1.黄泉への扉
「黄泉への扉」という、何かすごいサイトがあるらしい。
昼休み、私と黒神由貴が机を挟んでどうでもいい話をしていたとき、そんな話を持ってきたのは、例によって酒井美佳であった。
入学早々、高等部内探検でお漏らしするほど怖い思いしたくせに、まったく懲りていない。
参照:「ガール・ミーツ・ガール」
「……んで、それって、どういうサイトなん? 実話系とか創作系とか心霊スポット探検系とか」
「いやそれが、よくわかんないの」
私が訊くと、酒井美佳はちょっと困り顔で言った。
「なにそれ。それじゃ、何がどうすごいのか、わかんないじゃん」
私が少しあきれて言い、黒神由貴もうなずいた。
「すごい、といううわさのサイトなのよ。1ヶ月ぐらい前からネット上で話題になってて。ただ、実際にアクセスできた人はほとんどいないらしくて」
「は? んじゃ、どんなサイトなのか、実際に知っている人はいないわけ? それで、『すごい』とかってうわさだけが一人歩きしてるって、それって、まんま小松左京の『牛の首』じゃないの」
「いや! いや! いや! サイトはちゃんとあるのよ。誰でもいつでもアクセスできるの。ただ、トップページから先に進めないの。『ENTER』をクリックしても、入れないの」
「なんかよくわかんねーなー。じゃあさ、放課後に視聴覚室で、そのサイトにアクセスしてみようよ。URLわかるよね? でなくても、ググったら、ヒットするよね?」
私が言うと、酒井美佳はばつが悪そうに首を振った。
「それがさ。アクセスはいつでもできるんだけど、『ENTER』をクリックして入れるのは、午前2時ジャストのときだけらしいのよ。だから、放課後に視聴覚室からアクセスしても、だめなんだわ、これが」
「午前2時ジャストのときだけって……それもうわさなんでしょ?」
疑惑のまなざしで酒井美佳を見ながら私が言うと、ヤツはこくんとうなずいた。
「なーんかさあ。どっかのホラーアニメの公式サイトみたいな設定じゃん、それ。ほんとなの?」
「トップページは実在してるからねー。あとは、その先に進めさえすれば、笑い話で終わるのかも知れないけど。……でも、でもね。もうちょいでエンターできるんじゃないかって気がするのよ。何かのタイミングがあるんじゃないかって気がして」
「んで、どうすんの? どうすれば中に入れるか、毎晩午前2時にチャレンジするわけ?」
「うん。やってみるつもり。入れたら報告するし」
「ま、期待しないで待ってるわ」
私は言った。心霊スポットでも心霊サイトでも、行ったりアクセスしたりしてすぐに何か体験できるなら、実話怪談作家は苦労しないよな。
……と、その時点では、私は気楽に考えていたのだった。
2.榊家もめる
それからも、酒井美佳は「黄泉への扉」へのエンターにチャレンジしているようであった。午前2時に一度しかチャレンジできないので、寝不足になるほどではないようだったが、いらついているようには見えた。
朝、教室に入ってきた酒井美佳に「どうだった?」と目で訊くと、酒井美佳は力なく首を横に振る。そんな毎日であった。
実は私も、酒井美佳から「黄泉への扉」の話を聞いてから、すでにサイトへのエンターに何度かチャレンジしてみていた。
トップページにアクセスすると、真っ赤なページが出る。その中央に白いゴチック体のフォントで「黄泉への扉」とあり、そのすぐ下に「ENTER」という小さめの文字列がある。これがENTERキーだ。
うわさの通りであれば、午前2時ジャストにここをクリックすればエンターできるはずなのだが、今のところ、私も中に入ることはできないでいる。
中に入れないときは、ENTERキーをクリックすると、同じような赤いページで、中央に「現在は入室できない時刻です。日を改めてご訪問下さい」と表示される。
まず最初は、夕食後の適当な時刻にサイトにアクセス、ENTERキーをクリックしてみた。
結果はNG。
やっぱり午前2時じゃないとだめなのかと、がんばってその時間まで起きていたり、アラームをセットしてみたりした。
サイトにアクセスし、時計とにらめっこしながら、3、2、1と秒読みしつつENTERキーをクリックしたが、やはりNG。
──これって、たちの悪いジョーク・サイトなんじゃないの?
などと考えたりもするが、ネットで検索してみると、「なんかスゲェらしい」という書き込みが乱れ飛んでいる。
ただ気になるのは、その書き込みが例外なく「らしい」「そうだ」で占められていることと、実際にENTERできた人の書き込みが一つもないこと。
ネットでよくあるうわさとか風説、伝染系の怖い話の一つなのだろうか。
でも、少なくとも「黄泉への扉」というタイトルのサイトは、目の前に存在している。
なんでエンターできないんだろう。
なんとなくイライラしてくる。
酒井美佳が何度もチャレンジするのも理解できる。
たぶん、このサイトのうわさを耳にして(あるいは目にして)アクセスした人は、かなりの数が躍起になってエンターすべくがんばっているのだろう。
でも、にもかかわらず、入室できたという話は、まったく聞かない。
なぜ?
