4.アクセを試してみる
今、自分の目の前には「願いがかなうアクセ」がある。
昨日、街をさまよっているときにもらったものだ。
一週間前、付き合っていた彼が、あっけなくバイク事故で死んだ。
その悲しみに耐えかねて、街をさまよっていた。
何をする気も起きなかった。
友人たちや周辺の大人は自分の自殺を恐れたが、それすらもやる気力が起きなかった。
ああ、「ふぬけ」って、こういう状態のことなんだ。
そう思った。
そんなときに、あの子に声をかけられたのだった。
その子が、このアクセをくれた。
「願いがかなうアクセ」だと言う。
ばかばかしいと思った。
こんなもので彼に会えるなら、なんの苦労もないと思った。
でも。
どうせ願いがかなうわけがなくても、ちょっとの気晴らしにはなるかも。
少しはこのつらさに耐えられるかも。
試してみる価値はある。
家に戻って、ふと、奇妙なことに気づいた。
あの子。
自分と同年配、高校生ぐらいに見えたが、なぜ自分が彼氏をうしなってつらい思いをしているとわかったのだろう。
同級生でもなんでもない。
通りすがりに声をかけてきただけなのに。
まあいい。
それよりも、アクセだ。
まず、部屋の床にアクセを置く。
安全ピンの針を伸ばし、人差し指に刺す。
血液が、指先で玉のような形で大きくなってゆく。
指をアクセの上に持って行き、指をしごく。
さらに血の玉が大きくなって、アクセにぽたりと落ちた。
血が落ちた瞬間、アクセが一瞬ふくれたように見えたが、たぶん気のせいだろう。
これで準備完了。
両手の指をがっちりと組み、目を閉じて、懸命に祈った。
彼に会わせて。
もう一度、彼に会わせて。
会わせてくれるなら、なんでもするから。
誰かが、肩に手を置いた。
誰か、ではない。
手の感触に覚えがあった。
やった!
目を開けた。
目の前に、自分に向かう形で、何かがしゃがんでいた。
理性は「それ」が何か理解するのを拒否していた。
それが何かを理解する前に、のどから絶叫がほとばしり出た。
ぷつっ、と何かが切れるように、視界が真っ暗になった。
5.儀式への誘い
日曜日。
私は京成線千住大橋駅の近くにある、大崎豊が倒れていた現場に来ていた。
あのニュースの日ほどではないにしろ、日曜日ということもあって、けっこうな人出であった。
大崎豊が倒れていたとされる場所は、花束が山積みだ。
集まっているのは、ほとんどが十代か二十代の若い男女だ。
神妙な顔つきだったり、すすり泣いていたり、さまざま。
私も、大ファンとは行かないまでも嫌いではなかったアーティストなので、少し離れた場所から手を合わせ、祈った。
──どうぞ安らかに……
顔を上げて、視線の先に何か見覚えのある後ろ姿があるのに気づいた。
花束の山から数メートル離れた場所にしゃがみ、目を閉じて手を合わせている。
日曜日の今日は三枝実業高校の制服は着ていないが、たぶん間違いない。
あのときの三人組の一人だ。
私はそっと近づき、すぐ後ろにしゃがんだ。
「ゆたかー……」
大崎豊の名を繰り返しつぶやきながら、スンスンとすすり上げている。
この間あんな騒ぎを起こしはしたが、こうしていると、いじらしいもんだ。
彼女は、しゃがんだままの体勢で、自分の服のポケットをごそごそとまさぐった。涙をぬぐおうとして、ハンカチが見当たらないらしい。
私は彼女の肩をトントンと叩き、自分のハンカチを差し出した。
「ありがと……え」
私のハンカチを受け取って涙をぬぐった彼女は、私がこの前もめかけた人間だと気づき、ちょっと固まった。
「この間はどもね。私は星龍学園の榊真理子。……ほんとに大崎豊が好きだったんだ」
「……うん。三枝実業の大坪ミキ」
小さくうなずいて、彼女──大坪ミキは手で涙をぬぐった。今日はこの前みたいな濃いめメイクではなく、わりとナチュラルっぽいメイクだが、それでも、涙でかなり流れている。
ちょっとメイク直した方がよくない?
