操られている状態であったのだろう。
「後ろから、入れて」
ベッドサイドに立って上半身を深く曲げ、尻を高く突き上げた姿で、相沢純子は田村を誘った。
田村自身もまた、相沢純子の言うがままに相沢純子とつながった。
身体を貫く快感に高い声を上げながら、一方で相沢純子は背中に違和感を覚えていた。
背中が重い。何かをおんぶしているような感覚がある。
相沢純子の中で激しく動いていたものの動きが止まっていた。
「う、うわ、なんだそれ」
田村が何かにおびえたような声を上げると、相沢純子の中にあったものが引き抜かれた。
「いやっ、やめないでっ」
相沢純子は言って、身体を反らせた。──否、「何か」に背中を引っ張られたと言った方が正しいのかもしれなかった。
身体を反らせた相沢純子は、そのままの体勢で、田村の上に仰向けの状態でのしかかった。
「おげえっ」
田村が声を上げた。
相沢純子が背後を振り返ると、股間の肉をごっそりと失った田村が、床の上に倒れていた。股間を中心にして、見る見る血だまりが広がってゆく。気味の悪い生物のように、ぞろぞろとはらわたがはみ出してくる。
しばらく断末魔の痙攣をしていた田村が、やがて動かなくなった。
上野のときのように、背後から咀嚼音が聞こえてくる。
状況を理解した相沢純子は、シャワーで返り血を洗い流し、室内の自動精算器で支払いを済ませると、ホテルを出た。