「……っていうサイトがあってね。ちまたでけっこううわさになってるんだけど、たちの悪いいたずらサイトなんじゃないかなあって」
夕食後、食後のデザートのリンゴを食べつつ、私は言った。
テーブルには、私、父親、兄貴がいて、母親はシンクで食器を洗っている。
「それは、若い子の間で流行ってるのか?」
父親が言った。
我が家の場合、家族全員インターネットをしているので、突然こういう話題を振っても、「?」という顔はされない。まあ、内心では「あんまり妙なサイトばかり見てんじゃねーぞ」的なことは思われているのだろうけど。
「流行ってるわけでもないけど……」
首をかしげて、私は答える。
「怖い物好きな人間の間では話題になってるみたい。だけど、実際に入室できた人がいないから、話が進まなくて」
「危ないサイトじゃないのお? やめてよねー」
洗い物をしながら、母親が言う。
「違うと思うけど」
……と、私は言おうとした。
したのだが、「ちが」まで言いかけたところで、兄貴が口をはさんだ。
「そのサイトにアクセスするな」
ぶっきらぼうに、ぼそりと。
「なあんでよー。どうせさ、うまく入室できても、ホラー映画の怖げな顔の画像が出て、『ギャー』とか『ウギョー』とかって絶叫がでかい音で鳴るパターンの、ブラクラ系……」
私は笑いながら言ったが、最後まで言い終えることができなかった。言いかけたところで、兄貴が怒鳴ったからだ。
「つべこべ言うな! そのサイトに絶対にアクセスするなって言ってるんだ!」
あまりに突然だったので、私はもちろん、父親も母親もとっさに何も言えず、固まった。
私たちが何も言えないでいると、兄貴は乱暴に椅子から立ち上がり、リビングを出て行った。
「ひどい。……なにあれ」
私は言った。
生まれてこの方、兄貴にあんな風に怒鳴られたことなんてなかったので、私は涙目だ。
「……どうしたんだ、真彦のやつは」
父親もまた、呆然として、言った。
むっちゃむかついた。
お風呂に入って、自分の部屋に戻ってからも、兄貴から怒鳴られたことへの腹立ちは収まらなかった。
お風呂上がり、ローカロリーのコーラとかスポーツドリンクなんかを飲みながらネット閲覧するのが日課なのだが、今日はとてもじゃないがそんな気分ではなかった。
……トントン、と遠慮がちに私の部屋の戸がノックされた。
兄貴だろう、と私は思った。
私がお風呂から上がって部屋に入ったのがわかったので、来たのだろう。
「……真理子、いるか?」
ノックと同じように遠慮がちに、兄貴の声がした。
謝りに来たのか、何か言いに来たのか、そんなことはどうでもよかった。
兄貴の声が聞こえた瞬間、私は戸に向かって叫んでいた。
「やかましいっ! 入ってくるな馬鹿っ! 死んじゃえっ!」
叫んで、戸をにらみつけていると、隣の部屋に戻る足音がかすかに聞こえた。けっ。
ずっとあとになって思ったのだが、もしこのとき、兄貴がなんの用で私の部屋に来たのか、兄貴の話を聞いていたら、ちょっとだけ事態は早めに解決していたかも。
……いや、やっぱりそんなに変わらないかな。わかんない。
だって、あんな風に怒鳴られて、なお冷静に相手できるわけないじゃん。
よね?
……よね?
3.昏睡
兄貴が突然怒鳴ってから、はや数日。
朝出かけるとき、帰ってきて夕食のとき、どちらかがトイレか何かで廊下に出たとき、何度となく顔を合わすことはあるわけだが、私は徹底的に無視した。兄貴が何か言いたげな顔をしているのには気づいていたが、そんなことに気を遣ってやる必要はない。
家ではそんなことがあったりしたわけだが、星龍学園内にも、ちょっと不安なことが起きていた。
ここ3日ほど、酒井美佳が登校していないのだ。
そりゃ、具合が悪くて3日ぐらい休むことは、誰だってある。でも、「風邪かな?」と思って送ったお見舞いメールに返信がなかった。
4日目の朝も教室に酒井美佳の姿はなく、いよいよ不安になっていると、ホームルームの時間でもないのに、1時間目の担当教師ではなく、神代先生が教室に入ってきた。
「はい静かにー。そのままでいいので、ちょっと聞いて。えー、酒井美佳さんはちょっと体調を崩して、しばらくお休みになります。復帰がいつになるのかはまだはっきりしませんが、そのときはまた連絡します。それでは」
言うだけ言って、神代先生はさっさと出て行ってしまった。
体調が悪いってどう悪いのか、訊く暇もなかった。
てか、こないだまで別にどこも悪い様子はなかったのに。「黄泉への扉」へのアクセスにチャレンジしてるから、睡眠不足で眠そうではあったけど。
──あ。
そうか、ひょっとしてあのサイトと何か関係が。
てことは、あのサイトは本当にやばいサイトだったってこと?