そう言おうとしたとき──
「ねえ。そんなに大崎豊が好きなら、会わせてあげようか」
背後から声がかかった。
私と大坪ミキは、同時に声がした方を振り向いた。
私たちと同年配ぐらいの女の子が、そこにいた。
私たちのすぐ後ろに立って、私たちを見下ろしていた。
「こんにちは」
その子は言って、笑った。
服装も顔立ちも、特にこれといって目立つところもない、スレンダーでおとなしそうなごく普通の女の子だ。
私と大坪ミキは顔を見合わせ、「知ってる人?」と目で言い合った。すぐにお互いプルプルと顔を左右に振る。
「会わせるって……どういうこと?」
大坪ミキが、女の子に言った。
「言葉の通りよ。本当に心から大崎豊に会いたいと思うのなら、会える方法を教えてあげる」
大坪ミキが立ち上がった。私も続いて立ち上がる。
「ねえ。あまりたちのよくない冗談は言わないでくれない? 今、そういうのにつきあう気分じゃないんだけど……え?」
すごみかけた大坪ミキの目の前に、女の子は何かをつき出した。
小さなアクセサリー? ペンダント・トップというか、何か、そういうのだ。
何でできているんだろう。茶色……というか、赤黒い色をした、梅干しの種ぐらいの色とサイズのアクセだった。
「これが、『願いがかなうアクセ』よ。これに祈れば、会いたい人に会えるの」
「そんな……そんなアクセに祈ったぐらいで、会いたい人に会えるなんてことが」
大坪ミキが、アクセを凝視しながら言った。
「別に信じてくれなくてもいいわ。信じた人にしか効果ないものなんだし。無理強いはしない。きちんと使い方を守らないとだめだしね。信じるんなら、これをあげる。使い方も教えるわ。──どうする?」
女の子はそう言って、ニヤリと笑った。
そんなバカな話が。私もそう思って、女の子の申し出を断ろうとしたが、先に大坪ミキが口を開いた。
「……わかった。それちょうだい。やり方も教えて」
ちょっと。そんな変な物に手を出すのって、ヤバいって。
私はそう言おうとして大坪ミキの顔を見たが、彼女は真顔だった。
本気だ。
「知り合いも呼んでいい?」
「もちろん」
大坪ミキが訊き、女の子が答える。
たぶんファーストフードの店にいた残りのメンバーだろう。
「オッケー。やりたい人が集まったら、連絡ちょうだい。そこに持って行くわ」
女の子はそう言って、携帯の番号が書かれたメモを大坪ミキに渡した。
「今くれないの?」
大坪ミキはそう言って、不満げな顔をした。
「今あげてもいいけど、そのままどこかに持って行かれたら困るしね。集まったら連絡して? ──じゃね」
言うだけ言って、女の子はあっさりと立ち去り、雑踏の中に消えていった。
私たちは呆然としてその後ろ姿を見送った。
「……ねえ。マジなの?」
かなりしてから、私は大坪ミキに言った。
「うまくいかなくてもともとじゃん。やってみてだめだったら笑い話で済むことだしさ」
大坪ミキはそう言って、それからぽつりと言った。
「……場合によっちゃ、あの子をフクロにすればいいことだし」
「ちょっ、物騒なこと言わないでよ」
「……で、あんたはどうする? 来る?」
「え。……いいの?」
「いいよ」
「念のために訊くけど、誰に会いたいの?」
「豊。大崎豊」
こともなげに、大坪ミキは言った。
「じゃ、他の連中に連絡するから、行くわ。携帯教えてよ」
「あ、うん。……これ」
「わかった。場所決まったら電話するから」
6.テレビ局へ
携帯の番号を教えると、大坪ミキも行ってしまった。
あのとき、ここで何があったのかを確かめに来たのに、何か妙なことになってしまった。
大坪ミキから連絡が入るだろうから、家に帰るというわけにもいかなくて、私はそのまま現場に残っていた。
──どうしようかなあ……
その私の肩を誰かが叩いた。
振り向くと──黒神由貴と神代先生が立っていた。
「やるわねえ。榊さんもここを調べに来たの?」
神代先生が言った。
榊さん「も」?