6時間目の授業が終わると同時に、私は教室を飛び出して、職員室へ走った。職員室に戻る神代先生を捕まえるためであった。他の先生には聞かれたくないので、できれば職員室の外で話を聞きたかったのだ。
職員室の前まで来ると、ちょうど私が走ってきた方向の逆から、神代先生がやってくるところだった。
「先生」
声をかけながら、私は神代先生に小走りで駆け寄った。
「どうしたの、やけにあわてて。何か急用?」
不思議そうに神代先生は言った。
「はいあの、急用というか、その」
私はまわりの様子をうかがいつつ、小声で言った。
「あの、美佳の体調が悪いって、どう悪いんでしょうか。風邪とかそういうのじゃ……ないんですよね?」
私の質問に、神代先生はかすかに眉をひそめた。
「確かに風邪じゃないんだけどね……お母様から電話で聞いただけなので今一つはっきりとはわからないんだけど、どうも昏睡状態らしいのね。昏睡というか、眠ったまま目を覚まさないというか、病院でCTとかMRIの検査もしたらしいんだけど、脳には何も異常がないらしくて。このこと、他の子にしゃべっちゃだめよ。──というか、榊さん」
そこまで言って、私の顔色が変わったことに気づいたのか、神代先生は私をギロリとにらみつけた。
「あなた何か知ってるの? 心当たりがあるわけ?」
「いえ何も」
さすがに鋭い。だが、酒井美佳の昏睡と、例の「黄泉への扉」とを結びつけるには、あまりにも根拠が希薄であった。それに、私が何か調べようとしているとわかったら、どうせ神代先生のことだから、
「榊さん、あなたまた何か怪しげなことに首を突っ込もうと考えてるんじゃないでしょうね」
ほらやっぱり。
「いい? 現実的な事件だったら警察に。そうでないようなことだったら、あたしか黒神さんにまかせなさい。──そう言えば、ちょっと前に埼玉の吉見百穴の近くで妙なことがあったみたいだけど、あなた何か関係してるんじゃないでしょうね」
やべ。
ヤブヘビになりそうだったので、「わかりましたっ」と答えて、私は足早に教室に戻った。
教室にはまだ半数ほどの生徒が残っていて、その中に黒神由貴もいた。6時間目の授業が終わって、鞄も持たずに私が教室を飛び出したので、戻ってくるのを待っていたのだろう。
「待ってくれてたんだ。ごめん」
「どこ行ってたの?」
私がわびると、黒神由貴が訊いた。
「神代先生に、酒井美佳のことを聞きに」
と、私は神代先生から入手した情報を話した。
「それってもしかして、酒井さんが言ってた『黄泉への扉』に何か関係があったりして?」
眉をひそめて、黒神由貴が小声で言った。
「よくわかんないんだけどね、そうじゃないかなっつー気はするのよ」
そうして、私と黒神由貴は教室を出た。
酒井美佳のことに関して、それ以上話題にはのぼらなかった。また、私自身も黒神由貴に相談を持ちかけるつもりはなかった。
いやほんとに。
なんたって、今回はインターネットがらみだ。ハイエンドのパソコンを持っているからって、黒神由貴がそういうことに詳しいとは思えないし。
その夜。
夕食後、私は意を決して兄貴の部屋の戸をノックした。もう妙な意地をはっている場合ではない。あの様子からして、兄貴は絶対何か知っている。
「……真理子か?」
ノックに反応し、戸が少し開かれて、兄貴がこわごわと顔を覗かせた。
「……ちょっといい?」
私が言うと、兄貴は戸を開いて私を部屋に招き入れた。
「……あの、さ。例の怪しいサイトのことだけどさ、おにい何か知ってんの?」
「なんでそう思うんだ?」
私がズバリと訊くと、顔一杯に不審な色を浮かべ、兄貴は言った。ヘタなことを言って私がキレたらまずいと思っているのだろう。
「こないだの剣幕はただ事じゃなかったし、というか、ちょっとヤバイことになってさ」
「ヤバイ? って、どんな」
兄貴が反応した。
「うちのクラスに、あのサイトにはまってる子がいてさ、そもそもはその子からあのサイトのことを聞いたんだけど、その子が何日か前から意識不明の昏睡状態になってるらしくて」
「意識不明の昏睡状態」と私が言うと同時に、兄貴は「あー」とつぶやいて顔をしかめた。
「んで、なんとかなる方法があるんならと思って……て、おにい?」
兄貴は眉間にしわを寄せ下を向いてじっと考え込んでいたが、ゆっくりと顔を上げ、私を見つめた。
「……おにい?」
「……お前の友だちで、ちょっと前にうちに遊びに来た、」
「くろかみ?」
「そう黒神さんだ。あの子って、その、あー、……奇妙なことに強いんだよな?」
兄貴までがくろかみをご指名か。てか、
「なんでくろかみに用があんのよ。ネットとかコンピューターとか、そういう関係なんでしょ? 問題は」
私が言うと、兄貴は首を横に振った。
「……いや、それがそうとも言えないんだ。とにかく、事情を説明するから、黒神さんにも話を聞いてもらえるよう、取りはからってくんないか」