「ここを調べに」?
戸惑いつつも、私は言った。
「まあ……そんなもんです。先生はどうしてここへ?」
「黒神さんから、ここでちょっと気になることがあったって聞いたものでね。様子を見に来たの」
「それって、この前ここで女の子が倒れた?」
言いながら黒神由貴に目をやると、黒神由貴は小さくうなずいた。
「そう。……で、どう? 黒神さん。何か感じる?」
腕を組んで、花束や献花する人たちを眺めながら、神代先生が言った。
「『何か』がいたというのはわかります。でも……今は何もいませんね」
「ふん……私も同意見よ。逃げたわね」
「逃げたって。……ここに何がいたんですか?」
私が訊くと、神代先生は一瞬困った顔をした。
「なんて言うのかなあ。まあ、ひと言で言うなら……『あまりよくないもの』よ。──ねえ、あなたたちは、屋外ディスプレイで見たんだったわね?」
私と黒神由貴はうなずいた。
「ニュースの中継中で……か。ふうん……」
神代先生はちょっと視線を宙にさまよわせ、私たちを見た。
「いっちょやってみるか」
そう言って、神代先生は携帯を取り出した。
ボタンをあわただしく操作する。
しばらく無言で携帯を耳に当てていたが、相手が出たのか、話し始めた。
「あー、久慈ちゃん? どもー。でん姉でーす。山形ではどうもでしたー。お久しぶりー」
私と黒神由貴は目を丸くした。
「でん姉」って誰。
「今どうしてる? 出世した? もうADじゃないんでしょ? チーフプロデューサー? へー、すっごいじゃなーい。歯は治った? インプラント? 悪かったわねー、2本も叩き折っちゃって」
私と黒神由貴は、ただ無言で神代先生が話すことを聞いていた。
相手が誰なのかも気になるが、話している内容が、私たちの理解を超えていた。
先生、あなた何を言ってるんですか。
「今日電話したのは他でもないんだけど、ちょっと力を貸してもらいたくて。取材したビデオ素材は、局内に保管してあるわよねえ? 調べたいことがあるんで、見せてほしいんだけど」
神代先生は携帯を耳から離した。
漏れた声が、私たちのところにも届いた。
「だめ? ──あっそう」
神代先生の目がすっと細くなった。
「ん。じゃあいいわ。局次長の浜村さんにお願いするから」
また、私たちのところまで、漏れた声が届いた。
「わかればいいの。じゃ、これからそっちに行くから。よろしくねー」
神代先生は携帯を切った。
私たちのもの問いたげな目に気づいて、
「今のは、東央テレビのスタッフ。昔、私が山形にいたときに旅番組の取材で来てね。そのときに、いろいろと」
「で、これからテレビ局に?」
黒神由貴が言った。
「ん。とりあえず問題になった場面を見たいんでね。──榊さんはどうする? 一緒に来る?」
「はい……あ」
「はい行きます」と返事する前に、私の携帯が鳴った。
「もしもし? うん。うん。わかった。じゃ、そこで」
大坪ミキからの連絡だった。
「すみません。別の用があって、行けなくなりました」
そう言ってから、私はあわてて付け加えた。
「でも、気になるから、何かわかったら教えてください」
「仕方ないわね。じゃあ私たちは行くから。何かわかったら携帯に連絡入れるわ」
手をひらひらと振って、黒神由貴と神代先生は、行ってしまった。
私も、大坪ミキとの待ち合わせ場所に向かうことにした。